ふうてんの猫の猫耳東風的フリチベ生活

働きながら和製MBAと工学博士取得をしていた自称苦学生バックパッカーの日記。
今は学位もとって大阪で技術戦略考えてます

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今年も3月10日が来た

2013年03月11日 | フリーチベット
3月10日は半世紀以上前に、チベット人が自由や人権を求めて蜂起をした日です。
それから多くの命が失われました。
2008年の北京オリンピックで強国としての自信を強めた共産党による弾圧が強まる中で、言論を奪われた人々による焼身抗議は100人を越えました。
ところで、

・国際平和・安全の維持
・諸国間の友好関係の発展
・経済的・社会的・文化的・人道的な国際問題の解決のため、および人権・基本的自由の助長のための国際協力 」
は、国際連合の理念として、国連憲章の一条に掲げられています。

その国連の栄えある地位である、常任理事国を中華人民共和国は担っています。

21世紀において、安保理常任理事国の国内で、非道と言って過言でない抑圧が行われていることを、人類は許すのか、許さないのか? 
平和とは何か?
誰もが許しえない人権侵害とは何か?

隣国で起きている現実を、一人でも多くの方に気に留めていただきたいと思います

何が正義かを決めるのは難しいです。しかし、何が許されないのかは、声をあげるべきだと信じています

http://www.supersamgha.jp/2013/03/post-95.html
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東京による地方蔑視の反原発

2012年12月03日 | 政治・経済・社会現象
東京に住む人たちが、脱原発に向けて、すぐに自腹で太陽光発電を自宅に作るなら立派だと思います

しかし、関東で行われている反原発活動には到底支持できません。
それは自分が何をするかではなく、他人に何をさせないかという抑圧の論理だからです
理由は、次の三つです

1 首都住民に地方の電気を止める権利はない。

東京の人たちが、関西や北海道に停電のリスクを背負わせて、自分達だけは安全で安定した電力を、安価に得られるべきだ(電力代アップを認めない)という態度は、巨大消費地として保護された中でのエゴです。

もし、本当に、「電力は足りている」というののなら、もし、電力が足りな事態になったときに、どうやって関東の反原発が補償するのか、明示して欲しいです

無邪気な足りる神話によって、遠方に住む人々の安心・安全な生活を脅かす権利があるとは到底思えません。

もし他人の電気を止められると思うなら、日本の原発よりも危険な韓国や中国の原発を止めろと、大使館前でデモしないのはなぜでしょう?
背後に見えるのは、東京の人間の地方蔑視と、中国追従思想ではないのですか?



2 助け合おう日本


被災地の瓦礫処理を許さないという態度が許せません。、
瓦礫処理のお礼として届けられた被災地からの感謝のサンマを、
「瓦礫の次は、汚染サンマ」という暴言を吐いていますが、
彼らは脱原発、反原発の人たちからは批判もされずに、代々木公園で堂々と抗議を続けていました。
そういう人たちの正義が幅を利かせることはあってはならないです。


僕は好んで東北の生産物を買います。
でも、個人個人が、東北の農作物を食べたくないというのは、自由です。

しかし、震災や津波で家族や船を失った人たちが、やっと生活再建しだしたものを
「ゼロベクレル社会」などといって、生活の糧を冒涜し、検査を受けた恵みを罵る人たちが声高に主張する、歪んだ正義には一切屈したくありません。

それは、日本人同士が助け合いたいという僕の切なる願いです



3 経済の行く末


原発に反対しているのは、豊かな東京の人たちであって、原発立地自治体の人たちではない
という事実を見るべきです。

彼らは、自分たちが豊かな東京に住み、立地自治体の生活や、電力増に耐えられない企業の従業員の生活などを顧みる気などありません。

安全安心の例では、農薬や化学肥料によって、農業の生産性は数倍以上に飛躍しました。
昔ながらの無農薬、有機というのは、生産量を上げるのが難しいのです

ですから、途上国では、農薬や肥料が手に入らないから、農民が貧しいまま
ということが起こるのです。

もし、農薬や肥料を、安心・安全でないからと違法化したら、農家や都市生活者は豊かになるのでしょうか?
潔癖主義が人や社会を豊かにするのではないのです。
何を得て、何を妥協できるかという、知性の判断が、社会を進歩させるのです。

原発も同様です。
安心安全という美辞のもとに、他人の生活基盤を破壊する権利があると思う人たちには、断固として戦わなければなりません。

当面は、東京以外の地方の経済や、住民の安心・安全を守るために、世界的に許容されているレベルの原発リスクは妥協し、甘受すべきだと僕は確信しています。


4 まとめ

反・反原発は経済によって裏付けられた生活や安心を守る戦いです。

被災地の瓦礫は自分たちの自己責任でどうにかしろ、
原発立地自治体や、その住民は原発推進派だ、
被災地の農作物や魚介類は、検査をしていても流通させちゃいけない

そんな人たちの活動や政治が、日の目を見ることがあってはならないと、僕は思います。
そして、実際に、東京では、そんな政治や活動は、支持されていないということが、二週間後には、誰の目にも明らかになると信じています
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第三の道としての生活保護改革

