monologue
夜明けに向けて
 

応募  


わたしは渋谷の稽古場から救急車で搬送された第三北品川病院で頸椎の緊急手術を受けてある程度回復すると武蔵村山病院のリハビリ病棟へ送られた。楽しいリハビリ療養生活が終わると妻が迎えに来て車中でボン・ジョビというロックバンドのカセットをかけてくれた。それがわたしにとってボン・ジョビの聴き初めだった。それから、ボン・ジョビは人気があるのでわたしもリクエストされてギターの弾き語りでよく歌うことになった。
そして1989年のある日、毎日新聞に「わたぼうし音楽祭」という障がい者の音楽コンテストが奈良で開催されるという記事が掲載された。その記事に触発されて、わたしはコンピューターで数曲作って応募してみた。すると、次の時代の合言葉となるダイバーシティ(多様性)をテーマにした作品「わかりあえる日まで」が一次審査を通過して本番のコンテストで演奏される候補作品10曲のうちの一曲に選ばれたのだ。
fumio

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