風色明媚

     ふうしょくめいび : 「二木一郎 日本画 ウェブサイトギャラリー」付属ブログ

個展のご案内③

2008年12月25日 | 展覧会案内
この度、長野県諏訪市のSUWAガラスの里で個展を開催することになりました。
SUWAガラスの里は、アールヌーボーのガラスコレクションで有名な北澤美術館の新館です。
北澤美術館のコレクションの展示のほか、各種ガラス製品のショップも充実しています。
北澤美術館の本館とは離れて諏訪湖南端にあります。
新作4点を中心に30点ほど展示する予定です。



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会場:SUWAガラスの里1階ギャラリー
長野県諏訪市豊田2400-7
TEL 0266-57-2000

会期:1月1日(木・元旦)~2月1日(日)

時間:午前10時~午後5時

→SUWAガラスの里ホームページ

アクセス
自動車:中央自動車道諏訪ICより約15分
電 車:JR中央東線上諏訪駅より車で約15分

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12月19日金曜日

2008年12月19日 | 仕事場
サン・フランチェスコ聖堂の夜景は、一進一退を繰り返しています。
一進一退という言葉は、あるいは適切ではないかもしれません。
一時的に退くことは、全体として先に進むための手段でもあるからです。

現在は刷毛を多用する段階の真っ只中にあります。
刷毛を多用して彩色すると形が崩れて、シャープさが欠けてきます。
私が望む雰囲気を出すためには、どうしても刷毛の多用は不可欠です。
崩れすぎたら描き起こして、また刷毛を使います。
もちろん最終的には細かい描写も必要になります。


これが今日の状態です。

画像では判りづらいのですが、全体に一本調子になってメリハリがなくなっています。
雰囲気は出てきましたが、単調で鈍く、夜景とは言え端切れの悪い画面になってきました。
これは毎度のことで、言わば想定済みであり、この先どのような仕事をしていけばいいのかも判っています。
判ってはいますが、予定通りにならないのが絵の難しいところです。
しかも、残り時間があまりないのです。
この作品は2月25日から始まる個展に出品するのですが
ダイレクトメールに載せるために、もう1点と共に1月10日頃には完成写真を送らなければならなくなりました。
つまり、それまでに仕上がっていなければならないのです。
これから本格的に胃の痛む日々が続きます。

ここ数日は、風邪をひいて頭がぼんやりしています。
絵を早く乾かすために、ほぼ一日中扇風機は全開だからです。
その上、咳をしたはずみで少し腰を痛めてしまいました。
この忙しい時にダブルパンチの災難です。
幸い、素早い処置のおかげで両者共重くならずに済みそうです。

頑張れよ!
はいっ。

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冬来たりなば…

2008年12月16日 | 趣味
ただ今は、冬の真っ最中。
寒くなると、どうも外に出るのが億劫になる。
家の中でウジウジしていると、ストレスと共に余分な脂肪も溜まってくる。
今年は2回の個展に高校のOB展があった。
来年は1月・2月と個展が続く。
6月と8月には腰を痛め、そんなこんなで今年はすっかり運動不足になってしまった。

動物の身体は、ある程度動かすことを前提として設計されている(はずだ)。
私は自宅が仕事場。
場合によっては一日に一歩も外に出ないことだってありうる。
このままでは、年を取ってから必ずツケがまわってくるぞ!
そんな危機感を覚えたのが17年ほど前だった。
何か運動になるようなことをしなくてはならない。
何をするか?
とりあえずジョギングあたりか?
でも、ただ走るだけでは面白くないし、きっと長続きもしないだろう。
何か継続してできそうなものはないかと思い巡らせていると…。
あった!スケートが!

*****

私の故郷安曇野でウィンタースポーツと言えば、まずスキーだ。
穂高から大町・白馬にかけてはゲレンデが目白押しのスキーのメッカなのだ。
だが、安曇野最南端で育った私は全くスキーに縁が無かった。
少年時代、冬の遊びと言えばスケートだったのだ。
田圃に張った水が凍れば天然のリンクになる。
所々に稲の切り株が顔を覗かせる氷の上を、昔懐かしい下駄スケートで滑ったものだった。
小学校に入ると、冬の体育の時間にはスケートが採り入れられていた。
氷結した農業用溜池の凸凹の氷を掃き清めた、俄仕立ての滑走コースを作って滑るのである。
子供たちが使うスケートはスピードスケート一辺倒で、フィギュアやホッケー用はいなかった。
だから私も自然の成り行きでスピードスケートに親しむことになった。

