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日本の人類学者19.北原 隆(Takashi KITAHARA・Jean FRISCH)[1926-2007]

2012年07月26日 | H5.日本の人類学者[Anthropologist of J

Takashikitahara

北原 隆(Takashi KITAHARA・Jean FRISCH)[1926-2007][有馬真喜子(1974)「ひと・北原 隆氏」『季刊・人類学』第5巻第2号より改変して引用](以下、敬称略。)

 北原 隆は、ジャン・フリッシュ(Jean FRISCH)として、1926年12月2日にベルギーのブリュッセルで生まれました。その後、ルーヴァンカトリック大学で哲学と自然科学を勉強したそうですが、どちらにも失望したそうです。1944年にイエズス会に入会し、1949年には来日して1952年まで3年間日本語を学びました。そして、フランスに行き、4年間神学を学んでいます。1955年には、カトリック司祭となりました。その後、渡米してシカゴ大学人類学部大学院に入学し、霊長類学者のシャーウッド・ウォッシュバーン(Sherwood WASHBURN)[1911-2000]の元で、自然人類学を学びます。シカゴ大学では、主に、化石及び現生のテナガザルの歯を研究しました。また、日本の霊長類学の動向を英訳して英語圏に紹介し、世界に知られるようになったことは大きな功績だと言えるでしょう。

 1961年のクリスマスに再来日し、1962年から上智大学で自然人類学を教えます。また、1963年から学部及び専攻を問わないゼミを開講しました。さらに、1977年からは上智大学理工学部生命科学研究所に所属し、人類学や生命倫理学を教えています。

 ジャン・フリッシュ(Jean FRISCH)は、1968年に日本へ帰化しました。日本名は、「北原 隆」にしています。この名前の由来は、苗字の「北原」は「蟻の町のマリア」として有名な北原怜子[1929-1958]から命名し、名前の「隆」は「長崎の鐘」や「この子を残して」の著書で有名な元長崎大学医学部教授の永井 隆[1908-1951]から命名したそうです。どちらも、キリスト教に関係した人物でした。

   北原 隆が書いた本として、以下のものがあります。

  • 北原 隆(1983)『人間とは何か:人類学が教えること』、どうぶつ社[このブログで紹介済み]
  • 北原 隆・乗越皓司(1986)『道具の起源:類人猿から初期人類への道具行動の発展』、東海大学出版会[このブログで紹介済み] 

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北原 隆(1983)『人間とは何か』表紙

 北原 隆は、2007年3月10日、心不全のためイエズス会の療養施設ロヨラハウスで死去しました。愛してやまない日本を終焉の地として選んだのです。カトリック司祭として人類進化を研究した人生は、まさしく、著名なフランスの人類学者のピエール・テイヤール・ド・シャルダン(Pierre Teilhard de CHARDIN)[1881-1955]の人生と重なります。実際、北原 隆は、上智大学に「テイヤール・ド・シャルダン奨学金」を立ち上げました。死後の2008年には、教え子達が北原 隆の誕生日に集まり祝った「二日会」により、「北原隆メモリアル賞」が創設されています。

 私は、北原 隆先生とは、1996年6月6日に上智大学で開催された『第2回生と死をめぐる比較思想』という研究会で「古人類学からみた先史時代人の生と死」を発表した際に、初めて親しく会話をさせていただきました。非常に穏やかで、かつ、幅広い人類学の知識をお持ちの方でした。

*北原 隆に関する資料として、以下のものを参考にしました。

  • 有馬真喜子(1978)「ひと・北原 隆氏」『季刊・人類学』、第5巻第2号、pp.132-135
  • 北原 隆(1983)『人間とは何か:人類学が教えること』、どうぶつ社

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