ふうてんの猫の猫耳東風的フリチベ生活

働きながら和製MBAと工学博士取得をしていた自称苦学生バックパッカーの日記。
今は学位もとって大阪で技術戦略考えてます

自分らしい仕事 

2005年11月20日 | IT・情報化・コンサルティング
仕事を通じて自己実現、というのは派遣会社やアルバイト派遣会社も言いますし、まして正社員ともなれば雇う側の企業も、仲介するリクルートなどの会社も人生の実現、夢をかなえる、といったことを語ります。

マンパワーでは
「私たちマンパワーでは、自分らしさを活かすために働きたいという、あなたの前向きな気持をサポートし続けていきます。」
といっています。別にマンパワーに恨みはまったくないのですが、多分、こういうことを言うエージェント会社は多いのだろうと思います。

でも、僕はそういう台詞にある「うさんくささ」って嫌いだなぁと思います。
例えば、派遣会社で働くにしても旦那さんが年収1500万円くらいあって不自由なく暮らしているけど、
「家にいてお紅茶いただいている生活も少し飽きましたし、外の空気も吸ってみたくなりましってよ」
てな感じで、別にお金じゃなくて本当に自己実現のために働くよぉってな人なら、「自分らしさ」を追及すればいいでしょうが、普通は、「お金」とか「休み」とか衛生要因っていわれるような、無いと困るっていうものが仕事の基準になるんじゃないでしょうか?

「自分が好きな仕事」、「やってもいいなぁと思う仕事」もあれば、「絶対にしたくない仕事」、「自分ではできない仕事」っていうのもあるでしょう。
僕の場合は体力が乏しいので徹夜が続くような仕事は「できない仕事」ですね。
また、口八丁、手八丁で稼ぐような仕事は「したくない仕事」です。

でも、好きな仕事が自分らしいかっていうと、そうじゃない気がします。
例えば、僕は生まれ変わってサラリーマンになるなら、国際線のパイロットになりたいなぁと思いますが、それは「やりたい仕事」ではあっても、「自分らしい仕事」なんて言えることは稀でしょう。ANAの国内線にはアナウンスが凄く上手な名物パイロットがいらっしゃいますが、そういう人すら、「自分らしい仕事」かどうかわかりません。

自分らしさなんて、自分と恋人の間とか、自分と仲間の中で共有できていれば言いと思うし、さらに言えば、別に「自分らしさ」なんて意識しなくても、お互いに何かしらの個性はあって、そういう個性を通じて、気が合うぐらいでいいんじゃないかなぁと思います。

今は学校教育でも 「やりたいことを決めて、努力して実現しろ」なんて、大して努力もしていない教師たちにそそのかされて、テレビもそういうことを煽り立てるわけですが、別にそんなにみんなが大志を持って生きていかなくてもいいんじゃなかろうかと思います。

だって、自分らしい仕事したって、幸せな家庭が築けるかなんて分からないし、いい仲間と生涯付き合えるかなんてもっと分からないし、さらに言えば、体壊しちゃったりして自分の人生すらどうなるかもわからない、と思うわけです。
人生の中で仕事が占める割合はそんなに支配的じゃない。と思います。
(無論、仕事は無いと困りますし、仕事がうまくいかなくて他がうまくいかなくなることもあります)

人生に必要なものとして、「時間」とか「お金」とか「心のゆとり」とか色々ありますし、人によっては仕事を通じて「地位」「権力」「人脈」「酒」「女」とかまぁ、どれくらい必要かは人によって違うと思います。
僕の時間や心のゆとりに対する欲求は普通の人よりもかなり高いと思います。

だから、自分の人生の足を引っ張るような仕事だと困りますが、別に仕事に自分の人生の目的とか自分のアイデンティティとか背負わせなくてもいいと思うし、そういうことを言うと、就職や仕事というのはとても面倒で厄介なものになってしまう気がします。