*****

私は高校を卒業して上京する際にスケート靴を携えて来ていた。
東京ドーム近くの黄色いビルの中に当時はスケートリンクがあり、20歳代の頃には年に1~2度は滑りに行っていた。
それを思い出し、押入れの中からすっかりくたびれ果てたスケート靴を引っ張り出して近所のリンクに出かけていった。
それが17年前のことだった。


これが現在の私である。

東京都江戸川区にある江戸川区スポーツランドのスケートリンクでの一コマである。
運動不足解消のために始めたスケートにすっかりハマッてしまい、15年前からスピードスケートの同好会に所属している。
屋内リンクだから、屋内リンク専用の競技であるショートトラックスピードスケートの道具やユニフォームを使用している。
見た目は選手と全く同じ道具立て。
ジーパンとセーターでももちろん滑れるが、やはりそれなりの格好をすると、意気込みと緊張感が倍増するのである。
同好会では月に3回くらいリンクを借り切っての同好会単独の練習会を催している。
同好会だから、子供からお年寄りまで幅広い年齢層の方々が入会し、それぞれ思い思いに楽しんでいる。

私にとってスケートは精神安定剤なのである。
日常の諸々のストレスを忘れて滑りに集中することができるからだ。
と言えば聞こえがいいが、、正確に言えば、集中していないと転倒して大怪我をしかねない。
ご存知の通り、スケートは硬い金属の薄い刃に乗って滑っているのである。
包丁ほど鋭利ではないが、皮膚など簡単にスパッと切れる。
大怪我をすれば仕事に差し支えることになるから、スピードを出せば出すほどぼんやりと滑ってはいられないのだ。
否が応でも無心にならざるを得ず、その結果、滑り終わったあとには心地良い疲労感と爽快感が訪れる。
リンク帰りの車中では、いつにも増して身も心も冴え渡っているのが実感できるのである。


---------------------- 謹告 ----------------------

私が所属する江戸川スピードスケートクラブでは随時会員を募集しています。
江戸川区スポーツランドのスケートリンクの営業期間に合わせて、毎年10月~5月まで活動しています。
原則として夜間(8時15分より)、一時間半の滑走となります。
興味のある方は、是非一度クラブのホームページをご覧ください。
まったくの初心者でも入会できます。

入会を検討されている方は、「特別参加者」として試しに練習会に参加することができます。
3回まで参加することができ、1回1000円(就学者は500円)で滑走できます。
特別参加したからと言って必ず入会しなければならないということはありません。
是非一度お気軽にお試しください。

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12月12日金曜日

2008年12月12日 | 仕事場
サン・フランチェスコ聖堂の夜景の続きです。


これは8日月曜日の状態です。


これは11日の状態です。

両者を比べると、全体の雰囲気とバランスは8日の方が良いのです。
この雰囲気を維持しながら進めてもいいのですが、仕上がりのイメージとは相当隔たりを感じています。
表面がザラザラしている印象が強く、もっとしっとりした清澄な印象の画面にしたいのです。
そのためにはたとえ一旦画面を壊すことになっても、思い切った仕事が必要になってきます。
この作品は、このあたりがターニングポイントのようです。

そこで更に刷毛で色を重ねた結果が11日の状態です。
厚みとしっとり感は出てきましたが、細部がだいぶ潰れてしまいました。
特にファサード(教会の正面)や回廊はこれ以上刷毛を使うと、最初に描いた形が完全に消えてしまいます。
形が不明瞭になり、細部が必要以上に潰れてしまうと、いかにも中途半端で大味な印象になってしまいます。

刷毛ムラも多くなって目障りになってきました。
私は意識的に塗りムラを作ることがあります。
目障りな塗りムラがあれば、修正しようとして一層手が入るのです。
順調に行き過ぎると、壊すのが怖くなって消極的になってしまうことがあります。
無難なところで終えてしまおうとするのを防止する効果もあるのです。

そろそろ本格的に形を描き起こす段階に来たようです。
色は、まだまだ深みがなく不満だらけですが、形がある程度できてこないと判断ができません。
色と形の一体感が出てこないと、その色が適切かどうかは判らないのです。

さて、これからが正念場です。

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地中海の月の雫

2008年12月08日 | 随想
”アマルフィ 女神の報酬”

これはフジテレビが開局50周年記念作品として製作、来年7月に全国東宝系で公開予定の映画のタイトルである。
「イタリアを舞台に、かつてないスケールで描かれるサスペンス超大作」(東宝WEB SITEより引用)とのことで、織田裕二、天海祐希、戸田恵梨香、佐藤浩市などが出演するそうだ。

この映画に私の作品が”出演”することになった!

