世田谷一家殺害事件

2013-12-31 13:56:17 | Weblog

 

 世田谷一家殺害事件 奔走の刑事、無念の死 告別式で遺族が「お世話になりました」 

奔走の刑事、無念の死 告別式で遺族が「お世話になりました」 明日で13年目

世田谷一家4人殺害事件 事件現場となった殺害された宮沢みきおさんの自宅で検証作業にあたる警察の捜査員 宮沢みきおさん、妻の泰子さん、長女のにいなちゃん、弟の礼ちゃんが遺体で発見された=本社ヘリから【撮影日:2000年12月31日】

世田谷一家4人殺害事件 事件現場となった殺害された宮沢みきおさんの自宅で検証作業にあたる警察の捜査員 宮沢みきおさん、妻の泰子さん、長女のにいなちゃん、弟の礼ちゃんが遺体で発見された

 東京都世田谷区で平成12年12月、宮沢みきおさん=当時(44)=一家4人が殺害された事件は30日で発生から13年を迎える。節目の日の2週間ほど前に、長年、犯人逮捕に奔走してきた警視庁捜査1課の刑事が闘病生活の末に亡くなった。「未解決」というふがいなさを、遺族にわびたこともあった熱血漢。その旅立ちには、みきおさんの遺族も駆け付けた。「また一人、当時を知る人材を失った」(同僚)。月日の流れは捜査員にも確実に訪れている。

 この刑事は、榎本和昭警部。捜査1課で未解決事件を捜査する特命捜査対策室で、世田谷一家殺害事件担当の係長を務めていたが、今月17日、膵臓(すいぞう)がんのため、58歳で死去した。

 東京都あきる野市の葬儀場で21日に営まれた告別式。警視庁関係者ら100人を超える参列者の中に、みきおさんの母、節子さん(82)の姿があった。節子さんは直前に体調を崩して静養していたが、「どうしても気持ちを伝えたい」と自宅のあるさいたま市から足を運んだ

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12月30日検索

2013-12-31 04:43:58 | Weblog

 

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島田沖縄県知事(終戦前)

2013-12-30 10:05:05 | Weblog

    

     島田沖縄県知事(終戦前) http://youtu.be/pWyc3KDPK0M

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島田沖縄県知事(終戦前)

2013-12-30 10:05:05 | Weblog

    

     島田沖縄県知事(終戦前) http://youtu.be/pWyc3KDPK0M

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韓国の敵国

2013-12-30 07:35:41 | Weblog

 

   韓国学生の敵国意識調査

 

   1  Japan

   2  North Korea

      3    USA

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靖国神社参拝

2013-12-30 04:03:37 | Weblog

 

 

  参拝を報告した首相FBに「いいね!」7万件 五輪決定時に次ぐ多さ

靖国神社を参拝した安倍晋三首相(中央)=26日靖国神社を参拝した安倍晋三首相(中央)=26日、東京都千代田区の靖国神社(寺河内美奈撮影)

 靖国神社を参拝したことを26日に書き込んだ安倍晋三首相のフェイスブック(FB)が大きな反響を呼んでいる。賛同を示す「いいね!」の数は29日、7万4千件を超え、首相就任後過去2番目の多さとなった。

 首相は就任後初めて靖国神社を参拝した後の26日午後2時すぎ、FBに「御霊(みたま)安らかなれとご冥福をお祈り致しました」と報告した。「いいね!」の数は直後から急増し、同日中に4万件を超えた。

 その後も増え続け、29日午後の時点で7万4千件に達した。コメントの数は9千件を突破し、「ありがとうございます」といった肯定的な意見が多い。

 首相のFBは購読者数を意味するフォロワーが40万人超と、もともと人気が高いが、「いいね!」が2万件を超えることは珍しい。

 首相が就任後にFBに投稿したのは268件。このうち、「いいね!」の最高記録は9月8日の17万3千件で、首相は2020年のオリンピック開催地が東京に決まったことをガッツポーズの写真入りで報告した。靖国参拝は、これに次ぐ多さで、コメント数では五輪決定時の約6900件を上回っている。

 節目の投稿と比較しても、参院選大勝の7月21日(1万9千件)、消費税8%への引き上げを表明した10月1日(約1万5千件)などをしのいだ。

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中国

2013-12-30 03:52:31 | Weblog

 

中国、 連日批判もデモなし 国内安定優先

 
北京の日本大使館に物を投げ入れ、警備関係者に排除される男性(右)。安倍首相の靖国神社参拝に対する抗議行動とみられる=27日(共同)

北京の日本大使館に物を投げ入れ、警備関係者に排除される男性(右)。安倍首相の靖国神社参拝に対する抗議行動とみられる=27日(共同)

 安倍晋三首相の靖国神社参拝について、中国の政府要人は連日のように厳しい批判談話を発表し、日本に対する強い姿勢を示している。しかし、具体的な報復措置は発表されておらず、各地の活動家が公安当局に申請した反日デモはすべて却下されたという。共産党関係者は「前最高指導部メンバーの汚職疑惑を抱えている習近平指導部はいま、国内の安定を最優先にしている。対日カードもそのほとんどを使ってしまっており、有効な手段が取れずに困っている」と理由を指摘している。

 安倍首相の参拝を受けて、中国政府高官は次々と日本批判を展開した。「日本側は引き起こされる結果を引き受けなければならない」(羅照輝・外務省アジア局長)、「日本が引き続き対立を激化させるなら中国も最後まで相手をする」(王毅外相)、「安倍首相は自らの過ちを正さなければ歴史の失敗者になる」(楊潔●(=簾の广を厂に、兼を虎に)国務委員)。いずれの発言も対抗措置を強く示唆するものといえる。

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12月29日検索

2013-12-30 03:37:44 | Weblog

 

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辺野古

2013-12-29 19:24:03 | Weblog

 

   辺野古埋め立て承認 

「中国進出抑止に不可欠」守屋武昌・元防衛事務次官 

 

 
守屋武昌・元防衛事務次官

守屋武昌・元防衛事務次官

普天間飛行場移設問題に防衛官僚として深くかかわった元防衛事務次官、守屋武昌氏(69)の話

 

 普天間移設問題が長引いた背景には、九州南端から台湾北東にかけて位置する南西諸島の安定に果たす日本の軍事的役割の大きさについて、国民の基本的認識が欠如しているからだ。

 世界の戦史をみると、海軍力にとって致命的なことは、軍事行動を相手に把握されることだ。例えば極東ソ連軍は、冬に凍らない港はウラジオストクだけだったため、海洋進出するためには必ず日本の3海峡を通らなければならず、日本の監視網は同盟国である米国にとって必要不可欠の存在だった。ドイツも同様で、潜水艦で連合国に対抗しようとしたが、大西洋に出る際、英国の監視網にひっかかり敗戦につながった。

 中国も太平洋に出るためには、南西諸島を抜けなければならず、鹿児島から沖縄までの約1200キロの島と島の間を通る際に日本の監視網に必ずひっかかる。

 つまり、中国は海軍力を持つのにふさわしくない地形的なハンディキャップがありながら、尖閣諸島周辺を領海侵犯するなど、この地域への海洋進出を図っており、南西諸島の重要性は、日本だけのものではなく、国際社会に対する日本の責任でもある。

 基地問題をめぐっては、対米従属という批判がなされてきたが、私はまったく違うと考える。なぜなら日本の監視網なくして、米国はこの地域でのプレゼンス(存在感)を維持することはできないからだ。米国にとって日本は切っても切れない同盟国なのである。

 地元には沖縄に米軍基地は必要ないとの意見もあるが、極東ソ連軍に対して北海道が重要だったように、中国が海軍力を周辺国に及ぼそうとする今、沖縄は大変重要で代替できない。辺野古移転により、その重要拠点が安定的に維持されることは非常に意義が大きい。

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領海侵犯

2013-12-29 16:11:34 | Weblog
です

 

本文です

中国海警局の公船3隻、尖閣沖領海内に侵入

 

 第11管区海上保安本部(那覇市)によると、29日午後0時45分頃から同55分頃にかけ、沖縄県石垣市の尖閣諸島・魚釣島沖の領海内に中国海警局の公船「海警」3隻が侵入した。

 
 

 同日午後2時20分現在、3隻とも領海内を航行している。中国公船の領海侵入は22日以来。海上保安庁の巡視船が領海から出るよう警告している。

 

 
 

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 武士の情け

2013-12-29 10:39:56 | Weblog

 

    武士の情け 我らが帝国海軍 http://youtu.be/lsplk9d8SHw

 