2012年11月26日 | 格差社会を考える
前回に続き、生活保護のリアルを横目で見ながら、
生活保護の改正についての見解を述べたいと思います。
また、後半では、記事で引用されている「生活困窮者の生活支援の在り方に関する第10回特別部会」のレポートをベースに議論を進めたいと思います。

流れは、
1自分のスタンス、生活保護は社会投資なのか? 3 どう改正すべきか? 4 まとめ
という流れで書いています

1 自分のスタンス

私のスタンスは、欧州の社会民主主義政党の取った第三の道の路線をベースにしています。
生活保護受給者も含め、社会の中に積極的な参加が制度として権利と義務化されるべきだと考えています。
また、医療・教育については、生活保護受給者と真面目に働くワーキングプアー層のどちらの子供であっても、十分に社会のサポートがあるのが望ましいと考えています。

ただし、国民が、その費用を負担したいと思う限りにおいてです。
増税をさけ、子供たちに押し付ける赤字国債で行うぐらいなら、特に大人へのサポートは無い方が良いです。(子供の負担で、大人が福祉を受けるのは道義的に許されません)

2 社会保障は社会に対する投資。生活保護もそうなのか?

みわよしこ氏は
「生活保護費は、国費の無駄遣いではなく、社会に対する投資だ」
と述べています
http://diamond.jp/articles/-/28302?page=5

第三の道の立場では、確かに社会保障や教育は社会にとって割の良い投資であると考えます。
例えば、能力がありながら貧困によって高等教育を受けられない人に、公教育を実施する制度は、長期的に見て国の競争力や個人の所得税増に寄与しますし、そういう人が社会保障を消費する可能性も低下させます。

また、医療なども、社会投資です。治療によって人々が社会に復帰することにより、社会の活力は維持されます
しかし、一方で、欧州は日本よりもドライに考えるので、医療費も投資として、どれだけ社会に貢献するかを評価します。
その結果、予防医学が重視されたりする一方、安楽死などによって、医療費を抑える選択も行われます。

当然、失業給付は労働者が次の仕事に復帰を支え、必要なら職業訓練を施すことにより、失業者本人も社会も両方がリターンを得る制度です。

では、今の日本の生活保護は、みわよしこ氏が言うような「社会に対する投資」になっているのでしょうか?

生活保護から自立する割合は非常に低く、多くの人は、数年間以上、生活保護制度に滞在します。
記事の中では、みわよしこ氏は、厚生労働省の資料を引用し
「一方、人数でみれば、日本全体の高齢化に伴い、高齢者数の増大が著しい(図3)。」(p.1)
と述べています。
高齢者で生活保護を受給しているということは、貯金も年金支払いもしなかった人です。
老化は病気や事故とことなり、備えられるし、備えなければいけない問題です。
しかも、我が国では、国民年金の納入は国民の義務と法律で明記されており、罰則がないとはいえ、年金未納という違法行為をしてきた人間に、まじめに保険費を払い続けた人たちよりも、豊かな生活を送らせるということで、社会はどのようなリターンを得るのでしょうか?

リターンがなければ投資とは言えません。
この事象から、社会が得たのは、国民年金への不信感による年金未納であり、勤勉への冒涜です。

派遣村で宇都宮健児弁護士たちが国民に示したように、貧困層が就労のためのお金をパチンコや飲酒に費やすという(彼らが一般的といった)行為を許容することで、社会はどのようなリターンを得るのでしょうか?

改正をしないままの生活保護では、投入した費用が回収できる見込みのないため、投資とはとうてい呼べません。
自立を促し、社会の福祉に寄与する制度に改正する必要があります


3 では、どう改正すべきなのか? 

改正の方向性として、みわよしこ氏の記事で引用されている、
「生活困窮者の生活支援の在り方に関する第10回特別部会」のレポートが参考になります。

資料中の以下の生活保護制度への現状認識に、完全に同意します


Ⅱ 生活保護制度の見直しに関する論点
1.基本的な考え方
○ 生活保護の貹用が急激に増加傾向にあることもあり、全体の見直しは必
要と思っている。また、制度の信頼性を高める観点からも、必要な改革で
ある。
○ 生活保護制度は、自立を支えられる仕組みになっていない。いわゆるワ
ーキングプアの問題がある一方で、不正受給の問題等、頑張って働いてい
る人が報われないといった矛盾が、若者たちの心に非常に影を落としてい
るところであるし、働く意思があっても、抜け出せない仕組みを考えると、
もはやこれは制度疲労を起こしている。
○ 不正受給者防止は当然強化すべきだが、生活保護を含む社会的セーフテ
ィネットを、人々が安心して社会参加を行い、様々なチャレンジを行うた
めの条件として積極的に評価していくことが必要である。
(p.24)


一方で、自立を助けるためには、彼ら自身が、社会への適応性を高める必要もあります。
トレーニングを社会が提供しなければ、再び社会に参加することは難しい人もいます。

宇都宮氏たちのような、パチンコ派遣村や居酒屋派遣村だろうが、社会保障なのだから、市民は文句をいうな!!という態度が、本当に受給者の人生の質を向上させるのでしょうか?

