吉嶺史晴のブログ

リコーダー奏者吉嶺史晴のブログです。演奏活動ならびに鹿児島市で音楽教室を運営しています。

アルトリコーダー、テナーリコーダーとピアノのための「キャラバンII」

2021-11-29 | 日常雑記
"Caravan II" for recorder duo and piano(option:percussion) Fumiharu Yoshimine

吉嶺史晴作曲の「キャラバンII」です。
ひと月ほど前に書いた曲なのですが、日本、オランダ、スペイン、ドイツなど各国のリコーダー奏者の方が楽譜を購入くださっています。
曲を作っている最中はなかなか先が見えないのですが、作り終わってみるとひと段落です。
演奏者の方々から反応がいただけるのも嬉しい限りです。

作曲者と演奏者が今のように分業化していなかった時代の在り方に思いを馳せます。
最新の機材やコンピューターを使ったりもするのですが、それでもやはり音楽を作って演奏する、というのはひとつの流れのなかでの仕事という感覚があります。

でもひらめきが何時もあるわけではないのでそういう時にはもっぱら演奏だけになります。

とはいえ、演奏それ自体も、ひらめきのない演奏は自分でもつまらなくなってしまうので、やはり最後は自分が受けた訓練とか、既存の理論とか、そのようなものを超える何かが必要と、改めて強く感じています。

今、ユーチューブ上で注目している若い奏者がいるのですが、彼がどんどん変化していく様子が実に刺激的でエネルギーをもらっています。
時として箱庭療法の箱庭みたいに自分の世界にこもった風の曲もあれば、かなり売れ線を意識している感じの曲もあって正体がつかみにくいところがまた魅力です。

最近、はっきり思うことがあります。
まだまだ自分のリコーダーも上達の余地がありそう、ということです。

速いパッセージのようなものは神経や筋肉の反応速度の限界があるので、そのなかでやるしかないのですが、問題はゆっくりした音のつなぎ方です。
このあたりの点はまだまだ探求の余地があって面白いです。

また少しずつ前進します。
時節柄、ブログ読者の皆さんも御自愛ください。

発表会終了

2021-11-29 | 音楽教室
昨日の発表会は無事に楽しく終了しました。
昨年から今年にかけての世の中の状況で発表会に参加してくださる生徒さんの数が少なくなっていますが、それでもこんな中で参加してくださった生徒の皆さん、そして御来場の方々に感謝でいっぱいです。

発表会ではテレマンのトリオ・ソナタや日本の民謡の編曲など幅広い曲目で休憩なしで約60分の演奏となりました。
また次回に向けて前進します。


リコーダー発表会のお知らせ

2021-11-25 | weblog


運営している音楽教室の発表会のお知らせです。
今度の日曜日です。

11月28日(日曜日)
13時30分開演
入場無料
鹿児島市 シティエラホール

出演:吉嶺音楽教室でリコーダーを学んでいる皆さん
曲目:G.Ph.テレマン トリオソナタハ短調、ヘ長調
   日本民謡 木曽節
   わらべ唄 ずいずいずっころばし 他


私は伴奏で出演します。ご都合の良い方は是非お越しください。

明日は大学で

2021-11-25 | 日常雑記
明日は勤務先の大学で授業のある日です。
リコーダーと音楽理論関係科目を担当しています。

リコーダーは教員免許取得関連の必修科目、そして音楽理論は選択科目のなかのひとつです。

木曜日の夜はいつも明日のための授業準備です。
音楽理論関連の科目では今、スコアリダクションをやっています。

今取り掛かっている曲はシベリウスの「フィンランディア」です。
この曲のスコアを見ながら頭のなかでピアノ用に変換してピアノで弾くという練習です。

フィンランディアは本当に素晴らしいので、シベリウスの他の曲も聴きたくなってしまってヴァイオリン協奏曲を聴きました。
ついでにチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲も聴きました。
こういうものを聴いてしまうと本当に西洋音楽の歴史に思いを馳せたくなります。

木曜日の夜は授業準備のなかにこんな時間が混じってしまうのですが、なんとか準備も終わりました。

明日のリコーダー授業ではルネサンスやバロックの二重奏をやります。
グループ授業ですが、リコーダーの基礎的な奏法もしっかり伝わるように準備しています。

この間はバロック風の音程幅の広いトリルというのをやりました。
明日もまたなにかひとつか、ふたつ学生諸君にとって面白味のあることを準備しています。

もうすぐ教室の発表会です

2021-11-25 | 音楽教室

もうすぐ発表会なので今日は午後、教室に行ってチェンバロの練習をして来ました。
今回のプログラムの中にはテレマンのトリオソナタが2曲入っています。

ひとつは原曲がリコーダー、ヴィオラ・ダ・ガンバと通奏低音(ヘ長調)、もうひとつは原曲はリコーダー、オーボエと通奏低音(ハ短調)です。
ヴィオラ・ダ・ガンバやオーボエのパートはテナーリコーダーでほぼ問題なく演奏できます。

どちらの曲も通奏低音はバスリコーダーをチェンバロの左手に重ねながら演奏します。

通奏低音の動きで演奏全体が大きく左右されることもあるので、しっかり練習して来ました。
練習の他にはちょっとしたチェンバロの爪やばねの調整もやりました。

発表会は今度の日曜日です。
鹿児島市のシティエラホールです。




一曲作るごとにひと段落

2021-11-24 | 日常雑記

作曲の途中は失敗することも多いです。

頭で考えたことを実際にやってみると、おかしなことが沢山あります。

モーツァルトは下書きをしないでいきなり清書したと伝えられていたりしますが、もう本当にどんなに敬服しても足りません。
私のような作り手はさんざん失敗しながらやっと書き上げます。

作曲の後は、うまくいったことよりも失敗したことのほうが頭に強く焼き付いています。

そのまま焼き付いていても良いのですが、ひとつの曲を作るごとにひと段落しています。
この曲の録音と楽譜浄書が終わった次の日はマネージャー役とふたりでドライブして美味しいものいただいて帰って来ました。

自分の作曲も少しずつ進めながら、新しい録音も進めてゆきます。

リコーダー二重奏とピアノのための「バラード」

2021-11-21 | You Tube
Ballad for recorder duo and piano(option:percussion) Fumiharu Yoshimine

吉嶺史晴作曲リコーダー二重奏とピアノのための「バラード」をアップロードしました。

昔の自分に向けてこの曲についての解説文を書きます。


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君はリコーダーが好きでリコーダーを始めたのではないのか?
なのにもう、リコーダーに飽きてしまったのか?

リコーダーに飽きてしまったのか、それともリコーダーのレパートリーに飽きてしまったのか、その辺りのところはどうなんだ?

もし、それがただ、レパートリーだけのことなんだったら、この曲、聴いてみてくれ。
まだ、君が少しでも、この楽器のこと好きなんだったら。
そして、練習してみてくれ。

最初は簡単な歌みたいなものしか出てこないけれども中間部分に出てくる16分音符のスウィングを伴ったパッセージは練習しがいがあるぞ。
ヴィヴァルディの協奏曲がなんとか吹けるくらいだったらこの曲も吹けるだろうが、普通のルネサンスやバロックにしか出てこないような音の出し方じゃダメだ。

歌のところだって、普通の吹き方じゃだめだ。
まるで歌詞がついてるみたいな吹き方じゃないといけない。
上手なんだか下手なんだか聴き手に理解できないような、そんな音出さなけりゃいけない。

君には俺の言ってることなんか理解できないかもしれんけどな。
そういう音もあるんだよ。

君は上流階級の人間でもない。貴族でもない。
日本という国の端っこでなんとか生きているだけの人間だろう。

そんな人間にはそんな人間にしか出来ない音楽があるんじゃないか、と思って今までやって来たんだろう。
ヨーロッパの裕福な人向けのバロックソナタのようなもの・・・そういうものではなくて、もっともっと心の深いところから出る何かと共鳴できるような音楽を君は求めてきたのではないのか。

でも、いつの日か君はそんな思いをどこかに置き去りにして来てしまったんだろう。

そして「こんなはずじゃなかった」と思いながらなんとかその日を暮らしているのだろう。

ひとつの曲がだれかの人生を変えるなんて、そんな甘ったれたことはない。
でもそれがきっかけになるかも、そういうことはあるかもしれない。
だから、もしよかったら聴いてみて、そして練習してみてくれ。

この程度の曲が吹けないんだったら、そもそもリコーダーなんかやめてもっと他のことやった方がいい。
もっと楽に暮らせる道はいくらでもあるからな。

今日は

2021-11-21 | 日常雑記
今日は「やせ犬バラード」(仮題)として取り掛かっていた曲の楽譜浄書をします。
まる一日かけて浄書、そして一晩寝かせて、明日もう一度みて、それで大丈夫だったら完了です。

題名は簡素に、リコーダー二重奏とピアノのためのバラード、とします。

ユーチューブのライブ配信で24時間だけ公開していた音源を自分で聴いてみたのですがなかなか良いです。
私の場合は、「自分自身で繰り返し、聴くのに耐えられる質」を備えているか、どうか、ということは自分の作品の大事な点です。

とりあえず繰り返し聴くのに耐えられる質はあるので、音源自体はこのままアップロードして、後は楽譜を準備するだけです。

ある年代に差し掛かってから、リコーダー奏者にはもう目標にしたい人が居なくなりました。
でも、歌手やギタリスト、他の種類の管楽器奏者にはお手本にしたい人がいます。
もちろん過去の作曲家も。

なので、今、やっているのは鹿児島にある自分の仕事部屋にこもって一人きりでやっているのですが、実際には時を同じくして同じ方向を目指すまだ見ぬ先輩方と一緒にやっているのだと思えば寂しくありません。

本当は少し寂しいのですが、そんなこと言っているヒマがあったら仕事してるほうが良いです。

楽譜浄書の仕事自体は単純です。
自分の頭のなかに強弱やアーティキュレーションなどは全部あるので、それを楽譜にするだけです。

何も創造的なことはないので、生み出す喜びのようなものはそこにはありません。
作曲で一番面白いのは全体の構造を作り出す段階です。
いろいろな細かい材料を用意して、それをああでもない、こうでもない、と入れ替えたり、つないだりする、そんな作業です。