「映画の中で壁に飾る作品を貸りたい。」
私のホームページを見た制作会社の担当者から、突然そのような連絡をもらった。
めったにあることではないので、話のタネにでもなれば…と引き受けることにした。
おそらく登場人物の背後に時折チラリと映る程度だと思う。
貸し出した作品は複数あるが、編集でカットされる可能性もあるとのことで、何点が”出演”するのかは出来上がってみるまで判らない。
エンドロールには私の名前が載るそうである。
こういう機会が今後もあるとは思えないから、正直、公開が楽しみである。
願わくば天海祐希さんの背後に私の作品が…という”ツーショット”でも実現すれば末代までの自慢の種にするところなのだが…。

この映画のことはすでにインターネットで告知されているが、現在製作中なので関連サイトでもまだ詳しい情報は公開されていない。
東宝のホームページでは、トップページから「ラインアップ」をクリックすれば、現在公開中のものから公開予定までの一覧が出る。
→東宝WEB SITE
映画の公式サイトは、まだポスターのようなプロモーション画像(?)しか載っていない。
→「アマルフィ 女神の報酬」公式サイト

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

アマルフィとはイタリア・ナポリの南、ソレント半島の南側にある地中海に面したリゾート地のことである。
一般にはアマルフィ海岸という名称が通っているだろう。
私にとってアマルフィは懐かしい地名なのである。
1987年の12月、初の海外旅行であったイタリア旅行で訪れたことがあった。

アマルフィは元々海洋都市国家である。
イタリア屈指の海洋都市として栄えたヴェネツィアやジェノバよりも歴史のある街なのである。
東方世界との海上交易で栄えた歴史を物語るように、ビザンチン様式やイスラム様式などの建築様式が入り混じる特異な街並みとなった。
ドゥオモ(中央教会)のサンタンドレア大聖堂は幾何学的なモザイクで装飾され、オリエンタルな香り漂う街に相応しい佇まいを見せている。

この街に滞在したのはその一度だけ。
リゾート地として有名なソレントでクリスマスイブを過ごした後、曲がりくねった海沿いの道をバスに揺られてやってきた。
アマルフィ周辺は海からいきなり山地が断崖となって突き出しており、平地などほとんどないのである。
さすがの私も車酔いしそうになったほどのワインディングロードの先にアマルフィはあった。
夕暮れ間近、海に突き出た防波堤の突端でスケッチをしていると、サラセンの尖塔のある教会を頂上にした三角形の街なみが、その漆喰壁を次第に淡いピンクに染めていくのが印象的だった。

そして翌年、初めて描いたイタリアの風景がアマルフィだった。
その後はトスカーナやウンブリアで取材を重ねることになり、しだいにアマルフィの情景も記憶の片隅に追いやられていった感があった。
今までたくさんのイタリアの風景を描いてきた私が最初になぜアマルフィを選んだのか。
自分のことながら、今となっては定かではない。
私がモチーフとしているのは、ほとんどがトスカーナとウンブリアの風景である。
アッシジ・トレビ・フィレンツェ・シエナ・サンジミニャーノなどの街や、その周辺の丘陵地帯ばかりだ。
トスカーナやウンブリアに魅了されてきた私には、アマルフィを始めとするナポリ近郊の海辺の風景は特に思い入れの深いものではないはずだった。

それから16年後の2004年。
急に懐かしさに駆られ、個展で久しぶりにアマルフィを描いてみた。


「黄昏近く」 10号 2004年

16年ぶりに改めて向き合ってみると、再びあの時の鮮烈な思い出が蘇って来たものだった。
しかし、なぜ4年前に思い出したかのようにアマルフィを描いたのか…。
そして思いがけず、またしてもアマルフィの記憶が意外な形で呼び戻されることになった。

思わず何か因縁めいたものを感じてしまうのだが、特別何も思い当たることはない。
トスカーナやウンブリアは日頃私から積極的にアプローチしている。
しかし、アマルフィは忘れた頃に向こうからそっと近づいて来る。
そんな不思議な縁…としか言いようがない。
もしかしたら私の前世がアマルフィに関わりのある人物だったとでも言うのだろうか。
私の出身地安曇野は、海洋民族「安曇族」の土地である。
安曇族は古代に北九州からやってきた。
では、北九州に来る前に彼らはどこにいたのか。
そのルーツは未だ歴史の闇の中にある。
私の前世かもしれないアマルフィに関わりのある人物のルーツと、はるばる九州に辿り着いた一団の中にいた人物のルーツが共通だった…。
つい、そんな小説のような夢想が頭をよぎってしまうのである。

アマルフィは小さいが珠玉の街である。
アドリア海の真珠がヴェネツィアならば、アマルフィは地中海の月の雫だろうか。

懐かしい潮風の匂いと黄昏時の記憶の上には、もうずいぶんな月日が堆積してしまった。

-------------- Ichiro Futatsugi.■


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