ひまわり博士のウンチク

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若松孝二『キャタピラー』

2010年09月05日 | 映画
Caterpillar
 
 若松孝二監督の『キャタピラー』を観た。いやあ、これはすさまじい映画だ。二度観る気はしないが、一度は観ておいた方がいいだろう。
 
 感想の前に、若松孝二という人はどういう人か紹介しておく。
 1960年代後半、全共闘が最も活躍していた当時の、ピンク映画の監督である。
 アダルトビデオなどなかった時代に、ピンク映画は隆盛を極めた。神田駅のガード下や銀座三原橋の地下のしょんべん臭い映画館で、毎週新作が架けられていたものだ。
 「あの」場面だけがカラーになるパートカラーという手法も、限られた予算のピンク映画から生まれた。
 女優の質も、今のAVとは比べ物にならないほどレベルが低い。どう見ても中年の肌の垂れ下がった女優がセーラー服を着て登場したりもする。客席から「ひでえ」と声が漏れることもしばしば。しかしそれでも、「愛情か暴力によらなければ見ることは出来ない」ものを唯一、見ることが出来た場だったのだ。
 
 若松孝二はしかし、他のピンク映画とはいささか異なった作品が多く、学生運動や労働運動を扱い、「反体制」の匂いの強い作品を撮っていた。
 大手の映画では当時、一瞬でも女性の裸体が写れば18禁にされ、ベッドシーンでもパンツどころか男性はズボンを穿いていたりする時代で、「四畳半襖の下張り」事件に象徴されるように、映画に限らずすべての芸術作品において性描写が極端に禁じられていた。
 そうした時代に、ポルノグラフィーを反体制運動と結びつけていたのである。そのためか、既成概念を破壊しようとする全共闘の多くに支持されていた。
 
 当時、リアルタイムで見た作品は、「胎児が密猟する時」(1966)、「犯された白衣」(1967)、「処女ゲバゲバ」(1969)。
 「侵された白衣」では唐十郎が脚本を書き、主演もしていたが、その役名が「美少年」。これには笑った。
 
 ちなみに、高橋(関根)恵子の夫君、高橋伴明監督は若松プロにいたことがあり、若松孝二監督とはいわば師弟関係だ。
 
 
以下〈あらすじ〉*ネタバレあり。
 
 1940年、黒川久蔵(大西信満)は自然に囲まれた農村から出征し、中国で三光作戦に参加する。
 中国では村を襲い、女性を犯すために追いかけて、炎が上がる家の中で手込めにした女性共々建物の下敷きになる。
 
 両手両足を失って帰還した久蔵が得たものは、金鵄勲章と呼ばれるリボンで飾られた三枚のブリキ板と、「軍神」という「名誉」だった。
 だが、中国で久蔵のやってきたことは、勲章に値することでも、軍神と呼ばれるにふさわしい功績でもなかったのだ。
 しかし、家を出れば村の人々は久蔵に手を合わせ、米や卵の貢ぎ物を受け取る「軍神様」だった。
 
 自分では何をすることも出来ず、食べることとセックスだけが旺盛であった。
 そんな夫を、妻のシゲ子(寺島しのぶ)は「これもお国のため」と自分を納得させてかいがいしく世話をする。
 食べ物が乏しく、薄い雑炊さえ満足に食べられない時代だったが、食べることしか生きがいのない夫に自分の分まで与え、求められれば疲れたからだに鞭打って夫の欲望に応えていた。
 「食べて寝て、食べて寝て……」
 
 だが、時が過ぎ記憶がよみがえるにつれ、久蔵は自分が中国で行って来たこと悪夢となって自らをさいなみ、あれほど旺盛だったセックスもままならなくなっていく。
 「軍神」はもう、「芋虫」でしかなくなっていた。
 「芋虫ごーろごろ……」
 
 1945年8月15日、敗戦。
 結局、すべてが無意味だったと気付いた久蔵は、芋虫のように家を這い出て、自ら身を池に沈めた。
 
 
 壮絶な反戦映画である。
 究極の傷痍軍人となった久蔵は、まさに敗戦日本の姿を如実に表している。
 手も足も出なくなったにもかかわらず、精神力だけで戦い続け、結局周囲を巻き込んで傷を広げていった日本の姿を象徴しているのが「芋虫」になった久蔵である。自分が芋虫になったことさえ認めようとしなかった大日本帝国は、久蔵よりも罪が深いことは誰が見てもわかる。
 敗戦によって、手に入れたと思っていた名誉も誇りも幻想であったことを気付かされ、その代償として失ったものの大きさを突きつけられたとき、戦争指導者たちは愕然とした筈である。
 しかし、多くの戦争指導者は、それに目をつぶった。映画のなかで頻繁に映し出される、家の鴨居に架けられた写真の昭和天皇と皇后は、死ぬまで戦争責任をとらなかった。
 
 若松孝二監督が、久蔵に日本の雛形を求めたことは、あまりにもわかりやすい。
 若松監督は以前なにかで、食べることとセックスは、人間が最後までもち続ける欲望だといっていた。だから自分は、「人間の交尾を描き続ける」と。
 三光作戦は、極限情況におかれた人間の欲望をまさに象徴している。略奪は食欲、暴行は性欲である。
 
 若松監督は、四肢を失った傷痍軍人を、映画『ジョニーは戦場に行った』と、江戸川乱歩の『芋虫』からイメージしたと言っているが、シチュエーションは、山上たつひこの漫画、『光る風』に近いと思う。同じく四肢を失って帰還する男の姿や振る舞い、池に浮かぶ最後の姿など、印象的なイメージが重なる。
 ただ、四肢を失った原因はまったく違う。『光る風』は新兵器開発での事故であり、『キャタピラー』は本来なら戦闘行為とはいえない三光作戦中の婦女暴行が高じての、自業自得ともいえる負傷だ。
 
 ただ、元ピンク映画監督にしては、セックスシーンを、照明を落とすなどして比較的抑えめに描写している。「芸術作品を狙ったな」と突っ込みを入れたい気がする。それにしても、テレビの地上波では上映しにくい作品だろうから、映画館で上映しているうちにご覧になることをおすすめする。 一般1300円と低価格だ。50歳以上のペアチケットだと二人で2000円で見られる。
 
 エンディングでは、広島長崎の原爆投下による犠牲者数が字幕で流され、日本軍がアジアの人々を殺害した2000万人という犠牲者の数が観客に突きつけられる。そして、元ちとせが歌う、ヒクメットの「死んだおんなの子」は、エンドロールのバックで象徴的である。
 
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