そうではなく、雇われない理由がある人たちに対しては、ちゃんと雇われる、仲間として受け入れられるように教育を提供する必要があると考えます。
従来型の自称生活保護支援者のような、「好き勝手にさせるのが、人権♪」 という姿勢とはことなり、資料の中では社会参加のための訓練についても提言されています。


3.就労準備のための支援の在り方について
○ 生活困窮者の一般就労に向けていくつかのステップを踏む必要がある。
対象者像の状態に応じて、社会参加のために必要な生活習慣の形成のため
の訓練、就労の前段階として必要な社会的能力を身につけるための訓練、
継続的な就労経験の場を提供し、一般雇用への就職活動に向けた技法や知
識の取得等の支援を行う訓練、といった段階に着目した支援内容とすべき。
(p.8)



また、無給であっても、社会の中で役割を果たす経験を積むことは、社会にとっても、本人にとっても大切なことです。
そのために、いくつかの提案がされています。


4.中間的就労の在り方
○ 営利の世界で働くということは非常に厳しい選別があるので、共助・助
け合いの世界の場で、柔軟な能力の活かし方を様々に用意することが必要。
○ これまでは一般就労か、生活保護かという二者択一の議論であったが、
生活困窮者には、いきなり一般就労はハードルが高すぎる場合があるので、
この間の段階的・中間的な就労の場を設けることが必要である。
○ 「中間的就労」というよりは、「社会的就労」という整理が適当である。
○ 中間的就労は福祉施策の一環として、労働基準法制の適用外の形で柔軟
な対応をしていくことも検討することが必要である。(p.9)



4 まとめ


こうした、提言のように、社会からみて、不適切だと思われる生活習慣を持つ受給者もいることを、社会として認めた上で、それらを改善するためのトレーニングには社会がしっかりと予算を担保する。
一方、生活保護支給額が高いことや、制度が国民の信頼を失っている現実を踏まえたうえで、衣食住の生活については、支給金額を下げる。
そのうえで、必要なトレーニングや、社会参加の機会の提供や、社会参加した際の賃金には、予算をつける。
そうした結果として、貧困率や、自立の割合、不正者への罰則などを透明化して制度への信頼性をたかめていく。

金銭を与えるだけの生活保護から、労働者と同じような勤勉さを必ず求める制度への改革が必要だと考えます。
そして、そうした方向での議論が「生活困窮者の生活支援の在り方に関する第10回特別部会」ではなされていると思います

選挙後に進むであろう、民主党・自民党による生活保護改革に期待したいと思います


補足:上記の部会のメンバーでもある岩田正美氏の「社会的排除」は、社会保障制度を考える上で、良書だと思います。

補足2:記事の中で
 このことは、生活保護制度が、それだけの人命を救っているということである。藤田氏は「日本で一番、生命を支えている制度」とも言う。

ってあるんだけど、僕は、この国で一番、生命を支えているのは、国民健康保険だと思っていた・・・・
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We are the 99 percent (生活保護改革)

2012年11月11日 | 格差社会を考える

生活保護制度改革の審議が進んでいます ダイヤモンド WEBでみわよしこ記者が記事にしています。



現状把握も検討も不十分なまま生活保護費引き下げ!?
厚労省・財務省主導で迷走する生活保護制度改革の今


まず、1 バッシングの背景と、2貧困の定義について考察を進め、3生活保護制度は生存ラインか考え、4 なぜ国民が改革を支持するのか? 5 支持への回復は可能か? と考えたいと思います。
生活保護制度改革がどうあるべきかの個人の意見は次回に書こうと思います。

1 バッシングの背景

この記事の中では、世論は改正に傾いているとのべ、生活保護バッシングを創出されたと言っています。
もし、政府がそんな都合よく民意を創出できるのなら、民主党政権の支持率ってもう少し高いでしょうし、官邸前に再稼働反対と人が多く集まったりもしなかったでしょう。(一時のブームで終わったのが、政府の成果なのかもしれませんが)

今の生活保護制度への不信は、よしもと芸人が豪遊を自慢しながら、民法上・生活保護法の上で扶養義務のある親に生活保護を受給させていたことに端を発しているように見えます。
しかし、そういう世論を作る土壌を作ったのは、2010年の公設派遣村で宇都宮健児弁護士が代表を務める「年越し派遣村が必要ないワンストップ・サービスをつくる会」です。
覚えている方も多いと思いますが、ワンストップの会が就職活動費を日払いから、一括支給にするように行政側へ圧力をかけ、その結果、就労活動費の一括支給となりました。
結果、金を手にした入居者たちのうち200人以上がパチンコや居酒屋に行ったまま帰らない人となりました。

さらに、それについて、ワンストップ会は、「彼らは金銭管理する能力が無い(ダメ人間)なのだから、(たとえ私たちが要求しようが)金を一括で渡した行政が悪い!」と意味の分からない記者会見を行いました。

