吉嶺史晴のブログ

リコーダー奏者吉嶺史晴のブログです。演奏活動ならびに鹿児島市で音楽教室を運営しています。

ぐぐぐ~っと思いを強くしてみる

2019-11-30 | 思うこと
昨日の管弦楽法の授業は我ながら良く出来たのだ。
90分の授業中のうち、教室から大学の図書館まで歩く時間、図書館カウンターで司書の方からオランダ語の辞書のありかを尋ねる時間などのロスが少しあったけれども、それはそれで学生諸君と歩きながら話ができたし、司書の方ともコミュニケーション出来たということで良しとしよう。

教材はビーズマン作曲「5つのスロバキア風小品集」より第1楽章。
無伴奏バスリコーダーのための作品。

これを学生諸君に聴いてもらいたかった。
まずやったことは楽譜の奏法解説(オランダ語)を皆で協力しながら解読。
これに時間がかかった。
そしてその後は実際の楽譜の最初のページで具体的にどのような奏法があるのかを読み解く作業。

そこでは音楽の歴史、語学、20世紀の音楽の特徴などなどとにかく話題がどんどん飛ぶのだけれども、これは大学という場で学ぶことの大きなメリットだ。学生諸君の話に僕が思わぬ方向から茶々を入れたりもするけれども、そういうのもまた楽しい。

そして図書館から教室に移動して僕の演奏。
この曲は僕のレパートリーのひとつなので意図的に楽譜に書いてないことをやったりもする。

解読できた部分は奏法解説と楽譜部分の最初の1ページだけだったが、とにかく最後まで演奏してみた。

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思うに、楽譜を読み込む段階で曲に対する思いみたいなものがぐぐぐぐぐ~っと高まってゆくのではないだろうか。
そこで満を持して演奏。

この過程が良いのではないかと思うのである。

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たとえばビールが好きな人が居たとする。

目の前にコップがある。

コップに好きなビールを注ぐ。

注いでもしばらくは飲まない。

まずじ~っと見る。コップを見る。コップを上から、横から、斜めから見る。ひたすら見る。

ビールの注がれたコップを見て、泡の感じ、喉をビールが流れる感じ、味そのものを想像する。

ビールの歴史、そして目の前にあるビールを作った人、運んできてくれた人、売ってくれた人に思いを馳せる。

とにかくビールを前にして、思いをぐぐぐぐ~~~~と高めてゆくのである。

そこで飲む。ぷはああああ!

ここまで思いを高めて飲むビールはもう普通のビールではないのである。
有り難みが違うのである。

こういうことなのではないかと思う。

中島美嘉「雪の華」リコーダー,ピアノ

2019-11-30 | 日常雑記
Nakashima Mika中島美嘉「雪の華」

鹿児島地方も寒くなって来ました。
テナーリコーダーとピアノによる中島美嘉「雪の華」です。

語法って何だろう?

2019-11-30 | 音楽制作覚書
作曲や編曲に欠かせないことのひとつ「語法」。
それにしても「語法」っていったい何だろう?
話し方のこと?

話し方が上手になればその人のスピーチにはより説得力が高まるのだろうか?

でもどうでも良いような中身のことを立て板に水で話されてもつまらない。
それでは話に説得力が生まれる以前の問題だ。
どうでも良いような話を聞かされるくらいなら家で寝てるほうが良い。

それでは説得力って何だろう?
こんなことを思うと音楽と言葉は似ている。

それはやっぱりコミュニケーションのひとつの形だ。

いつか大学の授業のなかで何かのおりに「ロミオとジュリエット」の筋書きの話になった。
「これはどんなストーリーですか?」と学生諸君に問いかけたらひとりが

「金持ちのぼっちゃんと嬢ちゃんが恋して死ぬ話」と言った。
実にきっぱりした口調であった。

確かにその通りなのだけれども、そう言ってしまうとまるでミモフタモない話に聞こえてしまう。
。。。。ということはやっぱり語り口は大事だ。
もしかしたら筋書きそのものよりもずっと大事なものだ。

かと言ってだんだん歳とってくるわけで今から新しい語り口を習得するのもやっかいではある。
というわけでとにかく弾いてみる。

今、やってるのはクラリネットとファゴットの曲をピアノで弾く練習。
1960年代の曲で、調性と無調の部分が巧みに混じりあっているのがカッコイイ。
クラリネットがまるごと移調して書いてあるのでちょっと骨がおれるけれども、とにかくやってみよう。

とにかく少しずつ語彙を増やすということ。
使える単語の数を増やしてゆくこと。

今日は

2019-11-29 | 日常雑記
今日は大学で授業のある日。
ひとつめは合奏(リコーダー)、ふたつめは管弦楽法というもの。
管弦楽法では、管弦楽に使われる楽器の用法や実際の特性など、それにまつわることを様々な角度から学べる。

今日はかつてバロックのオーケストラのなかにも例が見られるリコーダーについて。
ただし用法自体は現代的。

ということで20世紀のベルギーの作曲家がリコーダーのために書いた曲を教材として準備してみた。

特殊な奏法も使われていて解説もあるのだが全部オランダ語。
そこで学生諸君と一緒に普段の教室を抜け出して大学の図書館へ行った。

まずはオランダ語の辞書と首っ引きでリコーダーの特殊奏法を読み解いた。
この段階までで結構時間がかかってしまった。
直接辞書に載っていない単語は原型や過去分詞型などを教えてあげたら意外と学生諸君、オランダ語の解読もいけるではないか。

そこでまた教室に戻って今度はその楽譜に書いてある曲を学生諸君の前で演奏してみた。

楽譜を解読したのは最初の1ページだけだったけれども、とりあえず残りのページの分も演奏した。
バスリコーダーで演奏時間約6分程度。

これは自分で言うのも何だけれども良い授業だった。
まず、楽譜の解読をする時点で語学に関する話題が飛び交う。
もちろん20世紀の音楽語法やリコーダーの特性、音楽の歴史など縦横無尽の話題の展開。
ここまでは全く演奏はなし。ひたすら話あう。

図書館から教室までは天気の良いなか学生諸君と一緒に歩いて教室まで移動。
その間は軽く雑談(とは言え、授業時間なので授業に関する話題に限定)

最後に演奏。
この曲はもう自分の持ち曲になってしまっている曲なので音楽的な情報も伝えられたはず。

帰ってからしばらく自分の練習をして夜は温泉。

良い一日だったな!
皆さんに感謝しなければ!

即興演奏をするための方法

2019-11-27 | weblog
新しいリコーダー奏法に即興演奏をするための方法について記事を書きました。

発表会終了しました

2019-11-26 | weblog

鹿児島市のシティエラホールで開催された発表会は無事に楽しく終了しました。
有難うございました。

今日はリコーダー発表会

2019-11-26 | weblog

今日は教室のリコーダー発表会です。
シティエラホール(鹿児島市)18時30分開演(入場無料)です。
私も伴奏で演奏に参加します。
皆様の御来場をお待ちします。

「ナイーブさ」を極力排除すること

2019-11-26 | ヴィオラ・ダ・ガンバ
明日からまたガンバの練習に勢いを出そう。
もうソロの曲は暗譜しているのでそれは確認程度で良いことにして、むしろ本番で弾かない曲をどんどんやっやってみよう。

重点的に練習してみたいのはいつもやっている定番の曲をより精密にやること。
■シンプソンのディヴィジョンヴィオール
■テレマンの無伴奏ソナタニ長調
■フォルクレの二短調、ト長調の組曲
■マレのラフォリアなど

メカニックな練習
■重音トリル、移弦、ポジション移動などなど

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「ナイーブさ」を極力排除すること。青臭い感じとかとかくセンチメンタルに流れやすいところとか。そのあたりの点。
センチメンタルであっていけない、ということではない。

しかし演奏者がセンチメンタル過ぎるとそれは時として聴き手がより積極的に聴くためのさまたげになる。

見た目は激しく身体が動いているけれど、音は鳴りが弱くてリズムがダメだったりすると、もうそれだけで聴き手の興味を失うのには十分。

あまりにもわかりやすい表現もダメだ。
かといって何をやっているのかわからないようなのもダメ。

何をやりたいのか、ということは伝わる必要があるけれども、それがどういう在り方で伝わるのか、ということが大事。

結局、演奏者のレベルは彼自身の聴き手としてのレベルを超えることは出来ないのではないだろうか。

8, Berio Sequenza Vb Gesti, Kees Boeke web

2019-11-26 | 音楽制作覚書
8, Berio Sequenza Vb Gesti, Kees Boeke web

ケース・ブッケ氏の演奏する”ジェスティ”(L.ベリオ作曲)の動画。
(無調・特殊奏法・ノイズ奏法 注意)

Kaoru Abe - Guitar Improvisation

こちらは阿部薫(1948-1978)のギター即興演奏(無調・特殊奏法・ノイズ奏法 注意)。

■1960年代から70年代頃に世界的な潮流としてクラシック、ポピュラーの枠を超えて無調やノイズ奏法といったものが流行していた可能性。

■「無駄な音は書かない」とか「選びに選び抜いた音だけがそこに在るように」という伝統的なクラシック音楽の作曲の考えかたは万能ではない。


演奏技術はバロック作品で養う

2019-11-20 | 思うこと

リコーダーやヴィオラ・ダ・ガンバのような楽器の場合、基本的な演奏技術はバロック作品で養う、という態度。

もし現代的な曲を自分自身で作ったり、あるいはまた演奏するような機会があるとしても、その際にはバロック作品によって得られた演奏技術が役立つ。

現代的なものを志向する奏者にとっては当然と言えば、当然のことだけれども、問題はそのバロック作品があまりにも美しすぎる時。

昨日の練習でオトテールのト長調の組曲からアルマンド、ロンド、メヌエットをやった。
そのなかの4分の3拍子のロンドがあまりにも美しすぎて困った。

19世紀ギターとトラヴェルソの音とガンバの音が渾然一体となって、自分で言うのも何だけれどとにかく良かったのだ。

今、水曜日の朝の3時ごろ。
少し早く目が覚めてしまった。
今日は今取り掛かっているガンバのための新曲をまた進めてゆきたいのだけれども、昨日のオトテールの曲の余韻が強すぎてちょっと困った。

こういう時、どうしたら良いのだろうと思う。
他の作り手の皆さんはどうしてるのかな。

ああ、そうだ、作曲してる時は他の作曲家の曲は聴かない、と公言している人もいたな。
僕の場合はそうもゆかないので、とにかく切り替えをうまくしなければ。

今書いている曲、マレやオトテールの曲からすると、和音の美しさに乏しい。
でも21世紀の音楽だから・・・ちょっとだけ言い訳しても良いことにするのだ。
バロック的な和音の美しさはないけれども、21世紀の日本的な美しさならあるかも。。。

でも、もし今から出来る曲を聴いてくれる人がいてもこんなこと些細なことなんだろうな。
よし、今日も書き進めてゆこう!

なんだか結構、寒くなって来た。
身体が冷えると、いろいろ大変だからちょっとずつ暖かくしながら前進あるのみ。