「創価学会の何が悪いの?」
あれはウソの世界なんだ。幼稚園でも習ったろう、ウソをついてはいけません。
「何がウソなの?」
いっぱいあるけれどね。まずは池田大作さんは世界の指導者(しどうしゃ)ではないんだ。
創価学会は世界へ向かってやくしん続けているはずなのに、ソウカガッカイインタナショナルの人数は増えていない。
日本の創価学会の人数だって減っているはずさ。
「そんなだってせいきょう新聞では」
せいきょう新聞に書かれていることはウソが多いし、世の中ではあまり使わない悪い言葉にあふれているね。
信じないほうがいいよ。
「おとうさんもおかあさんも立派な人です」
おとうさんとおかあさんもだまされて違う世界にいるんだ。
長くいたらもう外の世界には出られないんだ。
「ぼくはどうしたらいいの」
まずは、すべてを信じないこと。半分はうたがってみて、自分で調べてみること。
そして、ウソだと解ったらウソをつく人からもその世界からもなるべくはなれること。
たくさんの音楽や本や映画や芸術(げいじゅつ)にふれて、外の世界に出て行って自分の楽しいことをさがすこと。
自分のことは自分で決めること。
一人で生活出来るようにすること。
自分の不幸を他人のせいにしないこと。 他人をうらやまないこと。
ウソの世界にい続けると、人も人生も狂ってくるんだ。
ニセモノからは何もえられないよ。
あれはウソの世界なんだ。幼稚園でも習ったろう、ウソをついてはいけません。
「何がウソなの?」
いっぱいあるけれどね。まずは池田大作さんは世界の指導者(しどうしゃ)ではないんだ。
創価学会は世界へ向かってやくしん続けているはずなのに、ソウカガッカイインタナショナルの人数は増えていない。
日本の創価学会の人数だって減っているはずさ。
「そんなだってせいきょう新聞では」
せいきょう新聞に書かれていることはウソが多いし、世の中ではあまり使わない悪い言葉にあふれているね。
信じないほうがいいよ。
「おとうさんもおかあさんも立派な人です」
おとうさんとおかあさんもだまされて違う世界にいるんだ。
長くいたらもう外の世界には出られないんだ。
「ぼくはどうしたらいいの」
まずは、すべてを信じないこと。半分はうたがってみて、自分で調べてみること。
そして、ウソだと解ったらウソをつく人からもその世界からもなるべくはなれること。
たくさんの音楽や本や映画や芸術(げいじゅつ)にふれて、外の世界に出て行って自分の楽しいことをさがすこと。
自分のことは自分で決めること。
一人で生活出来るようにすること。
自分の不幸を他人のせいにしないこと。 他人をうらやまないこと。
ウソの世界にい続けると、人も人生も狂ってくるんだ。
ニセモノからは何もえられないよ。
「入信を奨める他宗教の人に、“自分は創価学会員です”と言ってごらん。相手はすぐに逃げ出すよ」。
学会から距離を置き始めていたある日のこと。布教のため、キリスト教の方が、僕の家に訪問してきたことがありました。「学会では、まことしやかにそう言われているけど、実際のところはどうなんだろう?」…と思った僕は、ずばりと「学会員宣言」をし、それを実験してみることにしました。
相手は逃げませんでした。どうやら「逃げ出す」という話は、自惚れ強い学会員の特徴を象徴する逸話に過ぎなかったようです。それどころか、キリスト教の方に特有の、不自然に作った風に見えるニヤケ面(少なくとも僕にはそう見える)で、こう切り替えしてきたんです。
「創価学会の方も頑張ってますねぇ」
頑張る?
何を?
宗教による人類救済?
当時、学会に対していろいろな疑問を感じ始めていた僕は、見知らぬ家に平気で訪問する相手に、うまく言葉に出来ない不快感を感じました。
今では、創価学会に限らず宗教そのものが、ナンセンスな嘘の塊にしか感じられません。信じるという前提がなければ成り立たないなんてものなんて、稲川淳二の怖い話と大差ありません。
私は人に宗教を勧めませんが、すぐに逃げ出します。だって対峙する自分の時間がもったいないのですもの。
エのつくところかしら?
私も沢山の宗教勧誘を受けてます。じっくりと話を聞いてしまうのがいけないのでしょう。玄関のドアを鼻先でばたんと閉めることが出来無くって。でもエのつく宗教団体のかわいらしい女性から「これ以上話してもお互いの時間の無駄ですよ」と言ったら「だってきちんと話を聞いてくれるから興味があるのだと思って」と言われて愕然としてしまいました。
彼らも「インターネットは嘘が書いてある」という事を言っていました^^;
聞かない方が親切だったのかも。orz
相手の態度で気持ちを推し量ることが彼らには出来ません。また人の話を自分の都合の良いように解釈する脳回路が出来てしまっています。話は永遠の平行線、私が彼らの宗教にはいることだけでしか解決の道はないのです。
新興宗教に生きる彼らはこれからもこれまでも生きにくいでしょうね。
僕は基本的に宗教の勧誘はピシャリと断っています。その方がかえって親切ですよ。脈なんかこれっぽっちもない人に関わってないで他を当たった方が、“当たる”確率高いじゃないですか。宗教の勧誘なんてナンパと同じですよ(笑)。
実は僕、いちいちドア開けなくても、「こんにちは」と声を聞いた瞬間、「あっ、宗教の勧誘だ」って、何となく分かるんですよ。音楽やってたんで音感にはそこそこ自信あるんです。
事実、ついこの前、普通の(?)キリスト教の勧誘がきたときのこと。やはり声を聞いただけで、「おっ、この女、きっとそこそこカワイイぞ」って分かったことがあるんです(笑)。んで、一目拝みたくて(笑)ドアを開けたら、そこにいたのは案の定、上の下ぐらいの眼鏡っ娘ちゃんだったことがありました。あくまでも顔を見ることが目的だったんで、相手を傷つけないように優しく断りましたけどね。…生まれつきそういう風に出来てるんです(笑)。
失礼しました(笑)。
そうなんですよね。私もこれからそうします。
つい興味を持ってしまうのですよね。
宗教ではなくて「何故この人はこの宗教にはまったのか?」「何か私と話すことで疑問を持つきっかけを作れるのではないか」なんて。
でもまた帰って仲間と話すことで自分の不安を解消してしまうから、駄目なんでしょうね。
声で容姿を判断出来るのですか?
私は駄目です。^^
目を見るとだいたい変な宗教・組織にはまっていないか解りますが、確実ではありません。
今「愛と幻想のファシズム」を読んでいます。
弱者が威張る時代、弱者の淘汰は事実でしょうね。ラストがどんな風になるのか楽しみです。
私からは石田衣良氏の「ドラゴン・ティアーズ」を紹介します。石田衣良氏の作品は優しいんですけれどね。
広淵升彦氏の「頭にちょっと風穴を」を櫻井よしこ氏が紹介なさっていたので読んでいます。
前に軒ちゃん先生のところにバリ活さんが紛れ込んできたことがありました。いい笑い者でしかないのに、ひたすら反論し続けてましたね。それも言うことは全て、「学会の公式見解の受け売り」ばかり…。
「絶対的に正しい」と定義している宗教に、依って立つことでしか、精神の安定を保てないのでしょう。憐れとしか言いようがありません。が、僕はfreeさんのように優しくないし人間が出来てないんで、見ず知らずの他人が訪問してきても、「この人の目を覚ましてあげよう」なんて気にはなれないんですよ。
>目を見るとだいたい変な宗教・組織にはまっていないか解りますが、確実ではありません。
確かにありますね。ありもしない物を見ようと必死になるあまり、視線が宙を泳いでいるかのようにぼんやりしてるか、異様にギラギラしているか(学会員はこのパターン)、だいたいがそのどちらかです。いずれにせよ、麻薬をやってる人にそっくりです。
