吉嶺史晴のブログ

リコーダー奏者吉嶺史晴のブログです。演奏活動ならびに鹿児島市で音楽教室を運営しています。

吉嶺史晴のブログ

2019-09-25 | weblog

2016年4月ベルギーのLUCA School of Artsレメンス音楽院チャペルにて開催された吉嶺史晴マスタークラスでリコーダー専攻の学生の皆さんに集中講義を行っている様子です。

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ヴィオラ・ダ・ガンバ左手親指奏法

2019-09-24 | ヴィオラ・ダ・ガンバ
左手の親指を弦を押さえる指として使うのはチェロのやりかただけれども、これ、工夫次第ではヴィオラ・ダ・ガンバに応用出来そうだ。

左手親指で弦を押さえる時にほんのちょっとだけ楽器の裏を自分の身体に接触させて支える。
これだけ。

でもバロックの曲でこんな技術使う曲はなさそうだし。。。

そうか、こういう技を使う曲を作れば良いのか。。。
ということは・・・・新しい曲を作る際には、純粋に音楽的なところだけから作曲するという場合だけでもなくて、場合によってはやっぱり「技術を活かす」というようなちょっと不純な動機があったりもするのだ。。。

そうやって出来上がって来た曲が本当に音楽的にダメな曲だったら、もうそれはダメだけれども。。。

それはやってみなければわからない。

例えば、ヴィオラ・ダ・ガンバとテナーリコーダーの二重奏曲とか、どうだろう?
リコーダーはともかく、ガンバのパートはほんの少しだけ技術的には難しくないような在り方ならば不可能ではないはず。

曲の箇所によってはガンバのほうがリコーダーよりも高い音になったり。。。
ピチカートまぜたり。
あるいはリコーダーが伴奏になって、ガンバが主旋律やったり。。。
リコーダー奏者もガンバ奏者も同時に声と楽器の音をだして4声体の音楽になったりとか。。。
面白いかも!


単なるメカニックな練習

2019-09-24 | 日常雑記
単なるメカニックな練習は「音楽的じゃない」とか言われて、否定的に捉えられることもある。

でも、これは普段からあまりにも頭のなかが音楽、音楽で溢れている時にはかえってリラックスできる効き目があるのではないだろうか。

今日は少しまとまった時間があったのでヴィオラ・ダ・ガンバでひたすらメカニックな練習をした。
モダンチェロのポジション移動のための練習曲や、二重トリル、移弦などなど。

東京リコーダー音楽祭が終わってから、リコーダー二重奏曲をふたつ(どちらも新作)、そしてリコーダー2本とチェンバロの曲(以前の改訂)を書いた。
自分としては速いペースだったので、やっぱり知らずに頭のなか熱くなってしまってた。

取り掛かっている曲のこととか、仮録音の段取りとか、そういうこと全然考えずに目の前の練習曲やるだけ、というのはなんだか非常に贅沢な時間に思えた。

ということは、やはり楽器を学ぶ上でメカニックな練習というのはただ単純に演奏の技術向上というだけではなくて、奏者のココロを安定させてくれる役割もあるのではないだろうかな。

12月と2月にはヴィオラ・ダ・ガンバでの演奏依頼が入っているから、作曲はひとまず置いて、これから練習を本格的にやろう。

夏の間は作曲して、それ以外の時期は練習や普段の仕事、こんなペースが出来て来た。
でもいつまで続くかな、とも思う。

ずっと元気でいられれば良いけれども、そんなわけにもゆかないから、とにかく少しずつ、前進したい。


練習再開

2019-09-24 | 日常雑記

このところ楽譜書きと録音に取り掛かっていてあまりヴィオラ・ダ・ガンバの練習が出来ていませんでした。
また練習再開します。
少し間が開いてしまうとまるでリハビリテーションしているような感じもなります。

ガンバの曲をいきなり弾くのではなく簡単な音階や分散和音の練習から始めます。
そういう時はあまり音楽的な面白みは少ないのですが、身体を楽器に慣れさせるための練習としてやっています。

なるべくひとつひとつの音を聴きたいので、1拍あたりのテンポを遅くしながらやります。

最近はチェロの練習教材でセヴシックという本があるのですが、そのようなものもやっています。
チェロとガンバでは音域が近いので多少アレンジしたら後はそのまま使えるので便利です。

写真は今年の3月に東京の第一生命ホールでJ.S.バッハの「マタイ受難曲」の演奏に参加させてもらった際のものです。前半が終わって調弦しているところです。

それでは今日も前進あるのみです。

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鹿児島地方、今日は良い天気です。
だんだん秋らしくなって来ます。




東京リコーダー音楽祭リハーサル風景

2019-09-23 | weblog
先日東京文化会館小ホールで開催された東京リコーダー音楽祭リハーサル風景の写真をいただきました。
ここではパリサンダー材のテナーリコーダー(A=442Hz)を演奏しています。
楽器に重みがあるので右手の親指には可動式のプラスチック製指かけを使いました。

Photo by Lasp Inc.

