漱石の散歩道

2011年01月25日 09時02分33秒 | Weblog

1誕生の地  牛込馬場下横町・現新宿区喜久井町1
2夏目坂  誕生の地の前 漱石の父・直克が命名
小倉屋(こくらや)馬場下町3 後に赤穂浪士となる中山安兵衛がここの升酒を引っかけて助太刀に向かったという酒屋さん 裏手に漱石の生家があった
誓閑寺・喜久井町61 硝子戸の中で西閑寺、二百十日で寒聲寺として登場する寺
終焉の地(漱石山房)早稲田南町7/当時牛込区早稲田南町7番地 明治40年から大正5年に亡くなるまで過ごした家があった場所 富永直樹作の漱石の胸像と猫塚がある
帰国後住んだ家・矢来町3 当時牛込区矢来町三中の丸 明治36年1月英国より帰国後、妻鏡子の実家の離れ住んだ
神楽坂 甲武鉄道牛込停車場の開設で発展 山の手随一の繁華街として賑わった 多くの作品に登場し、お見合いした漱石と鏡子がすれ違ったのも神楽坂
和良店亭 当時牛込肴町 藁店(地蔵坂の別名)にあった色物講談を得意とする寄席で、落語好きの漱石が足繁く通った。神楽坂は五つの寄席が並び、東京の芸能の中心だった
9田原屋 新宿区神楽坂5-35(毘沙門天の西) 菊池寛や佐藤春夫、永井荷風らも通った牛鍋屋 後に果樹屋になり、大正初めに洋食屋になったが、平成14年閉店
10善国寺(毘沙門天)神楽坂5-36 毘沙門天の愛称で親しまれ、縁日の賑わいは 坊ちゃんの中にも出てくる
 毎月5のつく日に開かていた縁日は現在、7月末のほうつき市のみ開かれている
11相馬屋 神楽坂5-5 地蔵坂の入口付近にある文房具店。漱石はここの原稿用紙を愛用した
12東京物理学校 現東京物理大学 神楽坂1-3
 坊ちゃんは東京物理学校出という設定 明治39年に建設された校舎が復元され、現在近代科学資料館として公開されている

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