風色明媚

     ふうしょくめいび : 「二木一郎 日本画 ウェブサイトギャラリー」付属ブログ

虹だ!

2009年07月27日 | 日常雑記


本日夕方に現れた虹です。
副虹(ふくこう)と呼ばれる外側の虹もかなりはっきり見えています。
南東から北東にかけての空に明快な円弧状の姿を見せた虹は、まさに虹の架け橋と言うに相応しいものでした。
これは広角24ミリレンズで撮っていますが、全体は一度に写せないほど大きなものでした。

何だか最近綺麗な虹の架かることが多くないですか?


左は5月8日、右は今月19日です。

聖書によれば、この世界に虹が現れたのはノアの大洪水以降のことです。
大洪水の水が引き、ノアは箱舟の外に出て祭壇を築き生け贄を捧げました。
これに応えて、神は生き物を滅ぼすような洪水を二度と起こさないと約束し、その証として空に虹を置いたと書かれています。

契約の徴が頻繁に現れる…。
これは何かの予兆なのでしょうか。

-------------- Ichiro Futatsugi.■

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暑中お見舞い申し上げます

2009年07月25日 | ご挨拶


小高い丘にあるイタリア・アッシジの旧市街から、4キロ離れた下の平地にある集落サンタ・マリア・デッリ・アンジェリに向かう途中の畑の中にある祠です。
数本の糸杉に囲まれた、本当に小さな祠です。
最初のイタリア旅行で取材して以来、何度か作品化しているほど好きな祠です。
これは、水彩で色をつけた鉛筆デッサンをデジタル加工したものです。

夏バテしませんように、どうぞお元気でお過ごしください。

-------------- Ichiro Futatsugi.■

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映画「アマルフィ」を観て

2009年07月19日 | 日常雑記
昨日、公開日を迎えた映画「アマルフィ 女神の報酬」を観てきました。
私の作品がどの程度映っていたのか…。
多少の期待もあったのですが、残念ながら1点のみがチラリと映っていただけでした。
しかも、事前にメイキング映像を見ていなかったら作者の私でも気づかない程度でした。
まあ、私の作品は小道具の一部ですから仕方のないところです。
出演した戸田恵梨香さんは、一分にも及ぶイタリア語のセリフを編集で全部カットされたそうです。
”全体のためには部分を犠牲にすることも厭わない。”
これは作品創りの鉄則で、映画でも絵でも、すべての分野で共通することなのです。
それが判っているだけに、監督に一言言いたいというような気持ちにはなりませんでした。
私の作品に出番はほとんどありませんでしたが、エンドロールにはしっかり私の名前が記されていましたので、いい記念にはなりました。


さて、この映画の中で絶句するほど感動した場面がありました。
それはアマルフィの空撮シーンです。
映画館のワイドスクリーンいっぱいに映し出されたアマルフィの全景に思わず息を呑みました。
自分の作品がどう映っているか…などという雑念がすべて吹き飛んでしまったほどの圧倒的な迫力でした。
これは賭け値なく素晴らしい光景でした。

私は20数年前にアマルフィに行っていますが、地上からしか街を見ていません。
海岸から長く突き出た堤防の先端まで行って、谷に沿ってU字型に広がる街全体の様子を見知ってはいますが、上空から俯瞰するとこれほどまでに素敵な街であったとは!!
胸が震えるほど感動しました。
まさに、ギリシャ神話の英雄ヘラクレスが愛した妖精の眠る街に相応しい佇まいです。
懐かしさと美しさで、思わず涙がこぼれそうになりました。
できることならヘリコプターをチャーターしてアマルフィを一望してみたい…。
心の底からそう思えました。
この空撮を見ることができただけでも私は大満足でした。
ちょうど、昨日の朝日新聞夕刊の一面トップに「イタリア観光 日本人客急減」という記事が載っていました。
しかし、この空撮を見れば「アマルフィに行ってみたい…」、そう思う人は多いと思います。
果たして「アマルフィ 日本人客急増」という記事が紙面を飾る日が近い内に来るのでしょうか。

