ふうてんの猫の猫耳東風的フリチベ生活

働きながら和製MBAと工学博士取得をしていた自称苦学生バックパッカーの日記。
今は学位もとって大阪で技術戦略考えてます

今年も3月10日が来た

2013年03月11日 | フリーチベット
3月10日は半世紀以上前に、チベット人が自由や人権を求めて蜂起をした日です。
それから多くの命が失われました。
2008年の北京オリンピックで強国としての自信を強めた共産党による弾圧が強まる中で、言論を奪われた人々による焼身抗議は100人を越えました。
ところで、

・国際平和・安全の維持
・諸国間の友好関係の発展
・経済的・社会的・文化的・人道的な国際問題の解決のため、および人権・基本的自由の助長のための国際協力 」
は、国際連合の理念として、国連憲章の一条に掲げられています。

その国連の栄えある地位である、常任理事国を中華人民共和国は担っています。

21世紀において、安保理常任理事国の国内で、非道と言って過言でない抑圧が行われていることを、人類は許すのか、許さないのか? 
平和とは何か?
誰もが許しえない人権侵害とは何か?

隣国で起きている現実を、一人でも多くの方に気に留めていただきたいと思います

何が正義かを決めるのは難しいです。しかし、何が許されないのかは、声をあげるべきだと信じています

http://www.supersamgha.jp/2013/03/post-95.html

日本人が、侵略を擁護していて悲しかった

2012年09月19日 | フリーチベット
最近、悲しく不思議だったこと。Transit http://transit.ne.jp/ という旅の雑誌が、チベット支援者はCIAから金をもらっている連中だと書いていたこと。NHKのクローズアップ現代で早稲田の毛里和子氏が中国に戦後の償いをしないからデモが起きると言っていたこと。なぜ、日本人が、中国の侵略行為を支持するの?

NHKの件は、この局面でインタビューに答える人が、毛里氏しかいなかったんじゃないか? という可能性もあるので、まぁ、仕方ないとして、

特に、TransitのCIAの件では、なんで、日本人が、中国の侵略を支援するのか、本当に疑問です。

以前、反貧困ネットワークで知り合った日本共産党員の若い人が
「ダライラマはCIAから支援を受けていた」 と2008年当時に力説して、チベットでの中国共産党の行為を援護していました。
確かに半世紀前に、チベットが侵略されている時に、抵抗活動のために、通信機器や兵器を支援してもらっていますし、それは、チベット関連の本を読めばふつうに書いてあることです。
(アメリカ以外に、インドもイギリスも日本も見捨てたんだもん)

しかし、その日本共産党はコミンツェルン(ソビエト)から、金をもらって設立した政党です。(日本共産党のトップが遊郭で使い果たしたとも言われますが)
さらに、朝鮮総連とは、もともと日本国内で分派した、根っこが同じ組織です。

なので、
「日本では、コミンツェルンから金をもらった連中が国会に議席を持っているけどどうしたらいいかな? 虐殺するの?」
って聞いたら、激怒していたけど、彼は論理的な反論はできませんでした。

どこかの国の政府機関から金を受け取ったということは、その子孫が虐殺やレイプされる理由として成立するのだろうか?

たしかに韓国では、WW2以前に日本に協力した一族を魔女狩りのように炙り出す営みもあるようですし、マルクス主義の北朝鮮では、共産革命以前に、その一族がどの階層(政治家、商人、農民・農奴など数十の階層)に属しているかで、いまだに待遇が違うとも言われていますから、そういう哲学で国を運営するというのは、東アジアではあるのかもしれません。

しかし、それが人権という思想にかなうものなのか、Transitの編集部や、日本共産党などの左翼の諸氏には考えてもらいたいと思う。

自国が侵略されている時に、誰かに手を差し伸べてもらうことは、罪ですか?

そして、CIAってアメリカの政府機関じゃないの?
CIAの人って、アメリカで虐殺されているですか? 
Transitって頭おかしくね?

