monologue
夜明けに向けて
 




妻にとってもそれは辛い試練の始まりだった。報せを受けて倒れようとする妻を小学4年生の息子が支えて「お母さん、しっかりして」と励ました。それで妻はハッとわれにかえった。それから妻はアメリカ時代と見違えるほど強くなった。
わたしは搬送された第三北品川病院で頸椎の緊急手術を受けてある程度回復すると武蔵村山病院のリハビリ病棟へ送られた。
fumio

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執刀  


 救急車で運ばれた北品川第三病院のICUで長時間に及ぶ手術が始まった。平井という若い医師がむづかしいけれどこれまでやったことのない方法を試すということだった。リスクが大きい方法をとったことをのちに他の医師が非難したが結果的にはその新手法を使用したことが良かったのである。
もし治っても一生寝たきりか良くても車椅子の生活ということだった。しかし、そのことを自分の将来像として現実感を伴って考えることはできなかった。手術後、麻酔が醒めて、まだ手足が動かないことを再確認した。のちに医師に聞いたところでは手術中に息を引き取らなかったのは腹式呼吸で鍛えていたからだそうだ。なるほどそんなものかと思った。なにが幸い 救急車で運ばれた北品川第三病院のICUで長時間に及ぶ手術が始まった。平井という若い医師が執刀してむづかしいけれどこれまでやったことのない方法を試すということだった。リスクが大きい方法をとったことをのちに他の医師が非難したが結果的にはその新手法を使用したことが良かったのである。
もし治っても一生寝たきりか良くても車椅子の生活ということだった。しかし、そのことを自分の将来像として現実感を伴って考えることはできなかった。手術後、麻酔が醒めて、まだ手足が動かないことを再確認した。のちに医師に聞いたところでは手術中に息を引き取らなかったのは腹式呼吸で鍛えていたからだそうだ。なるほどそんなものかと思った。なにが幸いするかわからない。
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助言  


埼玉県の東川口病院で駐車料をとるようになった。そんな庶民を裏切るような行為はしてはいけないと助言されなかったのかも…。病気で困っている人が払うのはかわいそう。   立派な先生たちがいるのに、
なぜ?
fumio

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退院  


11月には退院の日取りを決めた。
20日に今回もライヴパフォーマンスを行って21日に退院することになった。
色々練習していると森岡主任がマイウエイを気に入ってライブ曲に推すので練習することにした。そしてリハビリに励む人を励ますリハビリソングも新たに作った。11/20 水曜午後3時から会議室でギター弾き語りライブ演奏。Living on a prayerMy way、Rihabiri songを演奏した。終わると小川整形外科医がボンジョビのLiving on a prayerが気に入ったようで「あの歌は何の歌ですか」と尋ねるので「祈りに生きる」という歌です、と答えると「それじゃそのままじゃないですか」と笑い合った。そしてその翌日21日木曜の退院の日が来ると面白いことに2015年の入院時新人でわたしの担当をしてくれた山我久美看護師が2019年の退院の日の担当になったのだった。ピリオドピリオドに世話になって感謝。
fumio

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11月7日木曜には2015年の入院時に新人でわたしの担当をしてくれた山我久美看護師が担当になってびっくりした。子供がもう2歳になったという。そして8日金曜には、やはりわたしのギターや歌のリハビリ練習が病院の人々の迷惑になるという声が出てきたというので相談すると外に音の漏れない完全防音ST室にこもって練習してほしいということだった。それで隔絶状態で練習した。それでもその翌日の9日土曜には3階リハビリ室でギター弾き語り稽古していいというのでやってみた。最後にボンジョビのI'll be there for you を演奏してみたがチューニングが狂ってきたのであせった。その日その日でリハビリ練習の場所が変わった。顔見知りの森岡主任はネット上のわたしの自伝風小説「カリフォルニアサンシャイン」の印象的な様々な場面について細かく訊きに来たりしたのだった。
fumio

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10月28日月曜、リハビリ室で前回のわたしの入院時には山田眞莉で山田姓だった女性と久しぶりに顔を合わせると結婚して苗字が山田から小野寺に変わって小野寺眞莉作業療法士となっていた。そして11月にはいよいよ声出し練習ができるほどにわたしの肋骨も治ってきたので3階リハビリ室ではじめて声出し練習した。前回の入院時にはロックは病院ではうるさ過ぎるので避けたが試しにプレスリーのハウンドドッグを精一杯歌うと付近のリハビリ療法士たちがびっくりしたように川上さんにも聴かせたかったと話していた。川上政孝理学療法士は前回のフェアウエルライヴの準備などをしてくれた仲の良い音楽ファンだが首都圏の学校の教師になったという。顔を合わすことができず残念だった。そうこうするうちに、妻がリハビリのためにとギターをもってきてくれたので3階のリハビリ室で大屋まり、高橋綾香、秋山瑞穂、小野寺眞莉などの各療法士の前でギターをひさしぶりに色々弾き語りしてみせた。中でもボンジョビには人気があった。ボンジョビは武蔵村山病院リハビリ病棟から帰宅する時、妻が初めてカセットテープをかけてくれたので印象が深くてレパートリーに加えていたのだった。思いのほか受けたのでうれしかった。
fumio


