いつまで続くんだと自分自身に問い詰めたくなる、上毛新聞で 2009年9月23日から22回に渡って掲載された『八ッ場の57年』という連載記事への突っ込み、という謎更新。
今回は、八ッ場ダム建設予定地に残っている自然+文化、ダム建設を見込んで作られた"遺産"の今後について紹介してる部分になる。
・"遺産" 古里の変ぼう 危惧(2009年10月8日 raijin.com)
つーことで、2009年10月8日分上毛新聞『八ッ場の57年 苦悩の軌跡 15』を全文引用してみた。
ただし、一部表記を変更+強調を入れておく。
---- 以下引用 ----
"遺産"
古里の変ぼう 危惧
2009年10月8日、上毛新聞
東吾妻町から吾妻渓谷を抜け、国道145号を走ると、立ち並ぶ巨大な橋脚が目に飛び込んでくる。
様変わりする風景が「ダムの町」を感じさせる。
八ッ場ダムは土地や家屋に加え、「湯欠け祭り」で知られる川原湯温泉がすっぽりと沈み、国指定の名称・吾妻渓谷の景観を変える計画が闘争を引きずってきた要因でもある。
当初、ダムは吾妻渓谷の中間部に建設が計画されていたが、耶馬渓をしのぐとも言われる渓谷を可能な限り保存しようと、文化庁と建設省(現国土交通省)が協議。
1975年にダムサイトの位置を約600メートル上流へずらすよう変更された。
首都圏の水がめ対策を巡って水資源の有効利用か、自然保護かで揺れたのが「尾瀬分水計画」。
70年余りに渡って論議された問題は96年、東京電力が「尾瀬保護財団の設立で自然環境への関心の高まりを考慮した結果」、水利権の更新を見送って消滅した。
1998年には大規模な公共事業に環境への調査や対策を義務付けた環境影響評価法(環境アセスメント法)が施行された。
山野が削られ生態系が変化する中で、すみつき、根を張る貴重な動植物は順応できるのか。
中之条町に生まれ、全国の植物を取り続ける写真家、安原 修次さん(73)=千葉県船橋市=は「八ッ場ダム建設で消えつつある野の花を地域の貴重な資料として残したい」と、1990年ごろから建設予定に足を運びシャッターを切った。
変ぼうする古里に「すでにこれまでの工事で失われ、自然淘汰された植物がある。まだ貴重な植物もあるだけに、移植するなどして保護、再生に目を向けて欲しいと危惧する。」
残し、伝えたい神社・仏閣や石造り、遺跡をはじめ、地域に伝わる祭りや芸能、民話・・・。
代替地の完成を待てない住民が一人、また一人と町を離れていく中で、刻んできた歴史をどうつないでいくのだろうか。
ダム建設をにらんだ新たな"遺産"にも過疎化の波が寄る。
2002年にダム湖畔となる高台に移転した長野原第一小(学校)。
屋内プールを備えた校舎や体育館は、生まれ変わる新たな町のシンボルとして地域住民にも活用できるよう、従来の3倍ほどの用地を確保して新築された。
だが、児童数が減ったことから一時、中央小への統合が検討課題に挙がった。
長野原町は建設省の委託を受け、1986年から記録、保存を目的に水没地と関連地域の自然や文化財を調査し、報告書にまとめた。
最初の報告書「長野原町の民俗」のあとがきにこう書かれている。
<数々の貴重な民俗は、ダム建設によって消滅したり、変化を余儀なくされることを知らなくてはならない。ムラは、そのまま引っ越したから民俗もそのまま残るというかんたんなものではない。(中略)将来、ダムが完成したとき、このために消えた貴重な民俗を考えて欲しいものである>
尾瀬分水計画
尾瀬ヶ原から只見川に流れ出る水を利根川水系に分水、発電しようという計画。
1922年に東電が尾瀬ヶ原の水利権を確保。
発電に伴う水を首都圏の水がめ対策として利用しようとした。
当初は尾瀬ヶ原を水没させる計画だった。
未着手のまま、水利権の更新だけを繰り返した。
---- 引用以上 ----
ちなみに、『長野原町の民俗』の編集は上毛民俗学会という団体が行っている。
全部で500ページに及ぶ大作?となっている。
この辺は以下も参照。
・八ッ場ダムと私 最後に(2009年11月17日 ぶらっと!)