少なくとも僕の知る限り、日本の支援者にCIAから金が入っているという話を聞いたことはないです。
いったい、何をソースに記事を書いたんだろう?
(って、中国共産党か日本共産党なんでしょうけどね・・・・)

FreeTibetBBQ@大阪

2012年07月10日 | フリーチベット
7月7日は土曜日は羽衣バーベキュー広場でFreeTibetバーベキューしました。

7月6日に誕生日を迎えられたダライラマ法王の誕生日祝いです。

野菜は実家の農家から差し入れてもらったもの以外は、伊勢丹で揃えました。
レタス一玉10円を筆頭に、通常価格が、えのき50円、トウモロコシ100円、マイタケ100円など、近所のスーパー顔負けのお値段で、味は伊勢丹。
お肉も伊勢丹で黒毛和牛と味付け焼肉を買いました
他にコリアンタウンで買ったカルビやハラミなど。

あと、ホテラバの知り合いや、旅行者仲間も来てくれたので、家からフランスのビオワインを差し入れました。

焼き始めると、どれも美味しくて満足でした。
少しコショウを効かせすぎたのと、肉を仕込むたれが、焼肉のたれで単調だったので、ワインで仕込むのもトライしたいな。

想定外だったのは、お子様が、ちゃんと並んで肉が焼きあがるのを待って食べるので、美味しいお肉が不足気味になってしまいました。
# 次は、ウインナーなどを集めた子供用のコンロを作ろう・・・・

きのこのホイル焼きなども、主婦のみなさまにも好評で、料理が好きな僕としては、美味しいものを提供できて、結構満足でした。

他にもチベット人が作ってくれた、チキンの鍋は美味しかったし、お祝い用の炊き込みご飯も面白かったです。(not 美味しかった)

1時から5時までの4時間でしたが、あっという間に終わり、さすがにチベット時間
追い出されるように解散しました。


# 一部で、時間を守らないのをチベット時間と言わないで欲しいという要望もありますが、却下です
4時から思い出したように鍋料理を初めて、タイムオーバーになるのは、やっぱりチベット時間。

みなさんも楽しんでいただけようで、「次のイベントは?」と聞かれましたが、次のイベントは、2月のロサルの予定です。

秋はチベット的にイベントネタがないのと、僕が多忙になるので、幹事は絶対にできないので、他の方が幹事をしてくれない限りは半年後かな。

うちで集まるぐらいなら、9月でもいいけどね。





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2011年09月12日 | フリーチベット
脱原発デモで12人逮捕、機動隊員暴行などで(読売新聞) - goo ニュース

何かを主張しただけで逮捕される
というような、共産主義者のようなやり口を、日本で行われているとしたら、それを断固として認めてはいけません。

以前、首相の家に行くとかいう馬鹿げたデモがあり、逮捕者が出ましたが、あの逮捕は動画を見る限りでは、国家権力の横暴のように思いました。
少なくとも、個人宅に近づく前にあのタイミングでの逮捕はないだろうと思いました

今回の事案がどういうケースかはわかりませんが、記事の通り機動隊と小競り合いなら、公務執行妨害は成立するだろうと思います。

左派についていえばk、警察を挑発して逮捕させては、「断固闘争!!」とやるやり方もどうかと思うので、警察を挑発するのは辞めるほうがいいと思う。

一部では、「原発反対だと逮捕なのか?」という心配もあるようですが、もし実際に、原発に反対したぐらいで逮捕されるなら、村上春樹氏をはじめ、多くの人が今頃、逮捕されていますし、民主党内閣のトップだった管君も今頃逮捕されていると思うので、原発に反対したら逮捕 ということはないんじゃないのかなぁと思います。

# まぁ、民主党が、表では反原発、脱原発っぽいことを言いながら、実際はそうした主張をする人を粛清している とかしたら、マジでビビリますが、たぶんそんなことはないでしょう。

いや、もと、左派市民活動家の管君が、反原発デモをやって、逮捕されるぐらいの根性があれば、それはそれで感動するなぁと思いましたが、国家議員の逮捕は司法手続きが難しいし、それはないわなぁと思いました