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わたしの胸の二本の肋骨の骨折治療はバストベルトで固定するというのものだった。
リハビリは休むことなく毎日、人が代わった。新人大屋まり作業療法士が初めて施術した時話すと東川口病院の「マレットフィンガー」という院長のバンドでベースを弾きながらボーカルを担当してアイコの「アイミョン」をやっているという。マレットフィンガーというのは指の病気でピアノを練習し過ぎると指先が腫れてシロフォンやビブラフォンを叩くマレットのような形になるからそれほど稽古してうまくなろうという望みを表現していると聞いた。実際、アメリカ時代、友達のジャズピアニストが弾きすぎて腫れて痛いので クラブ仕事に差し支えるといって嘆いていた。職業病のようなものかもしれない。
fumio

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そして、2015年の東川口病院でのフェアウエルライヴパーテイの楽しい和気藹々、お祭り騒ぎの記憶も薄れた頃、2019年10月20日 日曜、またも試練。修行とはいえ大変。家のリビングルームでこけて立ち上がれず救急車で運ばれた。東川口病院3A6号室に入院。担当整形外科廣瀬恵介医師。顔なじみの小川整形外科医師が昨夜のCTや レントゲンなどで肋骨11番12番の骨折と見せてくれた。MRI検査では心配した背骨に異常がなかったという。そして、状態が安定しているからと3A11号室に移動。
10月22日火曜に妻がロサンジェルス在住の息子に連絡を取った。するとなんと転職してデトロイトに行っていた。それでわたしにメールをくれた。以前アメリカに送ったDVDの中の曲では「遥かなるアジア」「リアルリアルラブ」「もっと自由に」が好きという文面だった。

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  もっと自由に 詞 曲 山下富美雄
 
もっと すてきに 自然のままに
夜中にドキンと跳び起きて 手探りしてみる時もある
枕が濡れる夜明け前 思わず唱える そのことば
ケサラ ケサラ もっと自由に セラヴィセラヴィ 翼を拡げ
似合わないのさ涙は ナグサメなんかはいらない 自分が選んだ道だから微笑(ほほえみ)忘れず歩いてく
匂いが沁みつくその前に 縛り合いたくなる前に どちらが悪いという前に 心が冷え切るその前に
アイヤヤヤヤヤ アイヤヤヤヤヤ アイヤヤヤヤヤ ケサラ ケサラ ケサラ ケサラ ケサラ ケサラ
ライララ ラララ ライララ ラララ ライララ ラララセラヴィ セラヴィ セラヴィ セラヴィ セラヴィ セラヴィ レット イット ゴー レット イット ゴー もっと気ままに レット イット ゴー レット イットゴー 流れのままに ケサラ ケサラ もっと素敵に セラヴィ セラヴィ 自分のままに
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fumio