 
 
 

上村彦之丞

 
上村 彦之丞
Kamimura Hikonojo.jpg
渾名 船乗り将軍
生誕 1849年6月20日
日本の旗 日本薩摩国鹿児島城下平之町
死没 1916年8月8日(満67歳没)
所属組織 大日本帝国海軍の旗 大日本帝国海軍
軍歴 1876 - 1914
最終階級 海軍大将
 

上村 彦之丞(かみむら ひこのじょう、嘉永2年5月1日1849年6月20日) - 大正5年(1916年8月8日)は日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将従二位勲一等功一級男爵。あだ名は「船乗り将軍」。

 

 経歴[編集]

薩摩藩漢学師範・上村藤一郎の長男として薩摩国鹿児島郡鹿児島城下平之町(現在の鹿児島県鹿児島市平之町)に生まれた[1]鳥羽・伏見の戦い会津戦争[2]を戦った。海軍兵学寮に進んだが、在籍中に西郷隆盛が下野したことを受けて上村も鹿児島に帰った。しかし西郷の説諭により兵学寮に戻る。山本権兵衛日高壮之丞らが行動を共にしている。在学中の成績は不良で後に海兵2期から4期となるべき生徒全員が受けた試験で最下位となった。雲揚艦乗組みとなって再教育を受けた後、少尉補試験に合格。4期生として卒業したが、席次はやはり最下位であった[3]。しかし将官となってからは、海軍教育本部長や、軍務局長を務めるなど、軍政面でも活躍した。また常備艦隊司令官として指揮した兵学校30期の遠洋航海は、日本が司令官を据えて行う練習艦隊のはじまりである[4]

連合艦隊首脳部。左から舟越楫四郎島村速雄東郷平八郎、上村彦之丞、加藤友三郎秋山真之

日清戦争では「秋津洲」艦長として出征。第一遊撃隊に属し豊島沖海戦では「操江」を降伏させた。これは日本海軍が敵軍艦を降伏させた最初の事例である[5]。続いて黄海海戦でも武勲を挙げた。日露戦争では第二艦隊司令長官として、蔚山沖海戦ウラジオストク艦隊を撃破。日本海海戦では判断よくバルチック艦隊の進路を塞ぎ、戦勝の重要な基因をなした。1907年(明治40年)に男爵を授爵。

戦後は横須賀鎮守府司令長官、第一艦隊司令長官を務め、海軍大将で退役となった。軍功から元帥となる可能性もあったが、実現していない。黒木為陸軍大将と同様に、剛直で荒々しい性格が評価されなかったともいわれている。ただし、元帥就任は大将として大きな功績を挙げたものという条件があり、日露戦争における上村の階級は中将であった。

日露戦争[編集]

常陸丸事件[編集]

単独攻撃する第二艦隊

開戦当初、第二艦隊司令長官として補給航路防衛の任に当たっていたが、日本海特有の濃霧やウラジオストク艦隊側の神出鬼没な攻撃に苦しめられた。常陸丸、佐渡丸が相次いで撃沈される常陸丸事件が発生すると、防衛責任者として糾弾された。議会では野党代議士から「濃霧濃霧と弁解しているが、濃霧(のうむ)は逆さに読むと無能(むのう)なり、上村は無能である」と批判され、また民衆からは「露探(ろたん)提督」(ロシアのスパイという意味)と誹謗中傷されたうえ、自宅に投石された。この事態に部下たちは憤慨したが、上村は「家の女房は度胸が据わっているから大丈夫」と笑って取り合わなかったといわれる。上村の妻は毎日寺参りをして敵艦隊発見を祈願していた[6]

蔚山沖海戦[編集]

蔚山沖海戦では、ウラジオストク艦隊撃滅寸前まで追い詰めながら、「我レ、残存弾数ナシ」と書かれた伝言用黒板を部下から手渡され、攻撃を終了した。上村は伝言板を叩きつけ踏みつけたが、その形相は周囲を震えさせるものだった。一方では、沈没に瀕しながら最後まで砲撃を続けていた巡洋艦リューリクの乗員に対し、「敵ながら天晴れな者である。生存者は全員救助し丁重に扱うように」と命令し627名を救助した。この時の状況を歌った軍歌『上村将軍』[7]は長く日本海軍将兵に愛唱された