いったん構造が出来たら後はそれを埋めてゆきます。
この辺までは面白いです。

でもこの先からは機械的な作業の割合が多くなります。
楽譜浄書などはあまり音楽的な意味では創造的な余地がないのですが、それも作曲の一部ではあるので、とにかくやるだけです。


新しい録音の準備

2021-11-17 | 日常雑記
新しい録音の準備に入りました。
ヨーロッパの古い音楽です。
アルト、テナー、バス、そしてコントラバスリコーダーの四重奏で多重録音します。

ソプラノ、アルト、テナー、グレートバスという編成でも出来るのですが、アルトが最上声部のほうが落ち着きのある音になるので、そちらでやります。

全部で12曲あります。
およそ60分程度の録音になる予定です。

今日はそのなかの1曲を仮録音してみました。
まだ細かいタイミングの調整などをしていないので、表現が平坦すぎるのですが、だいたいの感じがつかめました。

私にとっては難しい曲なのですが、なんとかやってみます。
多重録音の難しい点は奏者同士でタイミングを作ることが出来ないという点です。

あらかじめテンポのゆれを設定しておくのですが、その箇所が多ければ多いほど表現は豊になるのですが、録音が難しくなります。

今日の仮録音では上3声は起伏のある表現が出来ているのですが、コントラバスリコーダーが平坦になり過ぎるという点がわかりました。
息の消費が多く、音を出すだけでも大変なので、あまりその点については多くを求め過ぎないようにします。

自分ひとりでやるプロジェクトは自分で、自分にその都度ダメ出しをするのですが、あまりにもダメ出しが多すぎると自分で自分のやる気がなくなってしまうので、そういう時は自分に言うのではなく、他人に言う調子で自分に言います。

私にとっては授業やレッスンの時の自分の言葉使いが参考になります。

そういう時には否定的な言葉は言わないようにして進めています。
なので、自分で自分に言う時にも、場合によってはまるで自分なのに他人に対するような言葉を使うことがあります。

難しい曲をやる時は多くの場合そうなることが多いです。
特に、ルネサンスやバロックの曲は様式を守らなければ音楽としての体をなさないので、そのあたりの点はしっかりやります。

自分で作曲した曲を自分でやる場合には「うりゃ!得意の乱れ吹きじゃ!」というような感じで好きに吹くことが出来るのですが、ヨーロッパの古い音楽では得意技は通用しません。

まだ仮の録音が終わっただけなので、今、様子を見ているようなところです。
明日、明後日でまた別の曲を仮録音してみます。

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自分の曲を録音する時と、ヨーロッパの古い曲を録音する時とではずいぶん違います。
様式のこと、それはとりもなおさず、音の出し方そのもの。

音の出し方そのもの、というのはつまり椅子に座っている場合には、その音を出す時の息の持って行き方それ自体。その在り方。
自分の身体の重心の場所とか。
空気が沢山ある時はどうなってて、だんだんなくなって来るとそれがどうなって、それが音にどういう変化をもたらすのか。
そうようなこと。

こういうことは、フルートやクラリネットやオーボエの名手、そして優れた歌手の在り方に多くを学ぶことが出来ます。

それはとりもなおさず、この世界のなかで自分はどうやってそこに存在しているのか、ということ。



やせ犬ブルース(仮題)メモ11月10日

2021-11-10 | 音楽制作覚書
昨日、録音した打楽器があまり良くなかったので今日もう一度録りなおした。
部分的に編集した箇所もあったけれども、少しくらいずれているところはもうそのまま残すことにした。

明日の昼間、最後の箇所を修正してもう、これで録音はとりあえず完了させようと思う。

題名がまだ決まっていないけれども、今日、新たに浮かんだ候補「ろくでなしブルース」に加えて「ならず者バラード」というのがまたまた浮かんだ。
同じ傾向の言葉ばかりが浮かんで来るので、何かそこには有るのだろう。

でもバーンスタインが言っていた。
曲名なんてただの飾り物。
でも、それは大きな交響曲とかピアノソナタみたいな曲に言えることで、僕が作るような小さい曲にはやっぱり当てはまらない。

明日は21時30分にとりあえずユーチューブでライブ配信するので、それが皆さんに聴いてもらえる最初の機会だ。
その後、誰かが演奏してくれるかどうか、それはもうわからないから、もう期待しないで、ただ楽譜だけ作っておけばもうそれで良いことにしよう。

もう録音がおおかた終わったので、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲ニ長調を聴いた。
この曲聴くと、なんだか本当にこの曲からまばゆいばかりの光が発せられているように感じる。

でもチャイコフスキーの生涯がまばゆいような輝きに満ちていたのかどうか、それはまた別のことだろう。
でも、作品それ自体が歴史の長い年月で輝き続けるなんて、これはもう究極の在り方だ。

長い年月の歴史の中の端っこのそのまた端っこに僕は居る。

でも端っこでも何か出来ることがあるはず。
今日はよく働いたから、この辺にしよう。