昨日、2014年3月23日(日)に、『溝口優司先生退職お祝いの会』が、東京の上野にある精養軒で開かれました。
溝口優司先生は、1973年に富山大学文理学部理学科生物学専攻で卒業後、東京大学理学系研究科人類学専攻博士課程に進学されます。富山大学時代は、卒論を遺伝学か発生学で書くか迷っていたそうですが、砺波高校に東京帝国大学理学部人類学科を卒業した林 夫門さんがいると知り、この林さんから人類学の手ほどきを受けて蕃人山横穴墓(富山市安養坊)から出土した人骨で卒論を書いたそうです。
東京大学大学院時代は、歯の研究で著名な埴原和郎[1927-2004]先生に師事して研究を続けました。ご本人は、頭蓋骨の研究を行いたかったようですが、埴原先生が歯しか指導できないとの事で歯を研究する契機になったと、ご本人が語っておられます。1983年には、「統計学的手法による上顎切歯シャベル形の形態分析 」により、東京大学から理学博士号を取得されています。学位論文は、1985年に「Shovelling:a statistical analysis of its morphology」が、東京大学総合研究博物館から出版されました。
国立科学博物館では、1976年に国立科学博物館人類研究部研究官、1989年に同主任研究官、1991年に人類第2研究室長を経て、2009年に人類研究部長に就任してこの2014年3月末で定年退官されます。
「溝口優司先生退職お祝いの会」に先立って、午後4時から4時30分にかけて、溝口優司先生の38年にわたる研究を短くまとめた「どうしてこんな顔に」という講演会が行われました。この講演会では、歯から始まった研究が元々興味のあった頭蓋骨の研究に移り、最近、歯の咬耗度と頭の形に相関関係がある事をつきとめ、咬耗が強い人は咬耗が弱い人よりも、顎の部分がより前方に、後頭部がより後方に伸びる傾向があることを発見したことが語られました。
その後、午後5時から午後7時にかけて「溝口優司先生退職お祝いの会」が、国内の多くの人類学者が集まって開催されました。参加者は、北は北海道・南は沖縄から集まっており、溝口優司先生の研究交流の広さを示していました。
溝口優司先生退職のお祝いの会での溝口優司先生ご夫妻と挨拶をしている、現・日本人類学会会長の松浦秀治先生(お茶の水女子大学)。[お二人は、かつて、国立科学博物館人類研究部で同僚でした。]
私は、若い頃、国立科学博物館人類研究部で佐倉 朔先生のご指導を受けており、溝口優司先生や松浦秀治先生とよく飲んでいました(時々、金澤英作先生)。
なお、溝口優司先生は、ご自宅近くにワンルームマンションを借りて、膨大な研究資料や図書を移動させ、これからも人類学研究をお続けになられるとのことでした。