宇都宮健児の成果は「貧困は自己責任であると可視化した」ことです。

都の職員の土下座しろだ、正月料理を用意しろだと騒ぎ、就労活動費を持ち逃げするような人たちが終身雇用で雇わていないにしろ、
それは社会が悪い!!のだと、多くの市民は思いませんでした。
社会が手を差し伸べたことに対して、悪意で答えた入居者たちへの怒りを多くの人は感じました。

反貧困ネットワークや宇都宮健児氏たちは、事の経緯について全うな説明をしないまま、ただ社会からの非難が収まるのを待っていましたが、ほとぼりが冷める前に、また次の燃料が投入されたというのが、お笑い芸人の生活保護受給までの社会的な文脈でしょう。

もちろん、生活保護を活用した支援をしている人にも湯浅氏たちのようにまっとうな人もいます。
 2009年~10年のパチンコ派遣村や居酒屋派遣村には、湯浅誠氏は宇都宮健児氏と異なり積極的に関わっていませんし、生活保護制度についても、冷静な議論をしています。


2 貧困とは何か?

日本で問題になる貧困とは、栄養状態が満たされない途上国の子供の議論とは異なり、たとえば就学や再就職などのような社会参加に支障があるレベルなのかどうかという、「社会的排除」の水準より上かどうかということです。

貧困に対する社会政策の決定には、生存に必要な衣食住の最低限度が満たされたあとでは、社会的に許されない貧困状態とは何かということを定義していく必要があります。

例えば、アメリカの貧困層は肥満率が非常に高いですし、共産中国の労働者は劣悪な環境で生活していても日本の自称格差是正論者たちから貧困層と呼称されていないケースも多々あります。

日本を主軸にしても戦後の貧困、高度成長期前の貧困と、現代の貧困では、論点が異なり、市民が血税によって保証すべきと考える内容は異なります。
社会にあってはならないレベルの貧困とは何かは、結局のところ、「民主主義的な手続き」によって決めるしかありません。


3 今の生活保護は、生存さえ困難なレベルなのか?

上記のダイヤモンドの記事で、みわよしこ記者は

すると、現在でも「健康で文化的な最低限の生活」に足りているとは言えない生活保護受給者の生活は、「生存さえ困難」というレベルに追い込まれるであろう。生活保護費が現状のままであるとしても、電気料金値上げ・2014年からの消費税引き上げなど、生活保護受給者の生活を脅かす要因は数多く存在している。

と書いています。
彼女の定義では、いまの生活保護支給額は、「生存ラインギリギリ」であるということです。

しかし、最低賃金で働き、生活保護世帯が免除される国民年金・健康保険費負担・医療費・小中学校の諸経費・水道代などを払いながら、「生存」している多くの納税市民がいることを、有権者は知っています。

最低賃金による生計については、社会保障制度や貧困問題として、議論されるべき問題ではありますが、国民健康保険費の未納などを除いて、「生存の危機」というレベルで論じられることはほとんどありません。

雨宮処凛が、「生きさせろ!!」とアジテーションし、反原発派は福島だけでなく東京でも被ばく死者が大量に出ると脅し、ダイヤモンドの筆者は生存さえ困難になる、と、命の危険を訴えましたが、そういう具体的な中身がない冷静さを欠いた論調が支持を訴えることは、過去にはありませんし、今後もないでしょう。

一方で、震災の時のような、具体的に生存にかかわる時には、日本人は、相手がどの国の人であろうと、積極的に命を救おうと行動する民族です。


4 なぜ国民は生活保護制度改革を支持するのか?


いま、国民が生活保護制度に対して怒っているのは、
全うに働く人間よりも遥かに豊かな生活をし、パチンコや居酒屋で浪費するような金をもらいながら、それでも社会を罵る人たちがいる。

そういう人たちが増加し続けるなかで、言われるがままにお金を払い続ける必要があるのか?
それが、宇都宮健児氏の派遣村が意図せずに社会に突き付けた問いでした。

今、世論が訴えているのは、全うに働いて納税をしている人たちが、生活保護受給者以下の生活をしているという、労働の尊厳の問題ですし、まじめに働いて年金を払った人よりも、年金を払わなかった人たちの方が生活保護で豊かな生活を送っているという問題です。


5 生活保護制度が国民の信頼を回復するのに必要なこと

労働意欲の無い市民に対して、どれほどの支給をするのか?
というのは、世界共通の問いですし、歴史的にも普遍的な問いです。

国家による社会保障制度というのは、近代国家の発明の一つで、人類普遍な価値・制度ではありません。
(一方で、宗教による救済などは、かなり古い時代から制度化されています。)

国家による社会保障制度だけでなく、家庭という単位で見ても、働かずにパチンコやゲームで日々を過ごす家族に対して、一方的な優しさを長期間に渡って示し続ける家庭は多くないでしょう。

相手を支援をしたいと思うかどうかは、支援する側の自由意思が働くことは否定できません。
これは、生活保護だけでなくて、学校での教師から子供への働きかけ、先進国から発展途上国への働きかけ、ある国の他国の難民への働きかけ、など、あらゆる支援の全てがそうです。

家庭内でも、もし家族がパチンコやゲームで日々を過ごすことなく、自立に向けた努力を日々している姿を見ていれば、バッシングをするケースはぐっと減るでしょうし、支えたいと思うことも増えるでしょう。
これは社会全体でも同様です。