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わたしは東川口病院での骨折回復期、リクエストがあれば病室でもリハビリルームでもなんでもかんでも歌っていた。わたしがリハビリルームに行くとみんなリハビリを忘れて耳を澄ませていた。洋楽のスタンダードスタンドバイミーカントリーロードはわたしのレパートリー中でもリクエストが多い。トム・ジョーンズのヒット曲「思い出のグリーングラス」も実に好きな方が多くてずいぶん受けた。アメリカでもセリフの部分でお客さんたちみんなが感動するのだった。ブルック・ベントン風の「マイウエイ」はクラブでは定番になっていてわたしもかならず一晩に一度は歌わないと終われなかった。しかし、病院では一番得意なロックは歌えなかった。吼えるように歌わないと感じがでないので退いてしまう。喚(わめ)くときっとうるさいと文句が出ただろう。ビートルズなら「レット・イット・ビー」や「ヘイ・ジュード」ぐらいまでが許容範囲だった。そして、いよいよわたしの退院フェアウエルライブが近づいてくると様々な意見が飛び交った。
リハビリの人々がわたしに対して歌うとか、場所は廊下がいいとか、みんな勝手なことをいうのでわけがわからなくなった。そのうち、わたしが自分で歌わなければならない、という意見が優勢になった。自分で自分に送る歌を歌うのはおかしいと思ったけれどみんなわたしの歌を聴きたいということで、それでは歌います、とOKした。場所は廊下で十分わたしの声なら病院中に響くので大丈夫ということだった。そうかもしれないけれどアメリカのステージかクラブのマイクの前以外ではあまり歌ったことがないのでマイクなしで廊下で歌うのはちょっと不安だった。普通、病院の廊下で一生懸命歌っている歌手を見かけることはあまりないので経験としては面白いのかもしれない。それでも結局は、ナースステーションを12月11日の午後5時にその時間だけ借りてライヴショーパーテイを催すと川上理学療法士が決めてきたのである。
そしてついに退院フェアウエルライブの日が来た。森岡聡司OT(作業療法士)はパソコンにつなぐスピーカーをもってきてマイクスタンドも用意してくれたのだった。そしてスタート時間の午後5時になってナースステ-ションに集まってみんなで用意をしたが言い出しっぺの山田眞莉OTは自分が人前で歌うことをびびって姿を見せなかった。それでリハビリの職員が手分けして探した。一階二階三階各病室やトイレに屋上、しかし見つからない。仕方なしに、わたしがショーをひとりでやることにして、集まっってくださった多くの看護師、ヘルパー、医師、患者などのパーテイ客や聴衆に取り繕って言い訳をしてから車椅子に座ったまま「誰もが幸せに」を歌った。わたしが歌い終わると歌い終わるのがわかったのか山田OTは姿を見せた。それでわたしの横に立った山田OTに歌唱指導しながらきみよ、幸せにを一緒に歌った。普段、外交的性格でよく笑わせてくれる山田OTが意外に人前に出るのを怖がるあがり症だったことがわかった。本当に意外だった。みんなのリクエストに応えてアンコールでみんなが聴きたいという有名曲を楽しく色々歌い終えて部屋を出ると大塚真代主任が近づいて来てわたしの自作最新曲「虹の歌」を聴きたかったと残念がっていた。他の看護師たちはわたしの声で「ホワイトクリスマス」を聴きたいとリクエストした。もうライヴは終わった後なのでそれはまたなにかの機会にと思いながらもみんなそれぞれ勝手なことを言うのが面白かった。
退院する患者さんが歌を歌って別れてゆくのは初めて、とかみんな口々に言いながらうれしそうに打ち上げを終わったのである。病院のような場でも、集う者の心次第でそこにいることがうれしく楽しい場になり得るのだ。そんなことを思う楽しいライブパーテイだった。普通は経験できない、すばらしい体験に感謝…。
fumio

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森岡作業療法士は小説好きらしくわたしがネットにアップしている自伝風小説「カリフォルニアサンシャイン」を探して読んで、その中に出てくる、わたしたちワールドツアー仲間がSFという名前でアメリカで製作発売したプログレッシヴ・ロックカセットアルバム「プロセス」について興味を覚えて聴きたいというので息子に家から持ってきてもらった。他の音楽ファンの人々はポップな歌が好きそうなので読売新聞の芸能欄で紹介された個人的ポップロックアルバム「カリフォルニアサンシャイン」を記念に贈ったものだった。そして大塚真代作業療法主任がわたしの自作最新曲を訊くので「虹の歌」と応えるとその場でスマホで検索して聴いたりしていた。そんなこんなでついにフェアウエルライヴの日が来た。
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2015年11月8日に、吉田ゆう子看護師、磯山真緒ヘルパーなどが、木村玉雄氏という患者さんが退院するというので退院する方に贈るホヤホヤの新曲「きみよ、幸せに」を歌って祝福した。それからしばらくしてリハビリ担当の川上理学療法士に木村玉雄さんの退院の時作ったばかりの「きみよ、幸せに」を歌ったというと第一回目のパフォーマンスを聴きのがしたとすごく残念っていた。
そして10日、10時半に家族がきて退院する須賀正雄さんのために看護師さんが山下さんが歌を歌います、と紹介してくれたので「きみよ、幸せに」を心を込めて歌って祝福した。すると、ご家族が後で礼を言いに来た。実にうれしい思い出になった。わたしの担当の山我看護師も初めてわたしの歌を聴いたといって喜んでいた。そのうちにわたしの腓骨の骨折も治ってきてわたし自身の退院が近づいてきたのだった。それでわたしの退院にはみんなでフェアウエルライブをすると山田眞莉OTやリハビリ職員の皆さんがいいだした。それではと「だれもが幸せに」というタイトルにしてわたしは国際的にもと英語も入れたのだった。
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「だれもが幸せに」 詞 曲 山下富美雄