ちなみに、『長野原町の民俗』は中古市場で5000円+αという値段がついている。
さて、どうしたものか・・・(謎)。
ってのはともかく。
八ッ場ダム建設予定地にある貴重な植物を移植した、という話ってのはあまり聞かないよな。
もっとも、工事事務所側は植物の移植について言及してるが・・・。
・ 八ッ場ダムの環境保全の取り組み:生態系の勉強会(ktr.mlit.go.jp)
どうせやるなら、現時点における植物の移植状況について説明していただきたいものだ。
流石に「今から調べます」という状況じゃないと思うけど・・・。
おまけ:
第1回目~第14回目については以下を参照(手抜き)。
・上毛新聞の八ッ場ダムに関する連載記事に思ったこと(その14)(2009年12月19日 flagburner's blog(仮))
・上毛新聞の八ッ場ダムに関する連載記事に思ったこと(その13)(2009年12月17日 flagburner's blog(仮))
・上毛新聞の八ッ場ダムに関する連載記事に思ったこと(その12)(2009年12月12日 flagburner's blog(仮))
・上毛新聞の八ッ場ダムに関する連載記事に思ったこと(その11)(2009年12月7日 flagburner's blog(仮))
・上毛新聞の八ッ場ダムに関する連載記事に思ったこと(その10)(2009年11月29日 flagburner's blog(仮))
・上毛新聞の八ッ場ダムに関する連載記事に思ったこと(その9)(2009年11月27日 flagburner's blog(仮))
・上毛新聞の八ッ場ダムに関する連載記事に思ったこと(その8)(2009年11月25日 flagburner's blog(仮))
・上毛新聞の八ッ場ダムに関する連載記事に思ったこと(その7)(2009年11月20日 flagburner's blog(仮))
・上毛新聞の八ッ場ダムに関する連載記事に思ったこと(その6)(2009年11月18日 flagburner's blog(仮))
・上毛新聞の八ッ場ダムに関する連載記事に思ったこと(その5)(2009年11月15日 flagburner's blog(仮))
・上毛新聞の八ッ場ダムに関する連載記事に思ったこと(その4)(2009年11月11日 flagburner's blog(仮))
・上毛新聞の八ッ場ダムに関する連載記事に思ったこと(その3)(2009年11月10日 flagburner's blog(仮))
・上毛新聞の八ッ場ダムに関する連載記事に思ったこと(その2)(2009年11月7日 flagburner's blog(仮))
・上毛新聞の八ッ場ダムに関する連載記事に思ったこと(その1)(2009年11月5日 flagburner's blog(仮))
今回は、八ッ場ダム建設予定地に残っている自然+文化、ダム建設を見込んで作られた"遺産"の今後について紹介してる部分になる。
・"遺産" 古里の変ぼう 危惧(2009年10月8日 raijin.com)
つーことで、2009年10月8日分上毛新聞『八ッ場の57年 苦悩の軌跡 15』を全文引用してみた。
ただし、一部表記を変更+強調を入れておく。
---- 以下引用 ----
"遺産"
古里の変ぼう 危惧
2009年10月8日、上毛新聞
東吾妻町から吾妻渓谷を抜け、国道145号を走ると、立ち並ぶ巨大な橋脚が目に飛び込んでくる。
様変わりする風景が「ダムの町」を感じさせる。
八ッ場ダムは土地や家屋に加え、「湯欠け祭り」で知られる川原湯温泉がすっぽりと沈み、国指定の名称・吾妻渓谷の景観を変える計画が闘争を引きずってきた要因でもある。
当初、ダムは吾妻渓谷の中間部に建設が計画されていたが、耶馬渓をしのぐとも言われる渓谷を可能な限り保存しようと、文化庁と建設省(現国土交通省)が協議。
1975年にダムサイトの位置を約600メートル上流へずらすよう変更された。
首都圏の水がめ対策を巡って水資源の有効利用か、自然保護かで揺れたのが「尾瀬分水計画」。
70年余りに渡って論議された問題は96年、東京電力が「尾瀬保護財団の設立で自然環境への関心の高まりを考慮した結果」、水利権の更新を見送って消滅した。
1998年には大規模な公共事業に環境への調査や対策を義務付けた環境影響評価法(環境アセスメント法)が施行された。
山野が削られ生態系が変化する中で、すみつき、根を張る貴重な動植物は順応できるのか。
中之条町に生まれ、全国の植物を取り続ける写真家、安原 修次さん(73)=千葉県船橋市=は「八ッ場ダム建設で消えつつある野の花を地域の貴重な資料として残したい」と、1990年ごろから建設予定に足を運びシャッターを切った。
