生活保護制度改革の審議が進んでいます ダイヤモンド WEBでみわよしこ記者が記事にしています。
現状把握も検討も不十分なまま生活保護費引き下げ!?
厚労省・財務省主導で迷走する生活保護制度改革の今
まず、1 バッシングの背景と、2貧困の定義について考察を進め、3生活保護制度は生存ラインか考え、4 なぜ国民が改革を支持するのか? 5 支持への回復は可能か? と考えたいと思います。
生活保護制度改革がどうあるべきかの個人の意見は次回に書こうと思います。
1 バッシングの背景
この記事の中では、世論は改正に傾いているとのべ、生活保護バッシングを創出されたと言っています。
もし、政府がそんな都合よく民意を創出できるのなら、民主党政権の支持率ってもう少し高いでしょうし、官邸前に再稼働反対と人が多く集まったりもしなかったでしょう。(一時のブームで終わったのが、政府の成果なのかもしれませんが)
今の生活保護制度への不信は、よしもと芸人が豪遊を自慢しながら、民法上・生活保護法の上で扶養義務のある親に生活保護を受給させていたことに端を発しているように見えます。
しかし、そういう世論を作る土壌を作ったのは、2010年の公設派遣村で宇都宮健児弁護士が代表を務める「年越し派遣村が必要ないワンストップ・サービスをつくる会」です。
覚えている方も多いと思いますが、ワンストップの会が就職活動費を日払いから、一括支給にするように行政側へ圧力をかけ、その結果、就労活動費の一括支給となりました。
結果、金を手にした入居者たちのうち200人以上がパチンコや居酒屋に行ったまま帰らない人となりました。
さらに、それについて、ワンストップ会は、「彼らは金銭管理する能力が無い(ダメ人間)なのだから、(たとえ私たちが要求しようが)金を一括で渡した行政が悪い!」と意味の分からない記者会見を行いました。
宇都宮健児の成果は「貧困は自己責任であると可視化した」ことです。
都の職員の土下座しろだ、正月料理を用意しろだと騒ぎ、就労活動費を持ち逃げするような人たちが終身雇用で雇わていないにしろ、
それは社会が悪い!!のだと、多くの市民は思いませんでした。
社会が手を差し伸べたことに対して、悪意で答えた入居者たちへの怒りを多くの人は感じました。
反貧困ネットワークや宇都宮健児氏たちは、事の経緯について全うな説明をしないまま、ただ社会からの非難が収まるのを待っていましたが、ほとぼりが冷める前に、また次の燃料が投入されたというのが、お笑い芸人の生活保護受給までの社会的な文脈でしょう。
もちろん、生活保護を活用した支援をしている人にも湯浅氏たちのようにまっとうな人もいます。
2009年~10年のパチンコ派遣村や居酒屋派遣村には、湯浅誠氏は宇都宮健児氏と異なり積極的に関わっていませんし、生活保護制度についても、冷静な議論をしています。
2 貧困とは何か?
日本で問題になる貧困とは、栄養状態が満たされない途上国の子供の議論とは異なり、たとえば就学や再就職などのような社会参加に支障があるレベルなのかどうかという、「社会的排除」の水準より上かどうかということです。
貧困に対する社会政策の決定には、生存に必要な衣食住の最低限度が満たされたあとでは、社会的に許されない貧困状態とは何かということを定義していく必要があります。
例えば、アメリカの貧困層は肥満率が非常に高いですし、共産中国の労働者は劣悪な環境で生活していても日本の自称格差是正論者たちから貧困層と呼称されていないケースも多々あります。
日本を主軸にしても戦後の貧困、高度成長期前の貧困と、現代の貧困では、論点が異なり、市民が血税によって保証すべきと考える内容は異なります。
社会にあってはならないレベルの貧困とは何かは、結局のところ、「民主主義的な手続き」によって決めるしかありません。
3 今の生活保護は、生存さえ困難なレベルなのか?