上村将軍(一部) 作詞:佐々木信香 作曲:佐藤茂助

恨みは深き敵なれど 捨てなば死せん彼等なり 英雄の腸ちぎれけん

救助と君は叫びけり 折しも起る軍楽の 響きと共に永久に

高きは君の功なり 匂うは君の誉れなり

日本海海戦[編集]

日本海海戦において、バルチック艦隊の急旋回行動に判断を誤った東郷平八郎の指令に対し、第二艦隊参謀佐藤鉄太郎中佐の的確な意見具申を受け、独断専行。単独でバルチック艦隊を追撃し、至近距離から攻撃した。この上村の判断と行動が日本海海戦の勝利を確定させた。さらにバルチック艦隊を北方から引き返した第一艦隊と挟撃し、後にロシア海軍将校から、「日本海軍の艦隊運動はまさに神のごとくであった」と賞賛された。

人物・逸話[編集]

同郷の東郷平八郎が「彦之丞ほど感情の激しい男は居らん」と称したように、上村は短気で喧嘩早く、尚かつ酒豪であった。海軍内では多少浮いた存在ではあった[8]が、情に厚く部下思いであった。日清戦争当時、殴り合いを演じた相手を気に入り、後にイギリス留学できるよう取り計らっている。第二艦隊司令長官時代に先任参謀を務めた佐藤鉄太郎はかつて干戈を交えた庄内藩、第一艦隊司令長官時代の参謀・今村信次郎常盤盛衛はそれぞれ米沢藩会津藩の出身である。そして軍事参議官時代の副官の一人は会津松平家の当主・松平保男であった[9]。なお、東京都目黒区に「上村坂」と云う地名があるが、これは上村の屋敷があった事に由来する。

親族[編集]

関連書籍[編集]

  • 『上村将軍言行録』平凡社、1930年。

年譜[編集]

海兵生徒時代 前列左から2人目が上村、左は雪下熊之助、後列左5人目山本権兵衛、9人目片岡七郎(於サンフランシスコ)
凱旋する東郷と上村
凱旋式当日の海軍首脳、前列左から4人目
伊集院五郎、上村、東郷平八郎、山本権兵衛、伊東祐亨片岡七郎出羽重遠斎藤実山下源太郎

 

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脱中国

2013-12-29 03:10:28 | Weblog

   落胆して帰国する日本人観光客 観光でも進む「脱中国」の動き

 年末年始の海外旅行需要が好調に推移している。カレンダーの日並びが良いことに加え、個人消費の持ち直し傾向が見られるためでもある。

 好調といわれる海外旅行だが、大手旅行代理店では奇妙な現象が起きていた。あれほど人気だった中国旅行のパンフレットが、店頭から忽然と姿を消していたのである。

 12月のある日、都内の某大手旅行代理店店舗に立ち寄った。所狭しと陳列される旅行パンフレットはおなじみの光景だが、どこを探しても中国が見当たらない。代理店職員に尋ねてみると、「中国旅行はすっかり需要がなくなってしまったんですよ」と言う。

 近年、日本からの出国者数は増加を続け、2012年は約1850万人が渡航した(日本旅行業協会)。そのなかでも渡航先のトップは中国で、351万人が訪れた。2位の韓国、3位のアメリカを大きく引き離す、そんな“断トツの中国”が、今年、旅行市場から“退場”したのである。

 日本人が中国観光を遠ざける傾向は、中国側の統計数字にも表れている。中国国家観光局の発表によれば、2013年9月に観光やビジネスなどの目的で中国を訪問した日本人旅行客は、前年同月比7.29%減 の23万4200万人で、15ヵ月連続でマイナスとなった。

 過去を振り返ると、日本からの訪中客数は、2012年8月までは月間30万人台を維持してきた。ところが、あの反日デモを境にして、同年9月以降は月間20万人台に激減した。また、年間で見ても年々減少の一途だ。上海万博があった2010年には日本から373万人が中国を訪れたが、11年には366万人(前年比1.8%減)、12年には352万人(前年比3.8%減、10年比で5.6%減)となった。09年までは、訪中客の多さは日本が圧倒的だったが、それ以降は韓国に取って代わり、日本からの中国訪問の積極さは、徐々に弱まる傾向にある。実際、筆者も日中を往復するフライトで、今年は日本人観光客を見ることはほとんどなくなった。