1、並んだベッド今日卒業するんだね
Same time same spaceともに過ごした仲間が旅立つ
巣立ちゆく背中にかけることばは
「Congratulations! Be happy!」
Wish you wish you luck and happiness
Wish you wish you wishing you luck and happiness

2、On the long and winding slope just took a rest for a while
Once more once more let's get started again walk on one more time

それぞれの人生それぞれ生き抜いていつかまた会える日まで
Wish you wish you luck and happiness
Wish you wish you wishing you luck and happiness
Wish you wish you wishing you 誰もが幸せに 誰もが幸せに 誰もが幸せに


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その最後のフェアウエル・パフォーマンスは色々、案がでた結果、二階のナースステ-ションで行うことになったのである。わたしの担当医、小川整形外科医はわたしの顔を見るたびにライブの日にちと時間を訊いたのだった。洋楽が好きでとても楽しみにしていたのだった。ヘルパーさんもみなさん楽しみにしていて、その日は休みで来られないからどうしたらいいのと嘆いてぼやく人もいて、ビデオを撮ってネットにアップしてあげるからと他のヘルパーさんがなだめていた。ひとりの患者が退院するからといってそんな騒ぎになるのは不思議だった。
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送る  


看護師さんたちと話していると病気が治って退院する患者さんにかける言葉がただ、「サヨナラ」や「お元気で」というだけでは寂しくてつまらないという意見が多かった。それではみんなで祝福してあげる歌を作ろうかということになった。それでわたしは「きみよ、幸せに」という曲を作ったのだった。
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   きみよ、幸せに 詞 曲 山下富美雄


1、なじんだベッド今日あとにするんだね
同じ場所同じ時ともに過ごした仲間が旅立つ

巣立ちゆく背中にかけることばは

「おめでとう。元気でね。」

きみよきみよ、幸せに

きみよきみよきみよ、幸せに

2、長い坂の 途中で一休み 

もういちどもういちど歩み始めるめでたい日がきた

それぞれの人生それぞれ生き抜いていつかまた会える日まで

きみ よきみよ、幸せに

きみよきみよきみよ、幸せに
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fumio

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意外  


リハビリ担当作業療法士大塚真代主任が東川口病院にもウクレレ部ができたのでウクレレの調弦の仕方を教えてほしいというので広いリハビリルームで教えた。リハビリ中の皆さんも興味深げに見守っていた。わたしの担当医小川邦明整形外科医もウクレレ部に参加するという。東川口病院はずいぶんアート的に進んでいた。わたしがノートパソコンを持ち込んで音楽をヘッドフォンで聴いて色々作業していると、リハビリ科の川上政孝理学療法士がわたしの曲「祭りの夜」をネットで聴いたといって「ピカソみたいな歌だ」と評していた。他のリハビリ職員たちにも曲のURLをメールしたという。それで一時ネット上で「祭りの夜」のアクセス回数が増えてしばらくブームになったことがあった。意外で仲々楽しい経験だった。
fumio

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骨折患部のふくらはぎをギプスで固めてもらって横になっているとユーチューブにアップしてある「戦士たちは今」」などの米国家庭生活ビデオを見てわたしがアメリカでロックをやっていたと知ると東川口病院に勤める様々な人々がわたしをいじりに来た。
リハビリの山田眞莉OTがわたしを見ると「ハロー」というので「ハーイ・メアリ・山田」と応じると
「わたし、メリーさんなの?」と大喜びする。本名のマリと呼ばれるよりうれしいようだった。
ある看護師さんが外国人患者に英語で「検温する」と言いたいというので「チェック・ユア・テンプラチャー」と教えるとテンプラチャーが覚えにくくてうまく言えないというので「天プラ茶ー」と覚えたら言えるよと答えたりしたものだった。
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ヒビ  



2015年8月30日( 日曜)午前5時半頃、シャワーを摂ろうと洗面脱衣洗濯部屋に一歩入ると転んで右足がメキっと鳴って倒れた。妻に右足に触ってもらうと熱いから折れていると判断して救急車を呼んでくれた。
救急車からまず東川口病院2B病棟の部屋に運びこまれた。
担当医師は整形外科小川政明医師に決まった。担当看護師は山我(やまが)久美看護師。
レントゲンで腓骨骨折と診断された。完全に折れているわけではなくヒビが入ったような状態ということだった。「ヒビですか?」と安心したように問うと「ヒビといっても折れていることに変わりはないんです」と言われてがっかりした。それから約3ヶ月と少し、看護師、ヘルパー、リハビリの皆さんとの交流の楽しい入院療養が始まった。
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