"Caravan II" for recorder duo and piano(option:percussion) Fumiharu Yoshimine
吉嶺史晴作曲の「キャラバンII」です。
ひと月ほど前に書いた曲なのですが、日本、オランダ、スペイン、ドイツなど各国のリコーダー奏者の方が楽譜を購入くださっています。
曲を作っている最中はなかなか先が見えないのですが、作り終わってみるとひと段落です。
演奏者の方々から反応がいただけるのも嬉しい限りです。
作曲者と演奏者が今のように分業化していなかった時代の在り方に思いを馳せます。
最新の機材やコンピューターを使ったりもするのですが、それでもやはり音楽を作って演奏する、というのはひとつの流れのなかでの仕事という感覚があります。
でもひらめきが何時もあるわけではないのでそういう時にはもっぱら演奏だけになります。
とはいえ、演奏それ自体も、ひらめきのない演奏は自分でもつまらなくなってしまうので、やはり最後は自分が受けた訓練とか、既存の理論とか、そのようなものを超える何かが必要と、改めて強く感じています。
今、ユーチューブ上で注目している若い奏者がいるのですが、彼がどんどん変化していく様子が実に刺激的でエネルギーをもらっています。
時として箱庭療法の箱庭みたいに自分の世界にこもった風の曲もあれば、かなり売れ線を意識している感じの曲もあって正体がつかみにくいところがまた魅力です。
最近、はっきり思うことがあります。
まだまだ自分のリコーダーも上達の余地がありそう、ということです。
速いパッセージのようなものは神経や筋肉の反応速度の限界があるので、そのなかでやるしかないのですが、問題はゆっくりした音のつなぎ方です。
このあたりの点はまだまだ探求の余地があって面白いです。
また少しずつ前進します。
時節柄、ブログ読者の皆さんも御自愛ください。
吉嶺史晴作曲の「キャラバンII」です。
ひと月ほど前に書いた曲なのですが、日本、オランダ、スペイン、ドイツなど各国のリコーダー奏者の方が楽譜を購入くださっています。
曲を作っている最中はなかなか先が見えないのですが、作り終わってみるとひと段落です。
演奏者の方々から反応がいただけるのも嬉しい限りです。
作曲者と演奏者が今のように分業化していなかった時代の在り方に思いを馳せます。
最新の機材やコンピューターを使ったりもするのですが、それでもやはり音楽を作って演奏する、というのはひとつの流れのなかでの仕事という感覚があります。
でもひらめきが何時もあるわけではないのでそういう時にはもっぱら演奏だけになります。
とはいえ、演奏それ自体も、ひらめきのない演奏は自分でもつまらなくなってしまうので、やはり最後は自分が受けた訓練とか、既存の理論とか、そのようなものを超える何かが必要と、改めて強く感じています。
今、ユーチューブ上で注目している若い奏者がいるのですが、彼がどんどん変化していく様子が実に刺激的でエネルギーをもらっています。
時として箱庭療法の箱庭みたいに自分の世界にこもった風の曲もあれば、かなり売れ線を意識している感じの曲もあって正体がつかみにくいところがまた魅力です。
最近、はっきり思うことがあります。
まだまだ自分のリコーダーも上達の余地がありそう、ということです。
速いパッセージのようなものは神経や筋肉の反応速度の限界があるので、そのなかでやるしかないのですが、問題はゆっくりした音のつなぎ方です。
このあたりの点はまだまだ探求の余地があって面白いです。
また少しずつ前進します。
時節柄、ブログ読者の皆さんも御自愛ください。