しかし、生活保護支援者を自称する人たちは、就労努力の制度化や、自立への努力、勤勉な生活を制度化することに、強く反対してきました。

自称支援者たちが、生活保護制度が潔白であることを示そうとせず、そうした動きを改悪といって反対してきた結果が、今の国民の不信につながっています。

不正や怠惰の受給がほぼないだろうと信じられる制度、最低賃金労働との生活の質でのバランスが、道義的にとれた制度にしない限り、生活保護制度が世論の信頼を取り戻すことは無いでしょう。

議会制民主主義の下で、何が最低限の生活かを決めるのは私たち98%の非受給者の市民です。

もし、失業して受給している受給者が震災の際にボランティアにいっているなどという話が大々的に報じられていれば、世論も違ったのでしょうが、社会が厳しさを増していく中で、今の水準を払おうと思わせるだけの信頼を取り戻すことは難しいと、私は思います。
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日本人が、侵略を擁護していて悲しかった

2012年09月19日 | フリーチベット
最近、悲しく不思議だったこと。Transit http://transit.ne.jp/ という旅の雑誌が、チベット支援者はCIAから金をもらっている連中だと書いていたこと。NHKのクローズアップ現代で早稲田の毛里和子氏が中国に戦後の償いをしないからデモが起きると言っていたこと。なぜ、日本人が、中国の侵略行為を支持するの?

NHKの件は、この局面でインタビューに答える人が、毛里氏しかいなかったんじゃないか? という可能性もあるので、まぁ、仕方ないとして、

特に、TransitのCIAの件では、なんで、日本人が、中国の侵略を支援するのか、本当に疑問です。

以前、反貧困ネットワークで知り合った日本共産党員の若い人が
「ダライラマはCIAから支援を受けていた」 と2008年当時に力説して、チベットでの中国共産党の行為を援護していました。
確かに半世紀前に、チベットが侵略されている時に、抵抗活動のために、通信機器や兵器を支援してもらっていますし、それは、チベット関連の本を読めばふつうに書いてあることです。
(アメリカ以外に、インドもイギリスも日本も見捨てたんだもん)

しかし、その日本共産党はコミンツェルン(ソビエト)から、金をもらって設立した政党です。(日本共産党のトップが遊郭で使い果たしたとも言われますが)
さらに、朝鮮総連とは、もともと日本国内で分派した、根っこが同じ組織です。

なので、
「日本では、コミンツェルンから金をもらった連中が国会に議席を持っているけどどうしたらいいかな? 虐殺するの?」
って聞いたら、激怒していたけど、彼は論理的な反論はできませんでした。

どこかの国の政府機関から金を受け取ったということは、その子孫が虐殺やレイプされる理由として成立するのだろうか?

たしかに韓国では、WW2以前に日本に協力した一族を魔女狩りのように炙り出す営みもあるようですし、マルクス主義の北朝鮮では、共産革命以前に、その一族がどの階層(政治家、商人、農民・農奴など数十の階層)に属しているかで、いまだに待遇が違うとも言われていますから、そういう哲学で国を運営するというのは、東アジアではあるのかもしれません。

しかし、それが人権という思想にかなうものなのか、Transitの編集部や、日本共産党などの左翼の諸氏には考えてもらいたいと思う。

自国が侵略されている時に、誰かに手を差し伸べてもらうことは、罪ですか?

そして、CIAってアメリカの政府機関じゃないの?
CIAの人って、アメリカで虐殺されているですか? 
Transitって頭おかしくね?

少なくとも僕の知る限り、日本の支援者にCIAから金が入っているという話を聞いたことはないです。
いったい、何をソースに記事を書いたんだろう?
(って、中国共産党か日本共産党なんでしょうけどね・・・・)
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反原発についての考察

2012年09月17日 | 政治・経済・社会現象
原発についてtwitterでも散文的につぶやいていましたが、一度、自分の論をまとめようと思います

私は、安全性の確認された原発の再稼働を進めていくべきだと考えていますが、もし原発廃止について、国民が覚悟を決めるのであれば、同意せざる得ないと思っています。

しかし、その覚悟とは、相当なものだと言えますし、その覚悟を国民の大多数がしているとは思えません。
例えば、自民党から民主党に変われば、幸せになれるだろう、という程度の甘い見通しのポピュリズムの結果としての反原発に留まっていると思います

原発を各国が競って導入してきたのは、それが安価で安定した電力だからです。
核保有と結び付けたがる人もいますが、すでに核兵器を保有しているアメリカ、フランス、イギリス、ロシア、中国やインドが原発を建設していることからもわかるように、他国が原発に見出すメリットは、核保有のメリットとは本質的に関係ありません。


その原子力発電を日本が失うことで、大きく三つのデメリットがあると考えています。
一方、今の原子力行政で続けていくことにもデメリットが2つあると考えています。

3つのデメリット
1 経済成長、雇用、アジアのパワーバランスへの影響

原子力を止めたことによる火力発電の燃料代として、数兆円の増額分を海外(産出国)へ支払っています。
このお金は、原子力を動かしていれば、別の目的に使えるお金です。
この費用を電気代から徴収をすれば、日本経済には、製造業の競争力劣化や、家計の可処分所得の減少としてジワジワと効いてきます。