ただ、お遍路するよりは、反原発デモしているほうがいいかもね

脱原発は賛成だけど、脱原発デモとかには違和感がある

2011年06月14日 | フリーチベット
10年スパンで、原発を停止させていきながら、高額で安全で再生可能な電力にシフトしていくのは賛成です

しかし、電力が上がるという状況では、製造業を優遇しないと、特にマルクス国家の安価な労働力と競わされている中小工場は持たないだろうなと思います
よっぽど国民が勤勉で語学堪能で数学や経済に堪能ならともかく、ゆとり教育全開だった日本で、製造コストをあげるような政策で、全員が幸せになれるんでしたっけ?
とは思う。

反原発の人たちは、日本の派遣工場労働者が無職になる社会は甘んじて許容するつもりか、またサウンドデモして満足するつもりなのか、小一時間問い詰めたい


実情として、停止中の原発を再稼動させないなど、原発を無くす過程で自家発電機を持たないような中小企業は夏の節電に向けて苦しんでいる人たちがいますし、大企業も操業を減らす見込みです。当然ホームレスに成る人も含めて格差は広がるでしょう。私は好んで東北や茨城などの野菜を食べますが、危険を煽れば風評被害も起きるでしょう。 

結局、反原発派の人たちは、この国をどうしたの? 電力発電量を減らして、工業の成立しがたい国を作りたいの? 東北や北関東では農業や畜産ができない国を作りたいの?それとも、国民は東北や北関東の野菜や肉は食っていいの? 中小企業はどうすればいいの? 

 低負担高福祉という外道日共一味の脳内にしかない社会が、現実に実現できないように、クリーンなエネルギーだけで高成長を続けて雇用が安定していて、贅沢ができる国など、反原発派の脳内内にしかないように思います。

究極の選択として、原発の毒を食らうか、失業や低成長の毒を食らうかの二択ではないでしょうか?
私は、ニートやフリーターやホームレスがあふれようが、後者のほうが、子供たちの世代に申し訳がたつだけ、まだましだと思います。


脱原発は、社会のあるべき姿だけと思うけど、おおよそ、あらゆる選択は、メリットデメリットがある。
チベットの独立だって、デメリットもあるでしょう。

そういう社会の変革の痛みの覚悟がないように思うから、不愉快になりますが、脱原発自信は政権がどうなろうが、進めていくべきだと思います

電気がないなら、ろうそく

関心事と重大事

2011年05月11日 | フリーチベット
「被災地復興」が第1位に。働く女性が「今一番改善してほしいと思っている社会問題」ランキング(escala cafe) - goo ニュース


最近パフォーマンス首相が、浜岡原発へ、
「電力会社が全力で自主的努力して原発止ぬる!!」
と指示して、ニュースもネットも盛り上がっています

なぜか、左翼も大興奮

しかし、今そこにある危機というのは、以前として、避難所暮らしをしている人たちの生活再建であり、被災地以外でも増加している震災関連倒産や、失業だと思います

原発に関して言えば、福島の原発ですら、
「原発が再建されて、そこで働きたい」
という被災者もいるわけです

安定した収入を持つ人たちにとっては自称左翼も含めて、原発が大切なのでしょうが、
安定した収入がない人にとっては、リスクがどれくらいあるかわからない浜岡原発よりも、来月の家賃が払えないということの方が重大事項ではないかと思います

浜岡原発を止める判断については、政府の準備も貢献もないなかで愚策だとは思いますが、止めること事態は良いと思う

しかし、そのパフォーマンスの影で、雇用や家を失った人たちへの関心が薄れ、政府のアクションが薄れていくことがあるとすれば由々しき問題だと思います

ぶっちゃけ、パフォーマンスしか能がない男でも、
「原発を止めるという政治決断を自分ひとりで決めた。エッヘン。 でも頑張るのは電力会社ね♪」
とは言えても
「生活再建や雇用を守るという政治活動を自分ひとりで決めた エッヘン。 あれ?これは誰に丸投げすればいいの?菅ちゃん困っちゃう」
ということで、解決は難しいが、議論の余地なく重大な問題というのにまともに対峙されてないように思います

非正規で雇用が3ヶ月失われれば、ホームレスもありえるし、借金を作ることもありえます。

本当の火急の問題が、原発だったのか、有権者は頭を冷やして考えて欲しいと思います

あなたにとって、今なすべきことの、優先順位で浜岡原発は何番目ですか?