 中国渡航者が減少した原因は、言わずと知れた尖閣諸島をめぐる日中関係の悪化であろうが、大気汚染や食品安全など健康被害の懸念も、日本人観光客の敬遠を招いている。

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増産

2013-12-29 02:32:10 | Weblog

        駆け込み需要に備え増産 トヨタや花王 増税前

主要な消費財メーカーが2014年4月の消費増税前の駆け込み需要に備え増産を始める。トヨタ自動車は来年1~3月の国内生産ペースを12月比で1割上げるほか、スズキなど軽自動車各社も休日を返上して工場を動かす。花王やユニ・チャームなど日用品メーカーも在庫を積み増している。各社は駆け込み需要を確実に取り込もうと懸命だが、4月以降の反動減に備える必要もある。人気商品の投入で落ち込みを抑えるなど機動的な対策が求められている。

 

 
2014年4月の消費増税前後の
主要メーカーの動き
トヨタ自動車 2014年1~3月に13年12月計画比1割程度増産
三菱自動車 日産と共同開発の軽の新型車を休日返上で生産
ホンダ 14年度1年間に過去最多となる6つの新型車を発売
ルネサスエレクトロニクス 自動車向け好調で一部工場で年末年始の休み短縮
エスビー食品 増税前にカレールウやレトルトカレーを増産方針
小林製薬 春夏商品の投入時期を増税後の4月上旬に遅らせる
レナウン 反動減に備え紳士服で低価格品を3月に売り出す

 トヨタは14年1~3月、1日あたり1万4000台前後の国内生産計画を取引先の部品メーカーに示した。13年12月は約1万2500台(計画値)だった。小型ハイブリッド車「アクア」などの生産を増やす。期間従業員の採用も13年11月末時点で4100人と8月末に比べ1割増やした。

 小型車「フィット」の販売が好調なホンダは14年1月に埼玉製作所寄居工場(埼玉県寄居町)と鈴鹿製作所(三重県鈴鹿市)でそれぞれ休日を2日ずつ返上して工場を稼働させる。

 軽自動車メーカーもフル生産が続く。スズキは軽を生産する湖西工場(静岡県湖西市)で14年1月に3日間の休日出勤を実施、新型の多目的スポーツ車「ハスラー」などを増産する。三菱自動車は日産自動車と共同開発した軽の新型車の発売を14年2月に控え、水島製作所(岡山県倉敷市)で14年1月に3日間、休日出勤する。

 自動車業界の増産は部品メーカーにも波及する。ルネサスエレクトロニクスは自動車向けマイコンやパワー半導体の受注増に対応し、熊本川尻工場(熊本市)の年末年始休業を前年度より2日短縮し3日にする。

 短期間に買いだめの動きが出る日用品では、花王が「アタック」などの衣料用洗剤、乳児用紙おむつ、生理用品の増産を始めた。1997年4月の消費増税時は3月の最終週に日用品の売れ行きが3割伸びた。ユニ・チャームも紙おむつや生理用品の在庫を3月までに2週間分積み増す。

 家電量販店では年明けから駆け込み需要が本格化するとみて、在庫確保をメーカーに働きかけている。メーカーは高額のテレビや冷蔵庫などを中心に増産する見通しだ。

 一方で反動減の影響を抑えようと主力商品や目玉商品を増税後に発売する動きも出てきた。ホンダは14年4月から1年間に同社として過去最多となる6つの新型車を発売する。富士重工業も主力車「レガシィ」ワゴン車の後継車「LEVORG(レヴォーグ)」の発売時期を14年4月以降にすることを決めた。

 小林製薬は例年は2月下旬から3月中旬だった新製品の投入時期を4月上旬にずらす。3月以降にドラッグストアやホームセンターで駆け込み需要を狙った特売が本格化する可能性が高く、乱売に巻き込まれないようにする。エステーも消臭芳香剤の新製品の発売を3月上旬から1カ月ほど遅らせる。

 97年4月の消費増税後には大きな反動減に見舞われた業界が多い。反動減の影響を最小限にするため、企業は増税前後で2段構えの工夫を凝らしている。

 
 
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12月28日検索

2013-12-29 02:26:51 | Weblog

 

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12月27日検索

2013-12-28 02:25:59 | Weblog

 

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