HISASHIの骨折――。
一瞬何が起きたのかわからないような、あっという間の出来事だった。事故という言い方もできるだろう。はずみという言い方もできるだろう。でも、そんなふうに客観的な偶然と言いきってしまうのも違うだろう。
それは、彼らのライブに賭ける情熱や、意欲や、真剣勝負の真面目さや、子供の様な無邪気さ、常に何が起こるかわからないライブの持つ魅力…そんないくつもの要素が出合う中 . . . 本文を読む
緊急の病院の手配をしたのは、エグゼクティブ・プロデューサーの井ノロ弘彦である。
彼は、全会場に同行しているわけではない。主な会場と打ち合わせのあるときに限られている。「こういうときのためにいるようなもんです」と言いつつ、病院での様子をこう言う。
「まず救急病院に行ったんですね。そこで手に負えないって言われて別の総合病院を紹介されて、そこの夜勤の先生が見てくれたんですけど、プレート . . . 本文を読む
「東北地方始まって以来の規模のコンサートですから」
キョードー東北の和泉浩之は、メンバーに向かって何度となくそう言った。彼はウッドストックに憧れてこの仕事に就いた人間だった。8月15、16日の2日間で7万人。その数字は、ほぼ実数だった。
●奇跡的な出来事
でも、この安比高原特設ステージの2日間で歴史的だったのは、そんな数字だけではない。
これまでの野外イベントの歴史のなか . . . 本文を読む
今年、僕は32歳になった。デビューの日から9年。365日×9=3285日。数字にしてみれば、不思議なくらい僅かな日々の間に、GLAYは奇跡の変貌を遂げた。
93年にはライブハウスに100人足らずの客が入っただけで祝杯を挙げ、デモテープが10本売れたといっては一喜一憂していた。
●昔のままのメンバーの関係
それが4年後の97年、リリースしたベストアルバム『REVIEW~BEST . . . 本文を読む
運命の1999年。膨らみきった風船が割れる直前のように、なにもかもがうまくいき過ぎていた。
出す曲すべてがミリオンセラーになり、年明けにはドームツアーがあり、そして夏には幕張メッセの20万人ライブが実現する。日本のライブ史を変えるメガ・イベント、そして僕たちの少年の日の夢……。
サイモン&ガーファンクルは50万人のコンサートを80年代に実現させたけれど、入場は無料だった。有料コンサ . . . 本文を読む
HEAVY GAUGEツアーは、2000年6月29日の札幌、真駒内アイスアリーナで前半戦を終えた。
JIROが「それ以降は楽しいことしかない」と言うように、札幌のステージはそうやっていったんは演出を拒否する中で身についた抑制の利いたエネルギーが炸裂するような高いテンションのライブだった。
●GLAYを追い越した1年
アップテンポとかビート系とかバラードとか、既成のスタイルには . . . 本文を読む
―― 全員同じことを聞いてるんですけど、ツアーを終えた心境を
心境ですか?どのツアーでもそうですけどね、完成した頃に終わるんだなっていう。でもそれは、真夏の逃げ水みたいなもので、あと10本あったら10本後に完成するんでしょうね。
―― 虚脱感めいたものはないと
今回はないですね。特に最後の代々木3日間なんか、まだまだ先があるんじゃないのというような内容でいけたから。例えば、 . . . 本文を読む
――A HAPPY NEW YEAR!名古屋!
――2001年はすごくいろんなことがあった1年でした。2002年は明るいことがあるといいと思います。自分たちが信じた音楽への気持ちを伝えていきたい。
――2002年、これからの1年がいい1年になりそうな笑顔をありがとうございました.
――みなさんはどんな正月を過ごしたんでしょうね。GLAYは札幌で年越しでいいライブができて。今日もいいラ . . . 本文を読む
――GLAYのみなさん、あけましておめでとうこざいまーす。
ラジオのチューニング・ノイズに乗って客席の中央に立ち上がったDJ・落合健太郎が、そう言ってステージに呼びかけたのは2曲目だった。
明かりの消えている客席の中で彼にスポットが集中し、ドームのアリーナの歓声の中にぽっかりと浮かんでいるように見える。そして、そんな彼の姿を透かすように人影のない空席のスタンドが見えた。
●はじ . . . 本文を読む
――名古屋最終日ということでスペシャルメニューを用意したぜ!最終日行くぜ!TOSHIカモン!
『SOUL LOVE』のイントロが始まると、まるで"戦闘開始"を告げるようにいっせいに客席の明かりが点いた。さあ、この客席を見てくれ!と言っているような潔いライティングだった。
スタンドには、残酷なくらいに誰もいなかった。そして、そんな光景をあざ笑うように演奏は高らかだった。
●空席の客 . . . 本文を読む