昨日28日は藤原CC 東、中コースを41と43でラウンドした。同伴者はほぼ50年来の先輩、YAMAさんとARAさんである。私の社会人としてのスタートは東京の証券会社独身寮であった。YAMAさん、ARAさんは、1年先輩で出身が名古屋であったこともあり我々二人を後輩として何かにつけて教えてくれた。我々とはもう一人私と同じ高校からの同級生、INA君であった。親元を離れて東京での生活を夢見ていたものの、独身寮での最初の夜は寂しくて涙を流したことを今でも忘れることはできない。先輩は練馬周辺の食堂や独身寮での生活様式すなはち、洗濯機の使い方からマージャンまで教えてくれた。その我々4人は20年ほど前から連絡を取り合い食事や、ゴルフを楽しんだ。しかし、4年前に同輩INA君が欠けてまた、YAMAさんが大病を患ったこともあり、昨日は4年ぶりに3人でのゴルフとなった。高年齢者となった我々はいずれ一人かけ、また誰かが追っかけていくであろう。そのため、健康な心身を感謝しながら来春の再会を誓い合った。しかし何故か3人とも秋の夕暮れのような寂しさは隠せなかった。
映画については久しぷりの投稿であるが、見てないわけではなかった。① 2005年 「ブロークン・フラワーズ」 ビル・マーレイとシャロン・ストーン ② 1953年 「月蒼くして」 W・ホールデンと D・ニーブン ③1960年代 「戦う幌馬車」 J・ウェイン K・ダグラスこの3本を見た、特に戦う幌馬車については、名作「リオ・ブラボー」を期待したが、途中で眠ってしまったこともあり、今ストーリーを思い出そうとしてもまた、クライマックスはなんであったのかも記憶がうすい。
ほぼ2週間かかって スウェン・ヘディンの「さまよえる湖」を読了した。ヘディンは1890年代から1935年までの間、中央アジアの砂漠地帯を幾度も探検をした。「さまよえる湖」は最後の探検記で地図の上では、チベットの上のタクラマカン砂漠と、天山山脈とゴビ砂漠に囲まれた湖ロプ・ノールと楼蘭遺跡についての記録である。時は1934年で私が生まれたのが1942年であるから、その8年前の昭和8年である。当時のロプ地区は中国の南京政府「蒋介石」の管轄下にあった。ロプ・ノールは直径100キロの湖でその巨大な湖が1500年~1600年の周期で南北400キロに移動していることをヘディンは仮説をたて実証した。 ヘディンは探検家なのか、地質学者なのか、それとも小説家であるのか私は知らないが、砂漠の中を流れるタリム河をカヌーで下りながら湖に注ぎ込む状況とひょんなことからローラン遺跡を発掘したときの感動を見事に書き残した。
現在のロプノールは下記Google衛星画像のように干上がっている。(下の耳の形をしている)
タリム河上流にダムが建設されたとか、あるいは温暖化が起因したのかわからない。ヘディンは現在のような自然破壊により干上がったロプノールを予測もしなかったであろう。
秋晴れ微風絶好のコンディション 藤原G.Cであった。中、西をラウンドし、43、43とまずまずのスコアであつた。しかし、トリプル3ヶの要因である、ドライバーの精度をもっと上げなければ多くのライバルには勝てないであろう。樫の木会は団地の5町内のゴルフ好きの人が集まって昭和50年代から続いているコンペである。団地も高齢化がすすみまた、引っ越しされる方も多く、ゴルフ愛好者が減った。そのため、僕のような他の町内の人も参加させてもらいながら、年に2回のコンペを30年以上も継続しているのは、古くからのメンバーの熱意であろう。メンバーのほとんどがリタイヤ組で、我々のパーティーもラウンド中はいろいろな話題で盛り上がった。とりわけ、YAMAさんは今週は、4000円で昼食付きの山岳リゾートコース「美並」を楽しんできたと言えば、FUKUさんは、今月はじめに、3泊4日上海、蘇州をバス、トイレ、TV付きの豪華ホテルでしかも、道中は40人乗りのバスに10数名だけで、それもガイドと通訳付きのツアーを19500円で満喫してきたと嬉しそうに話をしてくれた。夜は花福でワイワイやりながらの表彰式で次回の開催も来年4月初めの週に優勝者のSHOさんのメンバーコース「谷汲」で話もまとまった。達者で再会したいものである。