原罪と原発反対と肉体感覚

2011年05月09日 | フリーチベット
「浜岡は特別に切迫」首相、他の原発停止は否定(読売新聞) - goo ニュース

推敲してないバージョンのブログです

原発は100%安全だというのは、工学的にありえない主張ですが、浜岡はずば抜けて危険な発電所であることは、ほぼ間違いありません。

ぶっちゃけ、よくもまぁ、あんなところに建ててしまったものだ というレベルです。

この原発を優先的に止めることには異論はありませんが、政府は火力のためのLPG確保のためのトップ外交を含めた不断の努力をする必要がありますし、まったく役に立ってない節電おばさんの大臣は、中部電力管内の各家庭に対して、エアコンの使用抑制などを依頼すべきでしょうし、政府としてやるべきことは多々あるのに、すべてを中部電力の善意にゆだねてしまっています

もはや、それを先進国では政治とはいわないだろうと 私は思います

じゃあ、原発をこれからも推進するのかといわれればノーです
できる限り原発を廃止すべきです。
それは学生の頃からいっていますが、原発というのはサラ金のようなもので、今の快楽を享受できるけど、将来へのつけは非常に高くつくからです
いったい、半減期が万年単位の核廃棄物の安全な処理のコストってどれだけよと・・・・

赤字国債のよる福祉マンセー!! の左翼と、原発による安価な電力マンセー!! な連中は、子供世代に莫大な付けを回して現在を享受するという意味で全く同じ卑劣さです

しかし、それでも電力は必要だし福祉は必要なのです

よくヨーロッパは自然エネルギーが進んでいるとかいう人たちがいますが、日本の場合、それを阻むのが人権思想などの、住民の権利です

日本ではヨーロッパのように広大な自然エネルギーのための土地を確保することは非常に困難です
ヨーロッパでは、日本で言う限界集落のような問題は、「移住」によって片付けてしまえます
しかし、日本人は土地信仰が強いため、先祖から受け継いだ土地を捨てることに強い抵抗があります

そのため、半径数キロ程度で人がいない土地 というのを作れるヨーロッパでは風力なども推進しやすいですが、日本では、そんな土地はないし、それを作ろうとすると、莫大な補償費用が必要となり、広大な面積 ということが莫大なコストになって跳ね返ってきます

それで、原発反対派という人たちは、たとえば、CO2削減のときに、
「CO2を削減するようにしたら、火力が使えなくなって原子力が残る!!  私たちはCO2を出してでも原発を削減するべきで、CO2排出規制に反対です!!」と言ってきたのか問いたい

そして、
「土地の権利が強すぎるから風力発電もできないし、漁業権が強すぎるから潮力発電もできない。反原発の立場から、そうした権利はヨーロッパ並みに抑制すべきです」と言ってきたのかと問いたい

そして、
「コストの高い自然発電のために、電気代アップを国民は担うべきだ」と主張してきたのかと問いたい。

自然エネルギーの促進阻害として、住民問題があるのは興味がある人なら誰でも知っている話ですし、CO2削減に熱心だったフランスが、真の目的が原発を売ることだったといわれているのは、周知の事実ですし、電力コストについて日本は高いというが、停電時間における品質は世界一だというのもまぁ、常識の範疇です

それで、結局、私たちは、安定して停電など想定しないでいい電力を常に使い、難しい権利問題などスルーして、地球温暖化によって沈むモルジブやツバルのような美しい話に涙して、CO2削減!!とかに酔いしれてきたわけです