Night of Crescent Moon 三日月の夜(2019)

2019-09-23 | 日常雑記
Night of Crescent Moon 三日月の夜(2019)

以前、発表したアルトリコーダーとチェンバロの曲にバスリコーダーのパートを新しく書いて録音してみました。
背景の絵はいつも楽譜を書くのに使う鉛筆でA4の紙に書いてみました。
演奏時間約8分です。

今日は仮録音

2019-09-22 | 日常雑記
もうすぐ勤務先の大学、今年度後期の授業が始まるのでだんだん時間が少なくなって来ました。
今のうちに取り掛かっている曲の仮の録音をしてみます。

この間、部屋の掃除をしていたら出て来た曲(アルトリコーダー、チェンバロの編成)にバスリコーダーのパートをつけてみました。

バスリコーダーはチェンバロの左手を重ねる箇所バロック期の通奏低音におけるチェロやガンバの在り方と同じ)や、今までアルトリコーダーだけだった主旋律にもうひとつ1オクターブ低い音域で旋律的な動きを担当させる部分を担当させてみました。

バスリコーダーは硬いタンギングをする際に倍音が沢山出る楽器なので、そのあたりの音色の面白さも入れてみたのでそれまでの曲に新しい次元が加わりました。

今日と明日で録音してみます。
出来たらアップロードします。

曲はアップロードしただけで終わりということではなくて、その後に本当の演奏者の手に渡って演奏してもらうことが道なのですが、そこまでゆくと「縁」とかいろいろなことが入って来ます。

もう自分一人のチカラだけでどうにか成ることでもないので、ダメな時はダメです。
曲のなかには、うまく道がついてひとり歩きしてくれる曲とそうでない曲があります。

まだダメになると決まったわけではないからとにかく前進します。
やってみないとわからない事もあるんだよ、と自分に言い聞かせます。

それでは今日も一日良い日になりますように!

Fumiharu Yoshimine - KAI (2000)

2019-09-18 | 日常雑記
今日はドイツから以前書いたテナーリコーダー二重奏曲の奏法について問い合わせがありました。昔書いた曲ですが今でもこうして演奏されているのはやはり作曲者として嬉しい限りです。
こちらの演奏はBux quartetのメンバーに方々によるものです。
Fumiharu Yoshimine - KAI (2000)

今日は昔書いた曲を

2019-09-18 | 日常雑記
今日は昔書いた曲を眺めておりました。

ある機会に一度だけ演奏してもらった曲があって、それ以来、全然音になっていない曲の楽譜。

自慢ではありませんが、自分でユーチューブにアップロードしてみたは良いのですが、それ以外は一度も演奏会で演奏されたことのない曲もあります。

それに比べるとたった一度だけでも演奏されたことがあるわけなのでこれは立派です。

因果なことやってるなと昔は思っていましたが、最近ではもう開き直るしかない、ということでとにかく出来ることを少しずつ進めています。

一番最近書いた曲はテナーとバスリコーダーの二重奏曲なのですが、共演してくださる方から良い評価してもらって喜んでいます。
ここ数日はこの曲にずっと取り掛かっていたのでひと段落して少しほっとしています。
作曲に取り掛かっている時は仕事部屋が紙くずだらけになるのでひと段落の後、大掃除します。

部屋の掃除していたら一度だけ演奏された曲の楽譜が出てきました。
アルトリコーダーとチェンバロの曲です。

チェンバロは音域の広い2段のフレンチのものを想定して書いてあって、今、私の手元にあるイタリアンの1段とは音域が合いません。このままでは演奏できないので、そこをなんとか。

あとはやっぱり音に厚みをつけてみたいのでヴィオラ・ダ・ガンバまたはバスリコーダーのパートを付け加えてみたいのですが、そこもなんとか。

とりあえず自分で全部演奏してみて仮の録音できるところくらいまでは到達してみたいのですが、まだ3つめのパートも全然出来てない状態なので、道は遠いです。
諦めたらそこで終わってしまうので、とにかく諦めないことが肝要と自分に言い聞かせています。


技術の「断捨離」

2019-09-17 | 音楽制作覚書
技術の「断捨離」という言葉がある。
つまりスポーツや楽器演奏はじめ人間の営みのなかにおいて、数ある技術を「断捨離」するということ。

卓球などの場合、攻撃型の選手と、カットマンでは使うべき技術がかなり違う。
当然のことながら普段の練習の内容もかなり異なるものになっている。

つまりひとりの選手が使いこなすには卓球において球を打つ技術というのはその種類が多すぎるので、選手は自分にとって必要な技術と、そうでない技術とを厳密に区別しなければいけない。
練習に使える時間は有限なので、自分にとってさほど必要でない技術のための練習に割く時間はないのだ。

作曲の場合はどうなるだろう。
たとえばJ.S.バッハが行ったような多声部書法を用いると魅力的な音楽を作ることが出来るということが明らかだけれども、このような様式を2019年に時点において凡百の書き手が採用するのはどうか。

あるいは1960年代、70年代に一時期流行を見せた「前衛」様式やそれより少し遅れて登場した「ミニマムミュージック」、あるいはまた図形楽譜を用いるようなものや、日本の伝統的な笛の音楽の節回しを使うようなものなどなど、数えあげたらきりがない。

そのなかで自分自身の作品として曲を書く場合に必要なのはやはり「断捨離」なのだ。
どの書法(技術)を取り入れて、それ以外のやりかたは敢えて使わずに曲を書く、という姿勢、というか自分自身の在り方みたいなもの。

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出来上がったばかりの二重奏曲、共演予定の奏者の方から好意的な反応いただくことが出来た。
ほっとした。ここまで長かった。

ユーチューブの録音はひとりで多重録音しているので、アンサンブルの時にのみ成り立つその場の瞬間の煌きみたいなものがない。いや、それ以前の問題として箇所によっては縦の線がぜんぜん合ってなかったりする。

でも初演の際には、生身の奏者が二人、その場で本当に演奏することによって生まれる「のり」が楽しみだ。

曲を書くこと自体は今回はそんなに時間はかからなかったけれども、そこまでの準備がちょっと大変だった。
でもまたしばらくは大丈夫だろう。

技術の「断捨離」。
こういうことを意識的にやること。
それは言葉を変えると、自分に出来ないことはきっぱり諦めること。
でも、自分に出来ることは諦めない。

カッコ悪くても最後までやるのだ。
前進あるのみ。