変ぼうする古里に「すでにこれまでの工事で失われ、自然淘汰された植物がある。まだ貴重な植物もあるだけに、移植するなどして保護、再生に目を向けて欲しいと危惧する。」
残し、伝えたい神社・仏閣や石造り、遺跡をはじめ、地域に伝わる祭りや芸能、民話・・・。
代替地の完成を待てない住民が一人、また一人と町を離れていく中で、刻んできた歴史をどうつないでいくのだろうか。
ダム建設をにらんだ新たな"遺産"にも過疎化の波が寄る。
2002年にダム湖畔となる高台に移転した長野原第一小(学校)。
屋内プールを備えた校舎や体育館は、生まれ変わる新たな町のシンボルとして地域住民にも活用できるよう、従来の3倍ほどの用地を確保して新築された。
だが、児童数が減ったことから一時、中央小への統合が検討課題に挙がった。
長野原町は建設省の委託を受け、1986年から記録、保存を目的に水没地と関連地域の自然や文化財を調査し、報告書にまとめた。
最初の報告書「長野原町の民俗」のあとがきにこう書かれている。
<数々の貴重な民俗は、ダム建設によって消滅したり、変化を余儀なくされることを知らなくてはならない。ムラは、そのまま引っ越したから民俗もそのまま残るというかんたんなものではない。(中略)将来、ダムが完成したとき、このために消えた貴重な民俗を考えて欲しいものである>
尾瀬分水計画
尾瀬ヶ原から只見川に流れ出る水を利根川水系に分水、発電しようという計画。
1922年に東電が尾瀬ヶ原の水利権を確保。
発電に伴う水を首都圏の水がめ対策として利用しようとした。
当初は尾瀬ヶ原を水没させる計画だった。
未着手のまま、水利権の更新だけを繰り返した。
---- 引用以上 ----
ちなみに、『長野原町の民俗』の編集は上毛民俗学会という団体が行っている。
全部で500ページに及ぶ大作?となっている。
この辺は以下も参照。
・八ッ場ダムと私 最後に(2009年11月17日 ぶらっと!)
ちなみに、『長野原町の民俗』は中古市場で5000円+αという値段がついている。
さて、どうしたものか・・・(謎)。
ってのはともかく。
八ッ場ダム建設予定地にある貴重な植物を移植した、という話ってのはあまり聞かないよな。
もっとも、工事事務所側は植物の移植について言及してるが・・・。
・ 八ッ場ダムの環境保全の取り組み:生態系の勉強会(ktr.mlit.go.jp)
どうせやるなら、現時点における植物の移植状況について説明していただきたいものだ。
流石に「今から調べます」という状況じゃないと思うけど・・・。
おまけ:
第1回目~第14回目については以下を参照(手抜き)。
・上毛新聞の八ッ場ダムに関する連載記事に思ったこと(その14)(2009年12月19日 flagburner's blog(仮))
・上毛新聞の八ッ場ダムに関する連載記事に思ったこと(その13)(2009年12月17日 flagburner's blog(仮))
・上毛新聞の八ッ場ダムに関する連載記事に思ったこと(その12)(2009年12月12日 flagburner's blog(仮))
・上毛新聞の八ッ場ダムに関する連載記事に思ったこと(その11)(2009年12月7日 flagburner's blog(仮))
・上毛新聞の八ッ場ダムに関する連載記事に思ったこと(その10)(2009年11月29日 flagburner's blog(仮))
・上毛新聞の八ッ場ダムに関する連載記事に思ったこと(その9)(2009年11月27日 flagburner's blog(仮))
・上毛新聞の八ッ場ダムに関する連載記事に思ったこと(その8)(2009年11月25日 flagburner's blog(仮))
・上毛新聞の八ッ場ダムに関する連載記事に思ったこと(その7)(2009年11月20日 flagburner's blog(仮))
・上毛新聞の八ッ場ダムに関する連載記事に思ったこと(その6)(2009年11月18日 flagburner's blog(仮))
・上毛新聞の八ッ場ダムに関する連載記事に思ったこと(その5)(2009年11月15日 flagburner's blog(仮))
・上毛新聞の八ッ場ダムに関する連載記事に思ったこと(その4)(2009年11月11日 flagburner's blog(仮))
・上毛新聞の八ッ場ダムに関する連載記事に思ったこと(その3)(2009年11月10日 flagburner's blog(仮))
・上毛新聞の八ッ場ダムに関する連載記事に思ったこと(その2)(2009年11月7日 flagburner's blog(仮))
・上毛新聞の八ッ場ダムに関する連載記事に思ったこと(その1)(2009年11月5日 flagburner's blog(仮))