反原発に多い左派の諸氏は、3.11以前は
雇用、年金、生活保護などを政策論の中心において闘争していました
しかし、これらの課題は、「お金」があれば、解決する問題です。
基本的に彼らが欲していたのは、税収からの現金給付です

今まではお金を求めていた社会活動家が、反原発に転向したとたんに、
「お金より大切なものがある」
と言っていますが、本当に、「お金」を失い続ける政策をとる覚悟があるのでしょうか? 
実際には、彼らは反原発と右肩上がりの成長が両立して欲しいという、願望を述べているに過ぎません

今も、日本の領海が中国や韓国に脅かされています。

フィリピンなどの海域は、既に中国に不法に実行支配されてしまっています
フィリピンにも米軍は常駐しているにも関わらずです。
日本とフィリピンの明暗を今まで分けてきたのは、その経済力の差です。
そして、今、中国が強気に出ているのは、中国の経済力が増しているからです。

今後、日本が、反原発で経済力を失っていくなかで、中国の横暴に対抗しうるアジアの国がインドただ一国になるということは、アジアで平和や人権の樹立を信じ、行動する人たちに大きな絶望をもたらすと私は思います。



2 化石燃料の国際相場への影響

かつて、バイオエタノールにアメリカ企業が商機を見出し、結果として、トウモロコシ相場が急上昇しました。
そのマネーゲームの割を食ったのは、再生可能な燃料よりも、今日を生きる食糧を必要としていた人たちです

同様に、日本が、原発を全停止させている間に、LPGの相場は倍に上昇しました。
富裕国である日本にとっては、払える額かもしれませんが、諸外国の市民にとっては決して安い上昇ではありません。

いま、日本の先鋭的な反原発が、世界のエネルギー安全保障を脅かしています。
「火力にするから、金を払えばいいんだろ。」という態度を改めるべきです。
火力を3.11以前と同程度にできるようになるまでは、原発を動かし続けるべきです。


3 代替エネルギーによる環境破壊

再生可能エネルギーは、環境への影響が強い発電です
水力発電は生態系に大きな影響を与えますし、村を数個水没させることもあります。

地熱発電は、温泉の湯質や湯量の変化を生み出して、時として温泉街に多大な被害を及ぼします。

風力発電は、1キロ圏内に住む人たちに頭痛や不眠などの健康被害をもたらしますし、猛禽類がブレードに突っ込むというバードストライクをもたらします。(日本の場合、絶滅危惧種が、自殺するわけです)

太陽光発電は、広大な面積の土地を必要とします。それが、原発跡地などなら、まだしも、いま農地である場所に、貴重な土や生態系を捨てて、ソーラーパネルを設置することは、一種の環境破壊です。
そしてEUではソーラーパネルの8割は中国製だそうです。欧米企業は利益が出ず、東日本大震災以降に倒産が相次ぎました。

 

デメリットについては、
一つ目が、古い安全基準で作られた原発の安全性の確認や、災害時の地元住民の避難や自衛隊などの派遣ルートの確保などの事前準備が不十分であること。

二つ目が、核の最終処分の仕方が決まっていない事です

しかし、二つ目については、いま、火力で3兆円から5兆円ぐらいの追加費用を見込んでいるのであれば、数兆円をかけて、世界のどこかに最終処分地を見つけるというのは、経済合理性の観点からはあり得ると考えています。
# 最終処分地の国が、核保有をするリスクなど、いろいろとあるので、簡単ではないですが。


結論として、
国の経済を守り、アジアのパワーバランスを守り、自然環境を守る
そういうことができる範囲内で、原発を縮小させていくべきだと思います。

しかし、もし国民が、国の経済や雇用や税収を投げ出し、再生可能エネルギーのためなら農地や漁場の強制立ち退きも辞さないという、「覚悟」を選択するのであれば、反原発の道を歩むのも致し方なしと思います。

ただ、大義も覚悟もなしに、沈む船に同乗させられるのは、たまらない と思っています。
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FreeTibetBBQ@大阪

2012年07月10日 | フリーチベット
7月7日は土曜日は羽衣バーベキュー広場でFreeTibetバーベキューしました。

7月6日に誕生日を迎えられたダライラマ法王の誕生日祝いです。

野菜は実家の農家から差し入れてもらったもの以外は、伊勢丹で揃えました。
レタス一玉10円を筆頭に、通常価格が、えのき50円、トウモロコシ100円、マイタケ100円など、近所のスーパー顔負けのお値段で、味は伊勢丹。
お肉も伊勢丹で黒毛和牛と味付け焼肉を買いました
他にコリアンタウンで買ったカルビやハラミなど。

あと、ホテラバの知り合いや、旅行者仲間も来てくれたので、家からフランスのビオワインを差し入れました。

焼き始めると、どれも美味しくて満足でした。
少しコショウを効かせすぎたのと、肉を仕込むたれが、焼肉のたれで単調だったので、ワインで仕込むのもトライしたいな。

想定外だったのは、お子様が、ちゃんと並んで肉が焼きあがるのを待って食べるので、美味しいお肉が不足気味になってしまいました。
# 次は、ウインナーなどを集めた子供用のコンロを作ろう・・・・