少なくとも、みんなが自分らしい仕事 なんてやっていたら、社会はまわらないでしょうね。
なんていうか、社会との接点としての仕事ではなくて、「自分のための仕事」っていう戦後民主主義の権化のミーイズム丸出しの価値観では社会は絶対に回らないと思います。
決して仕事は働く人を満足させることが根幹的な目的ではなくて、社会のニーズを充足することが根幹的な目的のはずです。
自分の優しさとか知性とか、料理が好きという気持とかを人のため、社会のニーズのために役立てるという気持で「自分らしさ」であれば、社会は少し暖かくなるかもしれませんが、自分が欲しいもの、人や会社から与えて欲しいものが自分のニーズに合うことを「自分らしさ」という風に錯覚すると、社会は今よりもっとギスギスするように思います。
(僕はあと200万円ぐらい給料よこせ と思うので、とても悪い人だと思います)

たまたま、社会のニーズと自分のしたい仕事が一緒の人はハッピーだけど、そんなハッピーはそんなにないような気がします。
でもそんな仕事が手に入るなら、それはやっぱり幸福なことだろうなと思います。


以下は蛇足です:」
「自分らしい運転をするJR職員」「自分らしい契約をする公務員」「自分らしい診療をする医者」(これは微妙だなぁ)「自分らしいプログラミングをするプログラマー」(あとでコード読むのが難しそう・・)「自分らしい尋問をするアメリカ兵」「自分らしい公開処刑をする中国共産党員」とか、あまり自分らしさが欲しくない仕事もありますな。

地方自治体ではゴミ回収は年収1000万円ぐらいもらえるらしいので、(by 民主党パワー!!)人が嫌がる仕事をして高額な年収が希望 というなら、自分らしいかもしれませんが、民間だと年収300万円~ぐらいかららしいので、そういう待遇で働いてくれる方々が「自分らしい仕事」としてごみ収集をしているのかは、ちょっと疑問です。
だから、社会に必要で意義のある仕事 であっても、自分らしい というのは必ずしも成立しないように思います。


「自分らしい報道をする朝日」これは成り立っているな・・・

次回は働いたことの無い外資系 か、エリートと成功者 というテーマで書いてみようと思います。

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1 コメント

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諸々 (giants-55)
2005-11-20 15:04:36
書き込み有難うございました。



先ずは、御仕事が良い方向で急展開した様で、本当におめでとうございます。プライベートな御時間が減ったりと色々大変でしょうが、最高の成果が上げられる事を心より御祈り申し上げます。



さて、この記事に関してなのですが、「自分らしい仕事」とか「自分に適した仕事」に就いていると感じられる人って滅多に居ないと思います。と言うか、この「らしい」とか「適した」という言葉に、一般の人はストレスからの逃げ道を求めているというのが現実ではないでしょうか?



必死で自らの業務を遂行しつつも、なかなか上手く運ばないもどかしさから、「所詮、この仕事は自分に適したものじゃない(自分らしい仕事じゃない)から、仕方ないんだよなあ。」と逃げ道を作りつつ、そうは思いながらもベストを尽くすという、人間の弱さを補う逃げ道の言葉といった感じがします。



自分らしい仕事(自分に適した仕事)を皆がしていたら、社会は廻らないという猫様の意見、同感です。結局の所、心にモヤモヤとしたものを抱えながら、何とか自らのニーズとすり合わせてやっているというのが一般でしょうね。それと、本当に自分が好きな事を職業にしてしまうと、上記した”逃げ道”が作れなくなってしまって、却ってしんどいというのも在るかも(笑)。



P.S. 燃料チャージの他に保険代も確かに取られますね。この冬は久々にアジアを旅しようと安いツアー(現地フリー)を見つけ出したのですが、表面上の価格は激安も、燃料チャージ等のプラスαを加えたら、割安感が吹っ飛んでしまいました(^o^;;;。又、アジア諸国に駐在している友人等からの情報では、”今回の”鳥インフルエンザ騒動は、結構ヤバめな様なので、今冬は安い国内旅行に泣く泣く切り替える事としました。



燃料チャージは”一応”来年3月末迄の適用ですが、その後はどうなるんでしょうね。

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