奈良

不比等

古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その408)

2017-10-06 08:15:00 | 奈良・不比等
国文祭・障文祭なら2017
歴史ファンタジー小説・北円堂の秘密

奈良県北中部の京阪神へ通うサラリーマン家庭のベッドタウンの街にも在郷農家が残っており、今年も第4コーナーを周る10月の初め頃は小型コンバインによる稲田の刈入風景が各所で見掛けられる。何故未だベッドタウンの街に田畑が残っているかと問えば、それは簡単であり、農家の背後にあった耕作地に不向きな丘陵地の里山を住宅地として開発する業者に売り渡しただけで先祖代々耕してきた田畑は遺(のこ)して来たのである。従って、ベッドタウンの新来人が一駅手前や先の鉄道駅まで歩こうとすると直ぐに奈良県の元の郡部旧村地域が顔を見せてくる。良く見ると、村方三役の住まいの集まっている地域では大きな塀で囲まれて門構えの確(しっか)りした何処かの武家屋敷の様な構えの農家が散見される。近鉄奈良線沿線でも結構残っていて大和棟(やまとむね)と呼ばれる美しい建築様式が特徴的である。当主達はサラリーマン化しておりその親世代はアパート経営などをして資産を獲得しているので、大和棟を維持出来ていると考えられる。このように伝統文化を遺すのは簡単ではない。増してや、サラリーマンが出世を遂げて重役になったとしても、年収が5千万円を10年間続けたとして、残る資産は大きく見積もって半分の2億5千万円であり、日本庭園つき蔵つきの大和棟の邸を建てようとすれば3億円掛かるとのことであり、並大抵ではない。多くのサラリーマンは道路面から階段を10段も登るような丘陵地に開発された兎小屋に歳老いては住むことが出来ず空家とするか二束三文で手放さざるを得ない。在来農家の家屋敷は丘陵地の麓にあるので鉄道駅へのアクセスは標高の高い丘陵地に造成されている新興住宅地よりも便利である。------
奈良県北中部の将来を考える時、ベッドタウンとしての機能は近鉄奈良線が通勤電車を走らせる限りにおいて、京阪神へ通うサラリーマンにとっては近郊住宅地として便利な処は残るだろうが、最寄駅からバスで30分も掛かるような処や、徒歩30分以上のエリアはベッドタウンとしては消滅せざるを得ないだろう。----
高齢者のピークを迎える2020年から2050年頃にはそのベッドタウンとしては不適格な住宅地を複数壊して介護施設などを集中的に設置して老後介護のコンパクトシティーを造成することは有意義かも知れない。この場合は奈良県だけでなく京阪神からも広く介護老人を集めて来れば効率的で黒字事業となるだろう。その際の介護スタッフはアジア各地から求めざるを得ないかも知れないが、贅沢は言ってられない。-----
奈良県では県立高校の集約を又考えているようであり、余った廃校となる高校を介護施設に転用するのは容易いことである。高校の規模もコンパクトシティー的な考えで纏め過ぎるのは問題だが、県民人口が140万人を下回ってきた現状では再考せざるを得ない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする