ひまわり博士のウンチク

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「ガマフヤー」具志堅隆松さん

2012年05月15日 | 昭和史
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 12日から14日まで沖縄に出かけた。平和行進に便乗しての、取材と打ち合わせが目的。
 「ガマフヤー」の具志堅隆松さんと某出版社の仕事の関係で会う。話を聞きながら遺骨収集現場を案内してもらった。
 
 「ガマフヤー」とは沖縄の方言で「ガマを掘る人」転じて遺骨を収集する人のことを言う。具志堅隆松さんはあるとき、宅地造成でユンボに削り取られた斜面から、遺骨や遺品が見つかったことから、「このままにしておけない」と、国に遺骨の発掘を優先することを申しいれた。
 ところが、国が行う遺骨収集は、入札で土木業者に委託するというものだった。つまり、土木業者の金儲けの手段になっているのである。これを知った具志堅さんは怒り心頭に発し、業者に手を付けさせず、国の制度を利用して、ホームレスや失業者のために事業として、またボランティアの協力者をつのり発掘をはじめたという。
 
 沖縄本島は道路建設や宅地造成で急速に開発が進み、激戦地など、いまだに遺骨が回収されないままの山や丘が切り崩されている。具志堅さんは工事中に遺骨が発見されたら、遺骨の回収を優先するように工事業者に申し入れている。
 今回案内されたのは三か所で、冒頭の写真は激戦で名高い前田高地の一角。近くには基地交付金で建設された「立派」な前田トンネルが走る。
 宅地造成工事のさなかに、日本軍の構築による広大な壕が発見された。この壕の趾から大量の遺骨と遺品が発見され、現在工事は止められている。
 
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  ビンや飯盒、砲弾の破片、注射器など。
 
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 これは銃剣(ゴボウ剣)。
 
           ◇
 
 具志堅さんが「アジト」と呼ぶ小屋がある場所から、すぐに下りになる西原の斜面に案内された。
 「さ、行きましょう」と言いながら、具志堅さんは靴を履き替えている。
 「え、靴履き替えるんですか?」
 「ちょっときついところへ入るんでね」
 そう言われても、こっちは履き替える靴などもってきていないからスニーカーのままだ。
 斜面を下ると、そこはもうミニジャングルだった。
 「両手、空けといてね」
 おいおい、こっちは何の準備もしてないんだからお手柔らかに頼みますよ。
 カメラとバックを斜めに掛けなおして、薮の中を進む。折れて先の尖った竹、足に絡み付くツタや大きな倒木が行く手を阻む。
 「どっちに行こうかな」
 具志堅さん自身も試行錯誤しながら薮をかき分けながら進んでいく。こっちはついていくだけで大変だ。折れた枝に引っ掻かれるし、蚊にも刺される。
 「ハブが出そうですね」
 「いるでしょうね」
 「え?」
 「小屋からそんなに離れてないから(かまれても)大丈夫」
 できればかまれたくない。
 
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 具志堅さんは途中途中の木の枝に目印の赤いテープを貼って行く。迷子にならないためかと思ったが、そうではなく、通り道の痕跡を残すためだ。富士の裾野の青木ヶ原じゃあるまいし、方向まで見失うことはない。
 「地面に赤いテープがあったら、遺骨ですから踏まないでね」
 突然そう言われて足下を見ると、大腿骨とおぼしき大きな骨が転がっている。
 「頭蓋骨があります」
 指差す方を見ると、原形をとどめた頭蓋骨があった。
 
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 丘の上で戦死した遺体が雨風にさらされながら、年月の経過とともに白骨化し、ばらばらになって斜面を滑り落ちてきたのだろうと言う。
 
 発見した遺骨で引き取り手のないものは摩文仁の共同墓地に納められるが、見つけてすぐには移動しないそうだ。現在ではDNA鑑定できる可能性が高く、遺族を見つけられる可能性が高まっているといわれる。したがって、遺族が見つかれば現場に来て引き取ってもらうようにしているそうだ。しかし、そばに名前の入った遺品でも残っていない限り、特定することは不可能で、これまで遺族がわかった遺体は5体ほどだという。
 
      ◇
 
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 ここは、NHKでも紹介された真嘉比小学校の下の造成地。ゆいレール「おもろまち」駅のすぐ近くで、沖縄戦では米軍の首里への侵攻を食い止めようと激しい戦闘が繰り広げられ、日本軍は全滅、米軍も2000人ほどが戦死した激戦地だった。
 この地で道路建設が始まったとき、掘り下げられた土の中から膨大な量の遺骨と遺品が掘り出された。中断した道路工事は遺骨の収集が終ってから継続され、現在一部が開通している。
 
 かつて、高台の小学校近くに1本の立ち木があり、戦争中その木の陰に隠れていて戦死した日本兵がいたのだろうか、「兵隊さんを見た」という情報が多数寄せられたそうである。その木は気味悪がられて切られてしまったが、ほんとうに切ってしまってよかったのかどうか、遺骨を見つけて欲しいというメッセージではなかったのかと具志堅さんは言う。
 
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 現場で見つけた小銃の弾丸と薬莢。上の鉄片は砲弾の破片と見られる。
 持ち帰るとき、空港で止められた。想像はしていたのでダメなら廃棄しようと思っていたが、空港職員が親切で、資料にしたいと言ったら警察官の許可を得てくれた。中には本物の実弾を持ち帰ろうとする人がいるので、規制を厳しくしているそうだ。
 
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■2011・6・7 中村哲医師講演会■
~ケシュマンド山系に記録的集中豪雨 緊急報告~

主 催/ペシャワール会現地報告会実行委員会
後 援/杉並区教育委員会

 2011年6月7日、アフガニスタンで活躍する中村哲医師の講演会を実施いたします。
 後援へのご参加と、ご賛同をお願いいたします。
 
 〔日時〕2012年 6月7日(木)18時20分 開場 18時40分 開演
〔会場〕セシオン杉並大ホール(地下鉄丸ノ内線東高円寺下車5分)
〔料金〕前売り 1,200円/当日 1,500円(高校生以下無料)
 
◆詳しくは以下にアクセス
 http://blog.goo.ne.jp/gallap6880/d/20120503