ナベッチーのエンジョイライフ

他人様からすれば他愛もないことでも、記憶にとどめておきたい事、感動したスポーツ、本、映画などを思いつくままです。

It’s last brog.

2012-12-30 17:00:38 | 日記

 2009年8月に岐阜市のハートフルセンターで、ブログの講習を受けて、そのまま投稿しはじめて、はや、2年と4ヶ月がすぎた。その間570項ものくだらないことを書き続け恥ずかしい思いをした。それでも、書き始めの頃は、毎回が、毎日が新鮮な気持ちで、ブログを念頭にして、ゴルフや、英会話講座なども取り組んだ。また、講座で勉強した、写真をアップしたほどの力のいれようでもあった。ブログに投稿することにより、ゴルフにおいては、今まで以上に目標に向かうこともでき、そのため、腕前もわずかながらも上達し、何よりゴルフをいっそう面白くさせてくれたこともある。英会話講座においても、いまだ、他人様に英会話を勉強していることを言えないほどの未熟なものではあるが、講座に通い、毎週一度、違った環境が、脳に刺激を与えてくれている。また、外国映画で、端々の会話でも聞き取れることがあると、5年の受講も意義があったと自己満足をしている。しかし、最近になり、億劫にもなり、また、このまま、ブログをダラダラと書き続けてよいものか、迷いもでてきた。そのため、暫くになるか、または、永遠になるかはわからないが、いったんこの項をもって閉じることにします。過去の記事は、抹消しようと思えば、一瞬に消し去ることはできるが、人生のほんの一ページとして、暫くは残しておきます。そして残された短い人生ではありますが、今まで、自分勝手な生き方を取り戻すべく、少しでも罪滅ぼしをいたします。そうは言っても、ゴルフも、英会話講座もさらに面白くさせたいし、また、フェースブックか、ツィッターのいずれかに取り組んでブログとは違った楽しみを見つけたいと思っております。 いずれにしても、positive  thinking   ではまた !


日本大沈没(藤巻健史)・ 司馬遼太郎 対談集 日本人への遺言 ・むは力(椎名誠)

2012-09-27 09:22:43 | 日記

日本大沈没(藤巻健史) 最近書店でのベストセラーのなかの一作である。私もセンセーショナルな新聞広告で、がモレラの大きな本屋さんで捜したが、売り切れてなく、注文を取り寄せてもらった。私が著者の本から知りたかったことは、日本は財政破綻に陥るのか、そうなった場合、どうなるのかであった。これについては、“そなえあって憂いなし” “あわてる乞食はもらいが少ない” など昔の人の言葉を参考にしながら、いろいろと考えてみたい。

司馬遼太郎 対談集 日本人への遺言  毎日新聞社 1997年刊行。 バブルになる前の多分1986年頃の対談集である。大前研一との対談の中で、大前は、『第3次農地解放論として、大都市周辺で米作をやめて、その減作になった分をオーストラリア、アルゼンチン、アメリカでやったらと提案しているわけです』と言い。一方司馬遼太郎は、『私は土地を天のものだという考えでずっときたんですが、土地を担保に金に糸目をつけない借りるるというシステムを変えるべきだと思う。~~ 動物が自家中毒で死ぬように、日本人は土地問題という排泄物に、経済から精神まで毒されている。ここ10年ほどで。もっと悲惨な状態がくると思うんですがね。と警告を発した。 対談から25年たったいま、読み返してみても、考えさせられる対談であった。

むは力(椎名誠) 本の雑誌社 1999年刊行   「むは」とは何か??


I wonder if it will rain.

2012-01-31 06:46:35 | 日記

いつも Keiko 先生から受講者に挨拶をかけられているばかりなので、今日は、How  are  you  doing?と先手をうった。準備さえできていれば、Hi  Keiko!も言えばもっとご機嫌であったかもしれないが、咄嗟には言えないものである。 そして、Keiko 先生は、関東エリアで、震度5の地震があり、紀伊半島も 沿岸 200㎞の断層があり、東海、南海沖地震の心配があることを、何かで、知り、それを英語で話してくれたが、ほとんどわからずじまいであった。 ただ、沿岸は cliff であることと、紀伊半島の地図を、黒板に書いて説明した。 私は、俳優の渡邊 謙がダボス会議でスピーチしたことを、Googleで調べて引用し、いつものYahoo英会話で飜訳し、述べさせてもらった。 Mr.Ken  Watanabe, gave  a  speech  in  Davos  Forum.   Our  simple  and  modest , I  believe  has  the  power  to  create  a  new  happiness.   In  addition,  bonds  were  talking  about.   And  he  said  that  wanted  to  join  this  bond  together  with  world  all  of  you.   絆は、Bond, ties, link いろいろと使い方はあるが、謙さんの絆は何を使ったかは、英語の原文がないのでわからない。私はというより、Yahooは、bondであった。    

