人類学のススメ

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世界の人類学者16.トーマス・ウィンゲート・トッド(Thomas Wingate TODD)[1885-1938]

2011年12月25日 | H4.世界の人類学者[Anthropologist of

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トーマス・ウィンゲート・トッド(Thomas Wingate TODD)[1885-1938][ハーマン-トッド・コレクションが移管されたクリーヴランド自然史博物館より引用。]

 トーマス・ウィンゲート・トッドは、1885年1月15日、イギリスのシェフィールドにて生まれました。やがてマンチェスター大学医学部に入学し、1907年に卒業します。卒業後すぐに、母校の解剖学教室で1907年から1908年にデモンストレーター、1908年から1909年にシニア・デモンストレーターとして勤務しました。1909年、トッドに転機が訪れました。心筋梗塞で亡くなった前任の教授の替わりとして、著名な人類学者、グラフトン・エリオット・スミス(Grafton Elliot SMITH)[1871-1937]がエジプトのカイロ医学校から着任したのです。トッドは、スミスの元で、1910年から1912年にかけて講師として勤め、人類学的素養を身につけました。この当時、トッドは、エジプトのヌビアから出土した人骨の整理を行っています。

 やがて、トッドに次の転機が訪れました。アメリカのオハイオ州クリーヴランドにある、ウェスタン・リザーヴ大学(後のケース・ウェスタン・リザーヴ大学)で、カール・オーガスト・ハーマン(Carl August HAMANN)[1868-1930]の後任として医学部解剖学教室教授に任命されたのです。ハーマンは、医学部長となるために解剖学教室主任教授の推薦を、著名な人類学者アーサー・キース(Arthur KEITH)[1866-1955]に頼み、キースは「イギリスで今最も有能な若者」と形容して推薦しました。

 1912年12月、トッドは渡米し、着任します。トッドは、その時、まだ弱冠27歳でした。第一次世界大戦中は、カナダ軍の軍医大尉として徴兵されイギリスで軍務につきました。戦後、大学に復帰したトッドは、1920年に解剖学教室教授兼ハーマン比較人類学解剖学博物館の館長に就任します。

 トッドが着任した当時、ハーマンにより作製された法医骨格標本が約100体存在していました。トッドは、このハーマンの仕事を引き継ぎます。まず、遺体が到着すると写真撮影が行われ、そして生体観察・生体計測が行われました。その後、法医解剖が行われ、必要に応じて皮膚や髪の毛のサンプル採取も行っています。また、ホルマリンに浸す前に、頭蓋・脊柱・骨盤の計測が行われたと言われています。このようにして収集した骨格標本は、1933年時点で約2400体あり、トッド死亡時の1938年にはヨーロッパ系約2000体・アフリカ系約1300体の合計約3300体にも達していました。このような法医骨格標本は、アメリカ国内にはワシントン大学セント・ルイス校でロバート・テリー(Robert J. TERRY)[1871-1966]が収集したテリー・コレクションしかありません。また、トッドは、霊長類の標本約1200点も収集しています。

 トッドは、この法医骨格標本を元にして、成長の研究や、後に法医人類学に貢献することになる、頭蓋骨縫合・骨端部癒合・恥骨結合等による死亡年齢推定の研究を行いました。中でも、恥骨結合部形態の経年変化による死亡年齢推定は、トッドの名前を世界中にとどろかせます。また、レントゲン撮影を行い、骨成熟の研究も行いました。この骨成熟の研究は、弟子のグリューリッチやパイルに引き継がれます。

 トッドは、1938年4月に第5代アメリカ自然人類学会会長に選出されましたが、同年12月28日にまだ53歳という若さで亡くなりました。持病の高血圧によるものと言われています。トッドは、亡くなるまでに約450編もの論文及び著書を残しました。毎日、朝7時から夕方6時まで勤務して努力した成果は、53歳という時点では破格と言えるでしょう。トッドの訃報を聞いた、かつての恩師アーサー・キースは、1939年にイギリスの解剖学雑誌に追悼文を寄せています。若くして死去したかつての弟子の追悼文を書いた、キースの心中はいかばかりのものだったでしょうか。

 トッドは、このケース・ウェスタン・リザーブ大学で、後に、法医人類学者となりアメリカ自然人類学会の指導者となる、ウィルトン・マリオン・クロッグマン(Wilton Marion KROGMAN)[1903-1987]、ウィリアム・モンタギュー・コッブ(William Montague COBB)[1904-1990]、ウィリアム・ウォルター・グリューリッチ(William Walter GREULICH)[1899-1986]等の弟子を育てました。実際、クロッグマンは第10代会長・コッブは第15代会長・グリューリッチは第16代会長に就任しています。

 なお、トッドが収集した法医骨格標本は、ハーマン-トッド・コレクションとして、1950年代から1960年代にかけて、クリーヴランド自然史博物館に移管され研究に使用されています。

*トッドに関する文献として、以下のものを参考にしました。

・Frank Spencer (1997) 'Todd, T(homas) Wingate (1885-1938)', "History of Physical Anthropology: An Encyclopedia, Vol.2"(Frank Spencer ed.), Garland Publishing, pp.1038-1040.

・Arthur Keith (1939) 'In Memoriam: Thomas Wingate Todd (1885-1938)', J. Anatomy, 73(pt2): 350-353.

・Montague Cobb (1959) 'Thomas Wingate Todd, 1885-1938', "Journal of the National Medical Association", 51(3): 233-246.

・楢崎修一郎(1989)「ハーマン-トッド・コレクションとテリー・コレクション」、『人類学雑誌』、97(1): 145-147.