人類学のススメ

人類学の世界をご紹介します。OCNの「人類学のすすめ」から、サービス終了に伴い2014年11月から移動しました。

雑記9.溝口優司先生退職お祝いの会

2014年03月24日 | A6.雑記[Miscellaneous]

 昨日、2014年3月23日(日)に、『溝口優司先生退職お祝いの会』が、東京の上野にある精養軒で開かれました。

 溝口優司先生は、1973年に富山大学文理学部理学科生物学専攻で卒業後、東京大学理学系研究科人類学専攻博士課程に進学されます。富山大学時代は、卒論を遺伝学か発生学で書くか迷っていたそうですが、砺波高校に東京帝国大学理学部人類学科を卒業した林 夫門さんがいると知り、この林さんから人類学の手ほどきを受けて蕃人山横穴墓(富山市安養坊)から出土した人骨で卒論を書いたそうです。

 東京大学大学院時代は、歯の研究で著名な埴原和郎[1927-2004]先生に師事して研究を続けました。ご本人は、頭蓋骨の研究を行いたかったようですが、埴原先生が歯しか指導できないとの事で歯を研究する契機になったと、ご本人が語っておられます。1983年には、「統計学的手法による上顎切歯シャベル形の形態分析 」により、東京大学から理学博士号を取得されています。学位論文は、1985年に「Shovelling:a statistical analysis of its morphology」が、東京大学総合研究博物館から出版されました。

 国立科学博物館では、1976年に国立科学博物館人類研究部研究官、1989年に同主任研究官、1991年に人類第2研究室長を経て、2009年に人類研究部長に就任してこの2014年3月末で定年退官されます。

 「溝口優司先生退職お祝いの会」に先立って、午後4時から4時30分にかけて、溝口優司先生の38年にわたる研究を短くまとめた「どうしてこんな顔に」という講演会が行われました。この講演会では、歯から始まった研究が元々興味のあった頭蓋骨の研究に移り、最近、歯の咬耗度と頭の形に相関関係がある事をつきとめ、咬耗が強い人は咬耗が弱い人よりも、顎の部分がより前方に、後頭部がより後方に伸びる傾向があることを発見したことが語られました。

 その後、午後5時から午後7時にかけて「溝口優司先生退職お祝いの会」が、国内の多くの人類学者が集まって開催されました。参加者は、北は北海道・南は沖縄から集まっており、溝口優司先生の研究交流の広さを示していました。

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溝口優司先生退職のお祝いの会での溝口優司先生ご夫妻と挨拶をしている、現・日本人類学会会長の松浦秀治先生(お茶の水女子大学)。[お二人は、かつて、国立科学博物館人類研究部で同僚でした。]

 私は、若い頃、国立科学博物館人類研究部で佐倉 朔先生のご指導を受けており、溝口優司先生や松浦秀治先生とよく飲んでいました(時々、金澤英作先生)。

 なお、溝口優司先生は、ご自宅近くにワンルームマンションを借りて、膨大な研究資料や図書を移動させ、これからも人類学研究をお続けになられるとのことでした。


雑記8.全国戦没者追悼式

2012年08月16日 | A6.雑記[Miscellaneous]

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全国戦没者追悼式式次第(*画像をクリックすると、拡大します。)

 2012年8月15日(水)、日本武道館で開催された、「全国戦没者追悼式」に招待されたので参列してきました。

 式は、11:51に開式となり、天皇皇后両陛下後臨場・国歌斉唱・内閣総理大臣式辞・黙祷・天皇陛下のおことば・来賓による追悼の辞・遺族代表による追悼の辞・天皇皇后両陛下ご退場と進み、内閣総理大臣・来賓・厚生労働大臣・地方公共団体代表・各都道府県遺族代表による献花と進み、参列者退出で終了しました。

 私は、2011年9月に、マーシャル諸島ミリ(ミレー)島での戦没者遺骨収集に参加した関係で参列させていただきました。初めてのことでしたが、貴重な体験をさせていただきました。


雑記7.千鳥ヶ淵戦没者墓苑拝礼式

2012年05月29日 | A6.雑記[Miscellaneous]

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千鳥ヶ淵戦没者墓苑拝礼式式次第(*画像をクリックすると、拡大します。)

 2012年5月28日(月)、千鳥ヶ淵戦没者墓苑で開催された、「千鳥ヶ淵戦没者墓苑拝礼式」に招待されたので参列してきました。

 式は、12:30に開式となり、国歌斉唱・厚生労働大臣式辞・厚生労働大臣農国・常陸宮同妃両殿下御拝礼・常陸宮同妃両殿下ご退場と進み、内閣総理大臣・各大臣・各国駐日大使・各委員長・各政党代表・都道府県知事代表・日本遺族会会長・遺族代表・千鳥ヶ淵戦没者墓苑奉仕会会長の献花と進み、参列者の拝礼で終了しました。

 私は、2011年9月に、マーシャル諸島ミリ(ミレー)島での戦没者遺骨収集に参加した関係で参列させていただきました。初めてのことでしたが、貴重な体験をさせていただきました。


雑記6.金澤英作教授退任祝賀会

2012年03月31日 | A6.雑記[Miscellaneous]

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 2012年3月30日(金)に、帝国ホテル光の間で開催された、「金澤英作教授退任祝賀会」に出席してきました。会場には、約200人の方々が出席されており、賑やかなパーティーでした。人類学会からは、約20人が出席しました。

 また、会場では『金澤英作教授退任記念誌』というB5版で154頁もある立派な記念誌が配布されました。私も、「兄弟子としての金澤英作先生」という短文をp.19からp.20にかけて書かせていただいています。

 金澤英作先生は、1947年に東京でお生まれになり、東京大学農学部獣医畜産学科を卒業後、大学院へ進学されます。1973年に北里大学医学部解剖学教室助手・1978年に日本大学松戸歯学部専任講師に就任され、 1991年に同大学第1解剖学教室助教授・1992年に同大学第1解剖学教室教授に就任されています。また、2009年11月には、日本人類学会会長に就任されました。

 この会の式次第は、以下の通りです。

開会

  • 金澤教授略歴紹介

来賓祝辞

  • 牧村正治
  • 尾崎 公

退任の挨拶

  • 金澤英作教授

乾杯

  • 東山 寛

来賓祝辞

  • 高田邦昭
  • 溝口優司
  • 草間 貞
  • 大竹繁雄
  • 葛西一貴
  • 北原喜一

金澤教授思い出の写真

花束・記念品贈呈

お礼の言葉

閉会の辞

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金澤英作教授退任祝賀会にて(左:馬場悠男先生・右:私)[山田博之先生撮影]

 なお、金澤英作先生は、2012年4月から北原学院歯科衛生専門学校の校長に就任されるとのことでした。


雑記5.国立科学博物館の移転

2012年01月14日 | A6.雑記[Miscellaneous]

 昨日、2012年1月13日(金)に、国立科学博物館新宿分館に行って来ました。これは、人類研究部の方達が、特別に移転する前に見納めをするという催し物で、午後4時から人類学の研究者に公開したものです。その後、午後6時から新年会が開かれ、私も参加してきました。会はなかなか盛況で、日本国内の人類学者約40名が集い、国立科学博物館の移転を祝いました。

 その際、『国立科学博物館研究部筑波地区へ移転記念:写真で見る研究部・さらなる活発な研究活動に向けて』というA4版で10頁のパンフレットとA4版裏表のリーフレットをいただきました。

 国立科学博物館の歴史は、1871(明治4)年にまで遡ります。正式な創立年は、東京博物館が教育博物館と改称された1877(明治10)年にしているそうです。その後、1881(明治14)年に東京教育博物館に改称、1921(大正10)年に東京博物館に改称、1931(昭和6)年に東京科学博物館に改称、1949(昭和24)年に国立科学博物館に改称されています。

 ちなみに、人類研究部は、1972(昭和47)年5月に、その年の3月に東京大学理学部を退官した鈴木 尚[1912-2004]先生により人類研究室として創設され、1974(昭和49)年4月に人類研究部に改組されて現在に至っています。現在の国立科学博物館には、人類研究部の他に、動物研究部・植物研究部・地学研究部・理工学研究部と5つの研究部があり、自然史及び科学技術史研究のセンターとして機能しています。