地上から街を眺めるなら、やはり海辺が一番だと思います。
できれば船で海上から眺めるのがお奨めです。
アマルフィ海岸一帯には、海に迫り来る険しい岩山に貼りつくように街が点在しています。
屏風のようにそそり立つ様子を海辺から仰ぎ見ていると、その懐に抱かれて癒されるような感覚に包まれます。
街の中も、大通りから一歩路地に入ると迷宮に紛れ込んだような楽しさがあります。
様々な建築様式が混在しており、ほとんどが石の壁に漆喰を塗ってカラフルに塗装していますので、イタリアなのにイタリアではないような異国情緒も味わえます。
頑張って山の中腹まで登れば、海を背景とした目も醒めるような眺望にも出会えます。

やはりアマルフィは珠玉の街です。
映画を機に、アマルフィの素晴らしさを再認識できました。
トスカーナやウンブリアばかりを歩いてきた私ですが、またアマルフィに行ってみたくなりました。

-------------- Ichiro Futatsugi.■


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7月15日水曜日

2009年07月15日 | 仕事場
イタリア・アマルフィの街を5年ぶりに描いています。
映画「アマルフィ 女神の報酬」公開記念…というわけではないのですが、やはり映画の影響はあると思います。



大きさは10号で、これは下描きが終わった状態です。
下描きは当初線描きだけで終えるつもりでしたが、鉛筆と薄墨を併用して結構描き込んでしまいました。
この後、鉛筆を定着させるために捨て膠を施してから彩色に入ります。




全面に一応色を置いた状態です。
ルクセンブルグ大聖堂と同じように現物に即した色合いからスタートしています。
しかしこれは夜景にはしない予定です。




このあたりまでは状況説明を優先しています。
可もなく不可もない画面で、私の絵らしさはまだ出ていません。

*******

以前紹介しましたように、18日土曜日から公開される映画「アマルフィ 女神の報酬」には私の作品が使われます。
貸し出した作品は全部で8点あります。
公式サイトで配信されているメイキング映像では、ローマの日本大使館のシーンで2点映っているのが確認できています。
ただ、あくまでメイキング映像では…ですから、本編でどの程度映っているかは見てみなければ分かりません。
それを見る限りでは、どれが私の作品なのか私以外には判らないだろう…という程度です。
わざわざアップで映してくれるわけでも、私の作品であることを紹介する字幕が出るわけでもありませんから。


これが登場予定の作品です。

全部が登場するか保障の限りではないと、製作者側と交わした契約書には書かれています。
メイキング映像では本当にチラッと映っていただけでした。
見終ってから「どこにあった?」なんてことになる可能性は大きいかもしれません。
エンドロールに記される私の名前も、多くの撮影協力者の名前の中に埋まり、瞬きしている間に流れ去っていくことでしょう。

まあ、それでも二度とない機会でしょうし、私の周囲では少しは話のタネになっているようですから
私の地味でささやかな人生の中での稀少な”煌びやかな瞬間”だと言えない…こともないでしょう。

さて、どの程度映りますか…。

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7月9日木曜日

2009年07月09日 | 仕事場
ルクセンブルグ大聖堂の7月2日の状態です。



刷毛を使って大雑把な彩色を続けています。
絵具は鼠・焦茶・水色群青・群青などで、粒子は11番と9番を混ぜています。
私は下塗り以降、空と建物をほとんど塗り分けていません。
この段階では空間に満ちている空気と光に厚みを加えることを主眼にしています。
その結果聖堂の形が次第にぼんやりと不明瞭になってきてしまいました。
こういう彩色法を採れば当然のことですし、想定の範囲内です。
しかし形が見えなくなる寸前まで来ていますので、ここで形の描き起しをします。




聖堂の形を描き起した8日の状態です。

今回はいつもより強めに輪郭を起こしています。
この画像では判りにくいのですが、描き起した部分は軽く薄っぺらな印象になっています。
描き起し直後はどうしても軽くなりやすいものです。
今後彩色を重ねていけば軽さは解消されていくはずですから、現在はこれでいいのです。
このくらい起こしても少し色を重ねればすぐに弱くなってしまうので、あえて強めに起こしています。
描き起しは最初に白の色鉛筆で線描きし、方解末と群青の13番に白群を混ぜたもので彩色しています。

描き起した形は、まだ最終決定ではありません。
冷静に観察すると、所々形の歪んでいる部分があります。
実際の聖堂と比較して…ということではなく、この画面だけを見て不自然な部分があります。
形は現物通り正確でなければならないということはありません。
形の狂いを感じさせない許容範囲はどこまでなのかを判断しながら修正しつつ仕事を進めていくことになります。

-------------- Ichiro Futatsugi.■


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