GLAY Story

GLAY関連の書籍を一つにまとめてみました。今まで知らなかったGLAYがみえてくる――。

 GLAY、インディーズ・デビュー

2009-09-15 | インディーズ時代
 93年3月の中旬、それまで定期的に月1回ほどのライブをしていた神楽坂のエクスプロージョンの社長から、こんな話があった。  「うちでCD出してみないかな。君たちもCDを1枚出すことで、かなり自信がつくと思うんだけど」 ライブハウス・エクスプロージョンは、インディーズのレーベル「エクスプロージョン・レーベル」というレコード会社をもっていた。  メンバーにしてみれば、インディーズにしろ何に . . . 本文を読む

 対バンとの付き合い

2009-09-15 | インディーズ時代
 インデイーズのバンドは、だいたい月に2、3回のライブをこなしている。  もちろんどのバンドもワンマンライブが目標であるが、集客力が30人ぐらいであったりすると、とてもワンマンのライブなど開けない。そうなれば、当然2つか3つのバンドとの対バン形式でライブをこなすことになる。 ●しょうがない  GLAYのメンバーは、TAKUROくんもTERUくんもHISASHIくんもJIROちゃんも、 . . . 本文を読む

 JIRO、デモテープ持ち込み開始

2009-09-15 | インディーズ時代
 当時のスケジュール帳を見ると、いろんなライブハウスにデモテープを送ったおかげで、確実にライブの本数は増えていた。  1993年2月から、3月、4月、5月、6月と月3本でこなしていたライブも、7月は10日に横浜モンスター、21日が池袋サイバー、22日、市川CLUB GIO、31日、エクスプロージョンと4本になった。  横浜モンスターも池袋サイバーも、デモテープのおかげで出演できた。8月 . . . 本文を読む

 『魔女狩りナイト』

2009-09-15 | インディーズ時代
 「“魔女狩りNIGHT”にしよう」  「あ、いいんじゃない?」 全員が賛成した。  JIROがメンバーに加入し、TAKURO、TERU、HISASHI、AKIRAの5人となったGLAYは、定期的にライブをこなすようになっていた。  「もう東京の状況に合わせるのはやめにしないか? 俺たちは俺たちのやりたいことを好きなようにやろう」  TAKUROの提案に誰もが納得した。どこに行って . . . 本文を読む