きのこのホイル焼きなども、主婦のみなさまにも好評で、料理が好きな僕としては、美味しいものを提供できて、結構満足でした。

他にもチベット人が作ってくれた、チキンの鍋は美味しかったし、お祝い用の炊き込みご飯も面白かったです。(not 美味しかった)

1時から5時までの4時間でしたが、あっという間に終わり、さすがにチベット時間
追い出されるように解散しました。


# 一部で、時間を守らないのをチベット時間と言わないで欲しいという要望もありますが、却下です
4時から思い出したように鍋料理を初めて、タイムオーバーになるのは、やっぱりチベット時間。

みなさんも楽しんでいただけようで、「次のイベントは?」と聞かれましたが、次のイベントは、2月のロサルの予定です。

秋はチベット的にイベントネタがないのと、僕が多忙になるので、幹事は絶対にできないので、他の方が幹事をしてくれない限りは半年後かな。

うちで集まるぐらいなら、9月でもいいけどね。




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反原発 この国の民主主義とは何か?

2012年06月23日 | 政治・経済・社会現象
再稼働撤回求め官邸前でデモ
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=2058332&media_id=2

反原発のデモに1万人近く集まったそうです。
いつものように、主催者側は、物理的に入らない人数を参加者として発表しているようです。

民主主義国家ですから、合法的なデモが行われる環境・雰囲気は大切だと思います。

そうした国で、なぜ、関西や大飯町では、地元住民による大きなデモが無いのか、考えてみるべきです。
白票を投じることが意思表示であるように、デモをしない、デモに参加しない ということもまた、意思表示です。

関西や原発立地地区の人がデモをしないのに、
関西を停電させるデモを東京で行い、人数が集まれば関西を停電させられるのだ
と信じるのは如何なものかと思う。

関西でも、大飯町でも、福島でも、反原発はまったく盛り上がっていません。
関電の前で、ずっと座り込んでいる好青年たちが数人いますが。

自らはデモに参加するだけで、あとは高みの見物。
停電も、雇用や経済的影響も、全てのデメリットを他人だけに強いることを要求しているデモが
正当な要求をしているとは到底思えません。

本当に4万人もいて、心から反原発を願っているなら、都内では遥かに多くのソーラーパネルや
家庭用のコジェネレーターが売れているはずです。
しかし、実際はそんなことはない。
反原発が進まないのは、結局、反原発を自称する人たちですら、反原発に向けた生活をしていないからです。自宅のエコ化や、自宅の発電、燃料費上昇の負担の歓迎、新発電所を立てるための誘致活動、それらに協力している人が、4万人(自称)のうち、何人いるのでしょう?

そんな人は、ほとんどいません。

たとえ、主体性のない、他人任せの要求であっても、反原発が震災復興や消費税・社会保障問題よりも優先する国家課題なら、それを争点に解散総選挙をするべきです。
その結果、反原発政党が与党になれば、原発を即時停止で良いし、その痛みを国民は享受すべきです。
逆に、脱原発派である、民主党と自民党で過半数を取れれば、従来通り、ドイツのような中期計画での脱原発を進めるべきです。



そして、左翼は自分たちのダブルスタンダードには気づいていません。

もし、関西の民意なしに停電を東京が決められるなら、沖縄の米軍基地を現地の意向を無視して東京で決めていいことになる。

関西の住民に、「電気のない生活に耐えろ!」、「もっと減らせるだろ?!」 と 世論が求められるというのなら、生活保護受給者の支給額を限界まで減らす世論さえあれば、左翼が反対する理由はなくなる。
彼ら左翼は、夏場に電気を使う権利は、国が保証すべき健康で文化的な最低限度の生活には含まれていないと叫んでいるのですから、まずは、生活保護受給者から、エアコンやテレビなどを使用する権利を保障しないと世論が言っても反対できなくなるはずです。

デモは確かに示威行為ですが、この国の民主主義とは集まった人数を水増しして、威圧することではなく、議論を行い、議席をとり、法案を通すことです。

現行法は原発の再稼働を支持しており、再稼働を禁じる法改正のための解散総選挙を世論が求めていないのですから、今の政府の対応は民主主義国家として当然の対応です。

そして、私は、夏の日中にエアコンや扇風機に電気を使うのは、生活保護受給者も含めて、健康で文化的な最低限度の生活の権利だと思っています。
その権利を、デモによって私たちから奪おうという人たちとは、民主的な手続きで戦うべきだと考えています。

東京の人間が、福島や大飯町や関西の人間の運命を自由に決められると思うのは傲慢です。

そして、反原発の活動家が、福島の被災者と手を携えて、創造をしている という姿は見えてきません。
福島の人たちにも、反原発のデモを冷ややかに見ている人も多くいます。