それは、今までの原罪です

日本で毎年1万人程を殺す現代技術である、自動車・バイクといった現代の移動手段を、人が死ぬから即刻廃止だという人はあまりいないし、環境破壊だから自動車禁止という人もあまりいない

それは、おそらく、自分がその利益を享受しているという、肉体感覚があるからでしょう
しかし、電力については、遠くの発電所で作られ、変電所を通って電柱を通ってくると、その肉体感覚を感じないほどに希釈される

その結果として、自動車批判はしないけど、原発は批判するという、活動家が一丁上がりとなる

私たち人類は、石油化学工業なしでは医薬品すら作れないのに、その貴重な石油を数世代後には残せないほどのペースで消費している
あれはエネルギーをとるために使うような価値では本来ないほど化学工業にとって必要なものです
(代替材料はいろいろと作られてはいます)

当然車で人は死ぬし、タバコの発ガン率は、福島原発が裸足で逃げ出すような高さです

現代の社会は様々なトレードオフや、代償によって成立しています

それを、原発だけを叩いて悦に浸れるような人を僕は信用しないし、知性を疑う
もちろん、真に危ない原発を止めることにはまったく異論はないが、原発のない社会を作るために、風力や水力のために村を失う人たちに対して説得するだけの覚悟があるのか?

潮力発電のために漁業権を安価に手放せというだけの覚悟があるのか?

そして、日々の生活で安価で安定した電力というものを失う覚悟があるのか?
そういう、覚悟のない連中の、お祭り騒ぎの反原発というのは、反貧困同様に、時間の重みに耐えられないだろうと思う

が、私は、そういう覚悟をもつ国民に成長する機会だと思うし、実際に多くの企業や生活者はそうやってシフトしているように思う。

そのスピードについてこれてないのは、ただ原発反対といって悦に浸りながら、原発がなくてもいい社会のために行動しようとしない人たちなんじゃないのかなぁ

日本国憲法前文を素直に考察して読んでみる

2011年01月07日 | フリーチベット
日本国憲法前文 理念は素晴らしいと思う


日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。



オスロー宣言を支持する社会民主主義者も全く異論がないであろう前文である

ところが特に9条と関係しそうな
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」 
について、諸国民ってのはたぶん世界150カ国以上を指すので、 試しに日本と国境線が隣接する個々の名前を入れてみる 


「平和を愛するアメリカ国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」
「平和を愛する中国国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」
「平和を愛する北朝鮮国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」


なんか、この3つを読んで、うんその通りだ と思う人は、右派、左派問わず、いないと思う。

もうね、憲法の前提である、前文の現状認識がおかしいのです
マジで

だいたい9条マンセーな人たちは、本当に
「平和を愛する諸国民(含むアメリカ国民)の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」
なんて思うの?

前文に論理的な正当性が無い以上、諸外国同様に憲法を改正していくのは当然だと思う

そしてもう一つ
「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」

この理念に対して、全世界は、個々の国を入れても当然成り立つはずですが

「われらは、北朝鮮の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」
「われらは、中国(含むチベット)の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」
と日本共産党の信者はそう思っていますか?

もし、そうでないなら、あなたたち日本共産党や社民党が国会に議席を置くこと自体が憲法の理念に違反している。
自由主義陣営だろうが、共産主義陣営だろうが、途上国だろうが先進国だろうが、全世界の人々が、恐怖と欠乏から免れることを願う人たちだけが、わが国の国会に議席を持つことが、憲法の理念を生かすことだと私は思う

世界の人々の平穏を願うことが憲法の前文に明記されている以上、憲法99条の要請
天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

から、イラクやチベットの人々の平穏に生きる権利があることを確認できない外道は違憲な存在である


だから、憲法上の要請から日本共産党はゼロ議席になるべきだ

日本国憲法前文を素直に考察して読んでみる

2011年01月07日 | フリーチベット
日本国憲法前文 理念は素晴らしいと思う


日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。



オスロー宣言を支持する社会民主主義者も全く異論がないであろう前文である

ところが特に9条と関係しそうな
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」 
について、諸国民ってのはたぶん世界150カ国以上を指すので、 試しに日本と国境線が隣接する個々の名前を入れてみる 


「平和を愛するアメリカ国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」
「平和を愛する中国国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」
「平和を愛する北朝鮮国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」


なんか、この3つを読んで、うんその通りだ と思う人は、右派、左派問わず、いないと思う。

もうね、憲法の前提である、前文の現状認識がおかしいのです
マジで

だいたい9条マンセーな人たちは、本当に
「平和を愛する諸国民(含むアメリカ国民)の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」
なんて思うの?