上記のダイヤモンドの記事で、みわよしこ記者は
すると、現在でも「健康で文化的な最低限の生活」に足りているとは言えない生活保護受給者の生活は、「生存さえ困難」というレベルに追い込まれるであろう。生活保護費が現状のままであるとしても、電気料金値上げ・2014年からの消費税引き上げなど、生活保護受給者の生活を脅かす要因は数多く存在している。
と書いています。
彼女の定義では、いまの生活保護支給額は、「生存ラインギリギリ」であるということです。
しかし、最低賃金で働き、生活保護世帯が免除される国民年金・健康保険費負担・医療費・小中学校の諸経費・水道代などを払いながら、「生存」している多くの納税市民がいることを、有権者は知っています。
最低賃金による生計については、社会保障制度や貧困問題として、議論されるべき問題ではありますが、国民健康保険費の未納などを除いて、「生存の危機」というレベルで論じられることはほとんどありません。
雨宮処凛が、「生きさせろ!!」とアジテーションし、反原発派は福島だけでなく東京でも被ばく死者が大量に出ると脅し、ダイヤモンドの筆者は生存さえ困難になる、と、命の危険を訴えましたが、そういう具体的な中身がない冷静さを欠いた論調が支持を訴えることは、過去にはありませんし、今後もないでしょう。
一方で、震災の時のような、具体的に生存にかかわる時には、日本人は、相手がどの国の人であろうと、積極的に命を救おうと行動する民族です。
4 なぜ国民は生活保護制度改革を支持するのか?
いま、国民が生活保護制度に対して怒っているのは、
全うに働く人間よりも遥かに豊かな生活をし、パチンコや居酒屋で浪費するような金をもらいながら、それでも社会を罵る人たちがいる。
そういう人たちが増加し続けるなかで、言われるがままにお金を払い続ける必要があるのか?
それが、宇都宮健児氏の派遣村が意図せずに社会に突き付けた問いでした。
今、世論が訴えているのは、全うに働いて納税をしている人たちが、生活保護受給者以下の生活をしているという、労働の尊厳の問題ですし、まじめに働いて年金を払った人よりも、年金を払わなかった人たちの方が生活保護で豊かな生活を送っているという問題です。
5 生活保護制度が国民の信頼を回復するのに必要なこと
労働意欲の無い市民に対して、どれほどの支給をするのか?
というのは、世界共通の問いですし、歴史的にも普遍的な問いです。
国家による社会保障制度というのは、近代国家の発明の一つで、人類普遍な価値・制度ではありません。
(一方で、宗教による救済などは、かなり古い時代から制度化されています。)
国家による社会保障制度だけでなく、家庭という単位で見ても、働かずにパチンコやゲームで日々を過ごす家族に対して、一方的な優しさを長期間に渡って示し続ける家庭は多くないでしょう。
相手を支援をしたいと思うかどうかは、支援する側の自由意思が働くことは否定できません。
これは、生活保護だけでなくて、学校での教師から子供への働きかけ、先進国から発展途上国への働きかけ、ある国の他国の難民への働きかけ、など、あらゆる支援の全てがそうです。
家庭内でも、もし家族がパチンコやゲームで日々を過ごすことなく、自立に向けた努力を日々している姿を見ていれば、バッシングをするケースはぐっと減るでしょうし、支えたいと思うことも増えるでしょう。
これは社会全体でも同様です。
しかし、生活保護支援者を自称する人たちは、就労努力の制度化や、自立への努力、勤勉な生活を制度化することに、強く反対してきました。
自称支援者たちが、生活保護制度が潔白であることを示そうとせず、そうした動きを改悪といって反対してきた結果が、今の国民の不信につながっています。
不正や怠惰の受給がほぼないだろうと信じられる制度、最低賃金労働との生活の質でのバランスが、道義的にとれた制度にしない限り、生活保護制度が世論の信頼を取り戻すことは無いでしょう。
議会制民主主義の下で、何が最低限の生活かを決めるのは私たち98%の非受給者の市民です。
もし、失業して受給している受給者が震災の際にボランティアにいっているなどという話が大々的に報じられていれば、世論も違ったのでしょうが、社会が厳しさを増していく中で、今の水準を払おうと思わせるだけの信頼を取り戻すことは難しいと、私は思います。