すでに反原発派にとっては、福島は自分たちのイデオロギーを正当化するための道具でしかなくて、共に歩む同胞として接していませんから、当然です。

嬉々として風評被害を流し、多くの放射線を浴びた人も無事でいることを喜べないような連中が、国会で過半数を取れるとは、私は思いませんが、もし取れれば、私も、安定した電気を使う権利を放棄することに、同意します

# たぶん、ボーナスで、家庭用の蓄電池や発電機とか買うけどね。
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人は分かち合いたい生物

2012年02月28日 | 格差社会を考える
最近はtwitterでつぶやいていることが多く、blogの更新は本当に久しぶりです

NHKスペシャルの
ヒューマン なぜ人間になれたのか 第4集 そしてお金が生まれた
http://www.nhk.or.jp/special/onair/120226.html

を見て色々と思うことがありました。

僕は大学生の頃から文化人類学に興味があって、授業を受けたり専門書を読んだりして、人類とは何か? 人類の根底にある価値観とは何かを知りたいと考えていました

ただ、当時は中高で共産党員教師にうけた洗脳教育のおかげで、
「宗教は貧者のアヘンだ」 とガチで信じていたので、人類
を人類足らしめてきたものとしての宗教は考えていませんでした

NHKスペシャルのヒューマンのシリーズでは「分かち合う」ということでヒトになった、というのが大きなテーマの一つであったように思います

そして最終集が「お金の誕生」と、それによる社会の発展、格差の登場、格差を是正しようとする脳の仕組みなどを番組で述べていました。


私は以前から、「私たちは分かち合いたい生き物だ。目の前に飢えた人がいて、手元に有り余る食料がある時に、どんなに強がった格差論者だって、きっと分け合って食べたいと思うはずだ」
と思っていましたが、それが脳科学からの証明されつつあるというのは、強い希望でした。

1年前の大震災の時にも多くの人々が助けたい、支えたい、分かち合いたいと思いました。

そうした人々の願いというものが、人類の持つ根源的な性質の一つなのだと思います。

そして、分配についての政治について言及するのであれば、私たち左派、すなわち社会民主主義者は、自分たちの持てる富をより貧しい人と分かち合いたいと願います。
そして、私たちの左側、すなわち左翼と呼ばれる共産主義者や社会主義者は、より豊かな者から力づくで奪い取ろうとします。

人類最古の都市、メソポタミアでは、都市の中での大量殺戮による遺体が出土するそうです。
番組内では、おそらく、格差による奪い合いの結果であろうと述べられていました。
その一方で、太古より借金の帳消しにして奴隷の解放などを行うことが毎年のように行われていたそうです。

力で豊かなものから奪おうとするのも、人らしい生き方、
一方で、目の前の人とより平等になること、自分の富を犠牲にすることで、平等を目指すことに快楽を覚えるのも、また人らしい生き方。

同じように格差と対峙した時に、私たち左派と左翼は根本的に違う対応をすることを改めて認識し、それは太古からの文脈なのだと感じました。

そして、今苦難にある我が国の同胞たちのために、だれかの富を奪うのではなく、自分たちから何かを差し出すことで、支えたい と思う多くの日本人がいること、支えてくれる外国の人がいることを嬉しく思いますし、僕もそうありたいと思います。

そして、20歳の頃の僕が憎んだ、貧者のアヘンと呼ばれた宗教

キリスト教、イスラム教、仏教などは他者への施しを教えとするものだと理解しています。
人は根源的に施しを正しいことだ、良いことだと感じる生き物だと思います。

その潜在的な力を引き出すことができれば、社会は、世界はもっと住みやすくなると思います。
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飢えた子達のために WFP

2011年11月10日 | 格差社会を考える
最近はつぶやきを書いても、しっかりとした文章にまとめることが減りました

知的な後退のように思います(もともとたいしたことないのに後退したら大変です)

つぶやきは消えるので、将来の自分のために記録を残そうと思います


今日はマイクロソフトの本社にいって、共同研究や開発の可能性を探りに打ち合わせをしてきました。 MSのアメリカの本社が作った10年後の世界の映像はとてもクールでした。 ブレストをマイクロソフトもこの数年で随分と変わったなぁという印象を受けましたし、目指す方向も近いと思いました。

一方で、個人として変えたい世界は、アムネスティやWFPが目指すような世界です。飢餓のない世界を実現できるか? 人が不当に逮捕されたり抑圧されることのない世界を実現できるか? そんな世界に向けてMSのビルゲイツが活動しているというのは10年前には想像しなかったように思います。

みなさんも飢えた子供の絵を出して、日々数百円の募金をお願いする団体(僕は大嫌いで、そのネタで某国連組織の人と盛り上がった)の広告を見たことがあると思います。しかし、TEDの講演を見ると、飢えた地域の子供の99%の栄養を改善するのに必要なお金は12円の科学的食料だそうです。

人々は豊かになると貧しい人のことを考えなくなる という人たちがいました。しかし確実に先進国も中進国も失業や社会保障の切り下げに直面しています。彼らは貧しい人のことを考えるようになるのでしょうか?

今夜見て、少し涙が出た10分の講演です
http://on.ted.com/9vs7 ジョゼット・シーラン:今こそ飢餓のない世界を
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