前文に論理的な正当性が無い以上、諸外国同様に憲法を改正していくのは当然だと思う

民主党は言論の自由をどう考えているのか?

2010年11月14日 | フリーチベット
この一週間ぐらいの動きで、民主党のいう「民主主義」というのは、非常に危ういと思うので、ちょっと思考をまとめておこうと思います。

ネタとしては二件から。

■仙谷氏「写真取材見直し」に「責任転嫁」と野党
(読売新聞 - 11月12日 21:27)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1405631&media_id=20


 仙谷官房長官は12日の衆院内閣委員会で、国会の委員会室で「厳秘」資料を広げているところを撮影されたことに関し、「国会内の撮影許可の趣旨は、カメラが今のように非常に細かいものまで拡大して望遠レンズで撮影できる時代の許可ではなかった。時代とともに撮影の在り方をもう一度考え直す必要がある」と述べた。

 同日午後の記者会見でも、「一議員」の考えとした上で、「室内で望遠レンズ、拡大レンズを使うことはコピーしているのと同じだ。国会の内規、慣行として(見直しを)検討頂けたら、と思う」と述べ、写真取材のルールを見直す必要があるとの認識を強調した。

 仙谷氏が、「帝国議会の頃からの慣例のようで、問題になったことはない」(衆院事務局)とされる国会内の写真取材見直しに言及したことについて、野党は「責任転嫁だ」と批判を強めている。

 内閣委で仙谷氏に質問した自民党の中川秀直元官房長官は記者団に、「閣僚時代は、拡大望遠レンズだろうが何だろうが撮影される可能性がある、というつもりで予算委員会に臨んできた。本当に極秘なら、書類を広げることは危機管理の問題だ」と述べた。みんなの党の渡辺代表も「(政府の)情報管理が不徹底と言っておきながら、自分の極秘情報を撮られると暴言を吐く。責任転嫁という魂胆がありありだ」と指摘した。

 一方、仙谷氏は12日の内閣委で、許可を得れば認められる撮影を「盗撮」と表現したことを「撤回する」としたが陳謝はしなかった。



もう一つは、尖閣諸島の映像の自主公開に関してGoogleからのIPアドレスの情報提供に関して。
Googleは任意では応じられないといっていたわけで、裏をかえせば、礼状もなしに通信記録を出して欲しいといっていたわけですね。
そもそもyoutubeのサーバはアメリカかシンガポールにあると思うので、日本法人にそれを開示させる権限があるかないかは、実はよくわからない(ようはネットについてどこの法律が適用されるは、実はまだ国際的な枠組みはない)


率直に、いまの民主党政権というのか、仙谷という男は、「国家による検閲」 と言うことに対して、なんら危機感を持たない人種であるといわざるえない。

この件については、日経ビジネスの「民主党政権が外交で“失策”相次ぐのは、なぜなのだろう?」の一部を抜粋したいと思います
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20101006/216526/?P=2


前略
機能不全をもたらしている理由
 これは、なぜでしょうか。民主党には、首相としての最適者を選択する党内政治過程そのものに潜む問題があるのではないか、それがこの国に機能不全をもたらしているのではないか、と思ってしまいます。

 それは、こういう構造です。まず、有力な外国が2つある状態で、これらが対立していることを想定しましょう。現在、政権を持っている政党は、片方の勢力と同盟関係を結んでいます。その関係は国家を繁栄させたのですが、近年、力に陰りが出てきたようです。

