GLAY Story

GLAY関連の書籍を一つにまとめてみました。今まで知らなかったGLAYがみえてくる――。

 SHINGOとの別れ JIROの加入

2009-09-19 | アマチュア時代




 1992年の9月初旬、神楽坂のエクスプロージョンでGLAYはライブをした。

 このライブは、GLAYにとってかなり大きな意味を持っていた。ひとつは、Zinxとの対バン。Zinxというバンドは当時、エクスプロージョンのイチオシのバンドだった。

 このイチオシのバンドと対バンを組めるということは、エクスプロージョン側がGLAYの存在を認めたことでもある。


●お別れライブ

 AKIRAとTERUと2人でベースのSHINGOのアパートの前に行き、話し合いをした結果、脱退が決まったのがこのライブの2週間ほど前だっだ。

 その後の話し合いでTAKUROから、「SHINGOがやめるなら、1回、お別れのライブをしてもいいんじゃないのかな」という提案が出た。

 「うん、そうだよね。SHINGOだってこれまで長い間、メンバーとしてやってきたんだから。ただ、じゃあなで終わるのも寂しいじゃん。これからも北海道の仲間として人間関係が続いていくわけだから、記念のライブをしてあげようよ」

 HISASHIもTERUも大乗り気だ。AKIRAは、SHINGOにその件を電話で伝えた。

 「記念に最後のライブをやろうよ」 と言うと、SHINGOは電話の向こうで「えっ、ホント? そんなことしてくれるの?嬉しいな。いいよ。俺、ぜひやりたいよ。どうもありがとう」と喜んでくれた。

 そんな感じでライブが決まった。

 いつもはライブハウス入りする時間も20分、30分と遅れるSHINGOもこの日は定刻の午後2時には顔を出し、「TAKURO、ごめんな。俺のわがままでやめることになっちゃって」 と謝った。

 そしてTERUには、「この前は、夜遅くまで待たせちゃってごめん。なんとなく俺も吹っ切れなくてさ。AKIRAやTERUが来てくれたから、自分の気持ちを言うことができたんだ。今日はとにかく頑張ってやるから、よろしくね」 と詫びを入れた。


●SHINGOとの別れ

 わだかまりなく、その日のライブは始まった。

 ステージでTERUが「今日限りで、ベースのSHINGOはやめるんで。」 と言うと、SHINGOのファンらしき女の子たちから「えっ!?シンゴくん、やめちゃうの?どうして?どうして?」 という悲鳴が上がった。

 ファンの中でも、サウンドを重視してGLAYのファンになってくれた女の子は、SHINGOのベースのテクニックの華麗さをよく知っていた。

 SHINGOはマイクを握り、ひと言ひと言、口から絞り出すようにそんなファンの女の子たちに語りかけた。

 「これまで、こうして一緒にGLAYのメンバーとして活動してきましたが、俺にもちょっと考えるところがあり、今日限りでバンド活動をやめて、普通の一社会人に戻りたいと思うんです」

 その時ばかりは、客席がシーンと静まり返っていた。

 俺は当然、ライブのあとの打ち上げもSHINGOを含めて和気あいあいとなった打ち上げパーティになると思っていた。しかし、SHINGOは意を決していたようだ。

 ステージが終わり自分の機材を片づけ終わると、「じゃあね。俺、ちょっと用事があるから。ホント今日はどうもありがとう。これからも暇がある限りGLAYのステージを見せてもらうから、それでいい?」と言った。

 TAKUROが、「うん、来てよ。いつでも来て。来たら楽屋にもちゃんと寄ってよ」と言えば、TERUも「長かったよ。でも、今まで一緒にやってこれてよかったよ。いいじゃん、また一緒に飲もうよ」と、言葉をかけた。

 SHINGOはAKIRAに「色々と迷惑をかけたね。みんな、頑張ってよ。俺は音楽の世界から足を洗う決心をしたんだ。でも、今日は嬉しかったよ」 素直にこう言ってくれた。

 非常にすがすがしい気分になった。SHINGOは、メンバーの一人ひとりと固い握手を交わしながら帰っていった。


●歌舞伎町での打ち上げ

 その日の打ち上げは、メインのバンドZinxが仕切っての打ち上げだった。新宿区歌舞伎町近くの居酒屋に場所を移動した。この席に、SHINGOと入れ替わりに新しくべースを担当するJIROが顔を出した。

 後でわかったことだが、函館時代に、GLAYの弟分として一緒にライブハウスに出ていた「ピエロ」というバンドがあった。

 そして、GLAYのメンバーより1歳年下の彼らも、GLAYのあとを追って高校卒業後に上京していた。このピエロでベースを弾いていたのがJIROだ。当時、JIROはピエロの活動に行き詰まり、バンドを解散したばかりだった。

 TAKUROはこのJIROに「よかったら、うちでベース弾いてくれないかな」という打診をすでにしていたようだ。もっとも、AKIRAもJIROとはこの時が初対面ではない。

 この日のライブの1ヵ月ほど前の92年8月、新宿LOFTでのライブをした時、TAKUROが「函館の友達を呼ぼうか」と提案し、HISASHIやTERU、TAKUROの高校時代の友人たちがたくさん集まってきた。

 その中にピエロのメンバーのJIROもいたので、顔は見て知っていた。それまでパンク系のバンドをしていたとも聞いていた。その日のJIROの服装も、パンクの匂いをプンプンさせていた。


●JIROが新加入

 「JIROといいます。よろしくお願いします。」というJIROのあいさつに続いて、TAKUROがAKIRAに「今度、うちのベースをやるJIROクンっていうんだ」と切り出した。

 そして、「JIROはうちのバンドと函館時代、何回も対バンしたピエロのベースだから何回も会ってるし、テクニック的なことも俺はわかってるから、心配いらないよ。AKIRA、よろしく頼むわ」と紹介してくれた。

 JIROとの初対面のあいさつを終え、お互いにビールで乾杯し合った。

 東京に出て来たこと、ピエロとしてのバンド活動、今の生活状況など、自分の周辺に起きたことをJIROが事細かにAKIRAに話した。その翌日に、TAKUROから改めてAKIRAに電話が入った。

 「昨日の打ち上げでも言ったと思うんだけど、今度、ベースにJIROを入れるからよろしく頼むね」 こうして、SHINGOはGLAYから脱退し、JIROが新しくGLAYのベーシストとして加わった。





【記事引用】 「Beat of GLAY/上島明(インディーズ時代のドラマー)・著/コアハウス


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