「72パターンに+@でなんでも話せる英会話」 講座は‘あやふやな’な話しをするときに使う言葉である。  基本パターンは、I  wonder  if +主語+動詞  “ ~かなぁ ”  例題として、  I  wonder  if   she  will  come  to  the  party.      I  wonder  if   you  read  my  email.      I  wonder  if  you  are  free  this  coming  Saturday.           I  wonder  if   you  had  changed  jobs.  などである。

講座修了後は、EMIさんから手作りの夫婦、抹茶茶碗をいただいた。まるで、立派な、お茶会で使うような、茶碗で、手触りのよさ、色合い、なによりも、陶芸教室で勉強され、心のこもった作品であることが嬉しい。


食べる屁理屈(村松友視)  風の姿(安岡章太郎)  

2011-09-07 09:10:36 | 日記

食べる屁理屈(村松友視) この本は、NHK出版刊 「男の食菜」 「味のある風景」に掲載されたエッセーと、その他新聞、雑誌に発表したなかから、食に関したものを選んだものである。 その一文に‘生ジラスがもたらす幸せ’があり、生のシラスを食べる顛末を次のように書いた。20年ほど前、篠原勝之、糸井重里、赤瀬川原平、南伸坊など、彼らが、有名になる前の頃の話で、その当時は、作者だけが定収入のある身分であったようである。生シラスの解禁は、3月21日で、そのころ、彼らと駿河湾の生のシラスを肴に一杯やるために、まずは、駿河、久能浜のシラス小屋へ電話をかけ船がでたかどうかを確かめて、船がでたとなると、アイスボックスを持って自宅をでた。タクシーで、吉祥寺駅へ、そこから、中央線で東京駅まで行き、新幹線に乗って静岡へ着くとそこからタクシーで、久能浜まで行き、1パック300円の生ジラスを買うのであった。往復のタクシー代と、JR新幹線の乗車券はいくら要したかとはしてなかったが、それにしても、早朝から、アイスボックスを肩にして駿河湾くんだりまで買いに行く気概こそ、食へのこだわりである。今の時代多くの人は、貴重な旬の食材を食べたいため、インターネットで探して、食べることはできるのであるが、本当の味は、現地まで行って食べるか、作者のように、買いに行く根性が必要のようである。私自身はそこまでの食い意地はないが、私には、幸いなことに、料理好きの家内が作ってくれる家庭料理がある。魚こそ手にはいらないが、近隣で採れる、キュウリ、タマネギ、トマト、牛蒡など、季節ごとに出回る日頃の味付けがまちがいなく、心がこもって美味しい。それだけに家内に対して、感謝せねばならないのであるが、感謝の心が少ないことを反省するのである

YOU-TUBEは、生シラスではなく、桜エビの美味しさを教えてもらったことを思い出した。そのこともあり、5,6年前に家内と熱海へ行き、そこで食べた桜エビは、たしかに現地の旬のものであった。 そのサクラエビを教えてくれた、KAIさんの持ち歌の一つ、「城ヶ島ブルース」で彼を偲んでみたい。

http://www.youtube.com/watch?v=utaRrzv_OZU&feature=related

風の姿(安岡章太郎) 2000年刊行 永井荷風文学紀行、志賀直哉訪問記、川端康成の笑顔、その他、井伏鱒二、阿川弘之、吉行淳之介などとの交流と文学論である。


町内フエスティバル

2009-10-11 20:22:58 | 日記

今年4月から町内の役回りで組長を担当している。先週の日曜日は校区の運動会で、テント張りから始まり選手の招集、弁当の受け渡しはともかく、グランドゴルフの選手にまでの忙しい一日であった。今日11日も町内のお祭りで、御神輿や、和楽太鼓、クイズ等子供さんに喜んでもらおうと手作りの町内あげてのお祭りである。昼公園の屋台で売っているたこ焼きと、串カツで家内と一杯やっているときに携帯電話が鳴った。母校桑名高校の100年祭が、長島温泉(花水木)で行われていたのであった。球友ASAさんからパーティーの賑やかな状況を伝えてくれ、パーティー会場が盛り上がっているせいか隣にいる家内にまで届くような音声でのプレゼントも嬉しかった。夕方お祭りの後片付けも終わり、宮里藍のタナボタVを見ているときにまたもや、携帯電話が鳴った。花水木のパーティーが終わり、そのままでは帰れない連中10名ほどらしいが桑名市内の私の妹と姪の経営する、スナックでもない、居酒屋でもない、なんとなく、街の集会所のような洋酒バー「ロブノール」からであつた。高校を卒業し50年近くたっても話し合える友達が多いことは幸せなことである。