石田衣良は、池袋ウエストゲートパークシリーズと、14と、アキハバラ@DEEPを読んだことがあります。…てゆーかfreeさん読むの早いですね(^-^;)僕はまだ「容疑者Xの献身」手付かずです。freeさんが僕の薦めたものを読んでいるのに、僕が読んでいないんじゃ、借金が増えるいっぽうです。
病院に行ったら、「インフルエンザではない」と診断され、一安心☆
会社に顔を出し、お休みさせてもらいました。
帰りに図書館へ寄り、もう一度「容疑者X…」を探しましたが、またもや貸し出し中でした。仕方なく違う本を借りて来て、今読んでます。
ひき肉とニンニクを多めに入れた麻婆豆腐で、肉体疲労時の栄養補給しています。
それにしても、あの図書館の臨時職員のお姉さん、妙に気になる、彼氏いるのかな…。
皆様へのお返事も丁寧に書きたいのですが、時間も取れずしばらくご容赦下さい。
トニーさん「愛と幻想のファシズム」読みました。一言で言うと強烈でした。
冷徹で手段を選ばず民衆を率いるヒロイズム、ナチスドイツ、ヒットラーをも彷彿とさせる熱狂。最後の雨は何を示唆するのか、そして主人公を支えた彼の自殺は何を意味するのか? 私には解りませんでした。「彼」と「彼が作ろうとするシステム」の将来的崩壊を示唆しているのだろうか? 願わくば彼が独裁者になった後も書いて頂きたかったと。
偶然にも村上春樹氏がエルサレム賞受賞の時のスピーチにも「システム」が出てきます。
http://freezu.blog76.fc2.com/blog-entry-52.html#comment
トウジはとても魅力的です。彼に全てを預けて安心してしまいたくなります。でもそれだと創価学会員と何も変わらなくなってしまいます。
風邪お大事に。それと臨時職員のお姉さん、うまくお話が出来るようになると良いですね。^^
一般人からすると法華構員のあなたも創価学会員も本来、抱えなくてもいい事に囚われた哀れな人なんですよ~…。
貼って頂いたURLは残念な事に見る事は出来ませんでした。
恐らくトウジは、独裁者として日本を統治することには興味を持っていないのではないだろうか?…と僕は考えます。
なぜか。
自分の声に潜むカリスマ性を、テレビの持つ、言わば「拡大鏡」のような力を利用して増幅させる、などといった姑息な手腕にいつまでもしがみつくような、トウジはそんなチンケな男だとは思えないし、思いたくもないからです。…それではまるで池田大作センセーにそっくりではないですか?(笑)
あの作品から随所に感じられる、リチャード・ドーキンスの「利己的な遺伝子」の影響。作者は間違いなく、それを意識的に表現していると考えます。
「次世代に伝えるだけの価値のない遺伝子情報≧文化(利己的な遺伝子では、遺伝子と文化の類似点を鋭い視点から指摘しています)など、とっとと淘汰されてしまうがいい!」
この厳然たる大自然の摂理に照らし合わせたとき、あまりにも浮き沈みの激し過ぎる(弱すぎる)かの相棒(遺伝子)へ、「死んでほしい」と要求したトウジに、摂理そのものを造りたもうた“神”の姿を僕は重ねました。…もしこのあまりにも強く魅力的な、けれども残酷な“神”に見捨てられたくなければ、淘汰されぬよう自ら進化し続けなければ…。
>トウジはとても魅力的です。彼に全てを預けて安心してしまいたくなります。でもそれだと創価学会員と何も変わらなくなってしまいます。
あの小説を読んだとき、確かに僕もそう思いました。これは人間の弱さゆえの本能なのかも知れませんね…。ただし、このような理想的な“神”などいるはずはありません。いないからこそ、自らを進化させる「義務」が人間にはあるのではないかと考えます。
いたずらなヒューマニズムは、かえって人を弱くさせるだけだ。…愛と幻想のファシズムに脈うつテーマは、これに尽きるのではないのでしょうか?