 移転は、今年、2012年の3月までに完了する予定だそうで筑波実験植物園の一角になるそうです。

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国立科学博物館1.『写真で見る研究部』パンフレット表紙(*画像をクリックすると、拡大します。)

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国立科学博物館2.『写真で見る研究部』パンフレット裏表紙(*画像をクリックすると、拡大します。)

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国立科学博物館3.リーフレット表(*画像をクリックすると、拡大します。)

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国立科学博物館4.リーフレット裏(*画像をクリックすると、拡大します。)


雑記4.我が家のシダレザクラ(2011年4月11日)

2011年04月11日 | A6.雑記[Miscellaneous]
              我が家のシダレザクラ
 我が家のシダレザクラがほぼ満開になりました。例年は、公園のサクラ(桜)が咲いてから少し遅れて咲くのですが、今年はほぼ同時に咲きました。また、いつもは葉ザクラとなることが多いのですが、今年は葉もまだ出ておらずとても綺麗に咲いているので、特別にアップします。
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シダレザクラの全景(奥に見えるのが公園のサクラ)
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シダレザクラの近接(いつもは、葉ザクラとなることが多いのですが・・・)

雑記3.群馬県立自然史博物館BONES展訪問記

2009年11月23日 | A6.雑記[Miscellaneous]

 本日、11月23日(月)午後に、私が以前勤務していた群馬県立自然史博物館の第34回企画展「BONES」展を見学してきました。招待状をもらっていて、まだ、期間があるなとぐずぐずしている内に、とうとう最終日になってしまいました。

 連休の最終日ということで、館内には結構、来館者がいました。

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群馬県立自然史博物館第34回「BONES」展図録表紙

(*画像をクリックすると、拡大します。)

図録の内容は、以下のように全7章からなります。

  1. 骨と骨格
  2. 外骨格と内骨格
  3. 骨の機能
  4. 骨は生きている組織
  5. 成長する骨
  6. 骨からみえるもの
  7. 動く骨格:多様な動物たちのからだ

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BONES展1.入口(*画像をクリックすると、拡大します。)

 入口には、実物人体骨格標本15体が展示されていました。この骨格標本は、私が勤務中に資料購入を担当したものです。アメリカから輸入しました。現在では、これほどの骨格標本はなかなか手に入りにくく、大変、貴重な標本です。最近では、レプリカもアメリカで売られていますが、これだけの数の全身骨格は、まだ販売されていません。

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BONES展2.実物人体骨格標本1[左から、25歳・15歳・11歳・8歳・6歳]

(*画像をクリックすると、拡大します。)

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BONES展3.実物人体骨格標本2[左から、4歳・2歳・1歳・生後2ヶ月・胎児9ヶ月・胎児8ヶ月・胎児7ヶ月・胎児5ヶ月・胎児4ヶ月・胎児3ヶ月](*画像をクリックすると、拡大します。)

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BONES展4.シマウマの全身骨格

(*画像をクリックすると、拡大します。)

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BONES展5.様々な動物の歯(*画像をクリックすると、拡大します。)

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BONES展6.アリクイの剥製と骨格標本

(*画像をクリックすると、拡大します。)

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BONES展7.パンダの剥製と骨格標本

(*画像をクリックすると、拡大します。)

 骨が満載で、なかなか良い企画展でした。 


雑記2.沈まぬ太陽と小倉寛太郎氏

2009年11月05日 | A6.雑記[Miscellaneous]

 本日、映画『沈まぬ太陽』を観てきました。上映時間3時間22分は、10分間のインターミッションがあるもののかなりの長時間でしたが、それでも内容が素晴らしいので見入ってしまいました。

 山崎豊子さんによる原作で、映画では俳優・渡辺 謙さんが演じる主人公・恩地 元のモデルは、小倉寛太郎[1930-2002]さんだと言われています。

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(映画館で購入したパンフレット)

 実は、私は以前勤務していた群馬県立自然史博物館で、小倉寛太郎さんとお会いしたことがあります。1998年だったと思いますが、2本の電話が発端でした。

 1本目は、群馬サファリパークからで、サファリパークで預かっている動物の標本を博物館に移管したいとのことでした。時をおかず、2本目の電話は女子栄養大学からでした。この女子栄養大学には、動物学者の小原秀雄さんが勤務されていたのですが、1998年に退職されたため、大学が預かっている動物の標本を博物館に移管したいとのことでした。

 ほぼ同時にきた電話ですが、この2ヶ所の標本は、小倉寛太郎さんがアフリカのケニアに勤務していた時代に製作させた剥製標本や骨格標本でした。

 その後、小倉さんと奥様が来館され、親しくお話をさせていただいたことを思い出しました。その時に、小倉さんが墜落事故の担当をされたことや、縁のある群馬県の施設に移管したいというご希望を伺いました。また、私自身、小倉さんがかつて勤務された海外の内、パキスタンのカラチとケニアのナイロビには行ったことがありますので、共通点がありました。さらに、小倉さんと私の父が、小倉さんの奥様と私の母が、小倉さんのご長男と私の年齢が同じだという偶然に驚きました。ちなみに、映画では女優・鈴木京香さんが恩地りつ子さんを演じています。その後、私は異動したためにお会いすることはありませんでしたが、小倉さんが出版された本を寄贈していただきました。

 この小倉コレクションは、現在、群馬県立自然史博物館に所蔵されています。なお、博物館では、現在、『沈まぬ太陽』の公開に合わせて、2009年11月4日~2009年12月27日まで、剥製を展示しています。これらの剥製は、主人公のナイロビの自宅に飾られていたもので、博物館から貸し出して撮影したようです。実際、パンフレットにも協力として博物館の名前が記載されています。

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雑記1.コダクロームの製造中止

2009年06月29日 | A6.雑記[Miscellaneous]

 ナショナル・ジオグラフィック・ニュースの記事で、アメリカのフィルム製造会社のイーストマン・コダック社が、6月22日に、「コダクローム」の製造中止を発表し、74年の歴史に幕を降ろすことになったそうです。

 このコダクロームには、思い出があります。1980年代にアメリカに留学していた際、カラーのリバーサル・フィルムに、エクタクロームとコダクロームがありました。当時の個人的な印象では、エクタクロームの色の仕上がりは青く、コダクロームは忠実に再現されている感じがしました。ただ、貧乏学生にとっては価格が安いエクタクロームを主に使用していました。

 1986年の夏に、ハーヴァード大学のサマー・スクールに参加して、アフリカのケニアにあるクービ・フォラ遺跡で約2ヶ月古人類学の調査実習をしました。その調査に参加する前は、アメリカのワシントンDCにあるジョージタウン大学医歯学部で人体解剖実習を受けていたのですが、大学近くのカメラ屋で一眼レフカメラを初めて購入しました。アフリカの調査に備えてのことでした。そのカメラは、当時、世界初のオートフォーカス付きのミノルタのカメラでした。有名な「α」シリーズですが、アメリカで購入したものにはなぜか「α」の文字はありませんでした。

 カメラ屋の店員に、フィルムの相談をすると、「アフリカのような暑い場所に行くのであれば、コダクロームをすすめる。」という話で、エクタクロームより少し高かったのですが、コダクロームを数十本購入してアフリカに行きました。

 カメラ屋の店員がすすめるように、現像から仕上がったコダクロームは素晴らしいものでした。あれから20数年たちますが、当時のスライドは全く色褪せることなく、私の書斎に保管されています。デジタルカメラに移行したために仕方がないのでしょうが、少し寂しく感じました。アナログ派な私にとっては、約100ある富士フイルムのスライド・ボックスファイルは、よくこれまで撮りためたなと実感ができます。もちろん、保管場所はかなりとるのですが・・・。一方、わずかな大きさのハード・ディスクに何千枚も入っているというのは実感がわきません。そう思うのは、私だけでしょうか?