 ここで、野党第一党が何を考えるか、ということです。個々の構成メンバーの信条を越えて、構造的にもう1つの勢力と結び、現政権とこれにつながる外国勢力の批判を行ない、その方向で人脈を形成し、政策セットをそちら寄りにするでしょう(「今度の参院選は、候補者本位で考えよう!」に掲載したモデルを参照)。

 現政権と同じ外国を称賛するような主張では、現政権との差別化ができず、有権者に「ということは、現政権を続かせればいいじゃないか」と思わせてしまいかねないからです。

 現政権の政策に行き詰まりが見えると、野党は俄然、張り切ります。うまくすると、政権交代が起こるかもしれません。

 しかしながら本来、政権交代を達成した野党には、ここで発想の転換が必要になります。なぜなら、旧政権と対立していたその外国勢力は、自国の勢力伸長の手段として、相手陣営の同盟国の離反や弱体化を企図していたわけですが、その対象は政権交代した当の政党にも向かうからです。

 しかし、これまでの経緯や人脈、心理的慣性から抜けられない場合、政策の切り替えがうまく行かず、反対陣営の衛星国化してしまうとか、反対陣営の邪険な対応に狼狽えて国益を損ねてしまいかねないのです。特に、頭のいいふうでいて実は頭が固いだけのヒトが一番危なそうです。自分の誤りを認められないですからね。

 革命政権では、しばしばそうしたヒトが恐怖政治を行ないます。弁護士であったロベスピエールなどが典型です。

 これでは、反動政治の台頭を許し、結果として政権交代当初の志が失われてしまいます。何度も揺り戻しを経験するうちに、国力が疲弊してしまうでしょう。

平和を追求する国家のあり方

 では、こうした状態からうまく方針転換を達成した例はあるのでしょうか。

 例えば、明治維新はどうでしょう。当初、尊王攘夷を旗印に倒幕を仕掛けた勢力は、政権を得るや欧州視察団を編成して外遊し、帰国するなり一気に開国と富国強兵路線へ転換します。
以下略


このあと、平和を目指す国家というのは民主的でなければならない と論説は続くのですが、
今の日本の民主党政権下では逆の方向に進んでいると言わざる得ません

もともと社会党というのは、朝鮮労働党の友党として、あの北朝鮮を賞賛してきたように、革命政党による独裁 というものに対して無批判だった政治思想を持っている人たちです

いまの仙谷にしても、中国の共産党独裁による民主主義の弾圧というものの下に10億人が暮らすということについて、なんら胸を痛めている様子はない

日本では左派というものが、リベラルとマルクスという対峙する二つの価値観に使われますが、民主党というのは二つの左派(旧自民党=リベラル と旧社会党=マルクス)の二つの異なる価値観が混在してしまった政党です。

自民党政権下では、記者会見がどんなに不愉快なものであっても、記者会見の検閲を行っていこうということにはなりませんでした
彼らは自由民主党という名の通りリベラルですし、なによりも長年、民主主義国家の政権を担ってきただけに、施政者としての振舞い方というものを心得ていました

記者会見にしろ、通信の秘密にしろ、日本というのは検閲には厳しい態度だったはずです。少なくとも自民党政権の下では。

対して、民主党政権というのは、その施政者としての責任の重みや、言動の重みに耐えられない人たちが、力でそれを押さえつけようとしているようにしか見えません。

菅直人 氏はその責務を果たそうとしているように思いますが、いまだに一兵卒といいながら国会召致に応じない小沢や、言語が意味不明だった鳩山などは、自らの責任というものを理解できない人たちでした。
そして、仙谷という男は、権限の大きさをよく自覚した上で、それをまさに権力として行使しようとしているのでよりたちが悪い

民主党のいう政治主導とは、独裁であると知れ

と思います

民主党政権ができるころには、民主的な手続きで政権に就いた国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)の再来だと書いて、それはあまりに杞憂だとコメントした人もいますが、民主党の試みが成功するかは別としても、やり方が、国家社会主義ドイツ労働者党やロベスピエールと同じ方向を向いていることは、間違っていないと思います