monologue
夜明けに向けて
 

  


ホピインデイアンが予言したように1986年5月、わたしは日の昇る国に修行に出てまず原子力や核関連の知識を当時出版されていた多くの書物で深めるとすぐに首の骨を損傷した。それがこのグローバルプロジェクトの重要なプロットになっていて、北米先住民ホピ族のいう大きな世界的規模音楽イベントに出場を果たすことができたのだった。シンガポールから8月に帰国すると9月にNHKテレビでその音楽祭の番組が放映され、その後、東京府中の森芸術劇場、奈良、渋谷、川口、飛騨高山、日玉の国音楽祭などなど様々なイベントに招かれパフォーマンスを行った。そんな忙しい日々が終って間もない11月のある日、まるで修行の一環として予定されていたように風呂場で脳出血が起こり倒れたのだった。運び込まれた東川口病院で藤原医師によって緊急開頭手術が行われた。それはうれしくないけれど必要な修行のひとつだったらしい。
fumio

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