内田百閒(うちだ・ひゃっけん)
*コンピュータによっては「けん」の字が出ないかもしれません。門構に月です。
変なオヤジです。写真で見た通りの気難しやで、とにかく頑固。
1967年の12月、百閒先生は芸術院の会員に推薦されました。芸術院の会員になれば、60万円(当時)の年金が入る訳で、決して裕福とは言えない百閒先生にとってはありがたいはず。
なのに断ってしまいます。しかもその理由というのがふるっています。
「イヤダカラ、イヤダ」
このように言ったと伝えられていますが、お使いの人にメモが渡され、その通りに伝えてくれと書いた内容は次の通りです。
「……サレドモ、ご辞退申し上げたい。ナゼカ。芸術院という会に入るのがイヤなのです。ナゼイヤカ。気が進まないから。ナゼ気が進まないか。イヤダカラ……」
まったくもう、という感じですね。
『ツィゴイネルワイゼン』(鈴木清順監督)という映画がありました。縁があって、ほんのちょびっとだけお手伝いをさせてもらった映画でしたが、この映画に原作があって、原題が『サラサーテの盤』。その原作者が内田百閒だということは知っていましたが、そのときは内田百閒なる人がどんな人なのかはほとんど知らずじまい。
それからだいぶ経って、神田の古本屋の店先に出ていたワゴンの中に、100円だったか200円だったかで、裸本の『阿房列車』を見つけました(写真)。
あいだに、内田百閒とともに旅をした、平山三郎の記事が挟まっていました。いつの新聞記事なのかわかりません。
それはともかく、おもしろい! とにかくむちゃくちゃでおかしい。
旅行に行きたいけれど金がない。一人で行くのはつまらない。
そこで、国鉄職員の若い友達、平山三郎がつきあわされることになります。
平山三郎は小説の中では「ヒマラヤ山系」という名前で登場します。ヒマラヤ山系、ヒラヤマ三郎。
旅費もないので知り合いから借りることにするのですが、そのいきさつがまた傑作なので、ちょっと長くなりますが引用します。
いい折りを見て、心当たりを当たってみた。
「大阪へ行ってこようと思うのですが」
「それはそれは」
「それについてです」
「急な御用ですか」
「用事はありませんけれど、行ってこようと思うのですが」
「ご逗留ですか」
「いや、すぐ帰ります。ことによったら着いたその晩の夜行ですぐに帰ってきます」
「ことによったらとおっしゃると」
「旅費の都合です。お金が十分なら帰ってきます。足りなそうなら一晩ぐらい泊まってもいいです」
「わかりませんな」
「いや、それでよくわかっているのです。慎重な考慮の結果ですから」
「ほう」
「それで、お金を貸してくださいませんか」
こうして相手をけむに巻いて、まんまと借りてしまいます。
はまりました。この一冊で飽き足らず次から次へと読みあさってしまいました。
そうして、いつの間にか内田百閒作品が書棚にたまってきました。
ところが、作品集を原作通りの旧字旧仮名で出していた六興出版社が倒産。その後、旺文社や福武書店が文庫で出しましたが、現代仮名遣いに直したものでした。
岩波文庫でも何冊か出ていますが、これも同じです。
いま、『阿房列車』は新潮文庫から出ています。
内田百閒は夏目漱石の弟子で、『我が輩は猫である』の水瓶に落ちて死んだ猫を生き返らせ、再び大活躍させた作品に『贋作我が輩は猫である』があり、これも傑作。
とりあえず、『阿房列車』から、手に取ってみましょう、きっとはまります。
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