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上毛新聞の八ッ場ダムに関する連載記事に思ったこと(その6)

2009-11-18 20:16:30 | 八ッ場ダム騒動
性懲りもなく継続中の、上毛新聞で 2009年9月23日から22回に渡って掲載された『八ッ場の57年』という連載記事への突っ込み、という謎更新。
今回は、1967年8月に建設省(当時)が行った住民への説明会~1973年に水源地域対策特別措置法が施行されるまでのお話。
第1回目~第5回目については以下を参照(手抜き)。
・上毛新聞の八ッ場ダムに関する連載記事に思ったこと(その5)(2009年11月15日 flagburner's blog(仮))
・上毛新聞の八ッ場ダムに関する連載記事に思ったこと(その4)(2009年11月11日 flagburner's blog(仮))
・上毛新聞の八ッ場ダムに関する連載記事に思ったこと(その3)(2009年11月10日 flagburner's blog(仮))
・上毛新聞の八ッ場ダムに関する連載記事に思ったこと(その2)(2009年11月7日 flagburner's blog(仮))
・上毛新聞の八ッ場ダムに関する連載記事に思ったこと(その1)(2009年11月5日 flagburner's blog(仮))

今回紹介する記事の中心は、八ッ場ダム建設の是非を巡って住民が対立する経緯か。
ま、
つーことで、2009年9月28日分上毛新聞『八ッ場の57年 苦悩の軌跡 6』の文字起こしをしてみた。
ただし、一部表記を変更+強調を入れておく。

---- 以下文字起こし ----

「調査所」開設
反対運動 一気に激化

2009年9月28日、上毛新聞


ダム建設に反対か参加で住民の意見が割れる中、建設省(現国土交通省)は1967年9月1日、条件付賛成派の事務所内に初の現地出先機関「吾妻川総合開発調査所」を開設した。
これに反対派が猛反発。
住民同士の対立は激しさを増していく。

反対派は9月7日の町議会に、県議会にダム反対の陳情をするよう町に求める陳情書を提出。
議会では賛否両派の町議が激しい応酬を繰り広げた末、賛成15、反対6で陳情は可決された。

しかし10月7日の県議会総合開発特別委員会には、この陳情のほか賛成派住民からの請願も出され、継続審議となった。
さらに同委員会では当時の神田 シン(土へんに申)六知事が、吾妻川の委任管理権を建設省の求めに応じ国に返還することを表明。
11月1日から吾妻川は建設省の直轄管理となり、同日中に八ッ場ダム調査出張所が長野原町に開設された。

建設省は 1969年3月16日、現地説明会を同町長野原の文化劇場で開催。
説明会には水没住民の約半数に当たる約350人のほか、当時の桜井 武町長も出席した。
反対派がボイコット戦術に出てほとんど姿を見せない中、桜井町長は出席者に「絶対反対だけで行けるものかどうか疑問。これからは建設省の話も聞き、(中略)納得の行く結論を出そう」などとダム問題の解決を訴えた。

この説明会をきっかけに、当初から条件付賛成的な言動をしていた桜井町長に対する反対派の怒りが爆発。
20日に行われた町議会には反対派住民ら約250人が抗議に押しかけた。
その様子を上毛新聞はこう伝えている。

<役場前で「八ッ場ダム反対の歌」をマイクで流して気勢を上げる騒然とした空気の中で(町議会が)開かれ(中略)すぐ中断、開会30分後、抗議段約250人が狭い議場に入った>

反対派は約1時間にわたって抗議し、桜井町長の辞職を迫った。
これを拒む町長に、川原湯、林両地区の消防団50人が法被返上を宣言したり、一部区長が業務の拒否を突きつける異常事態となった。抗議団の一員として議場に駆けつけた小林 伊久男さん(77)=長野原町林=は「法被返上の時は消防団の役員だけじゃなく普通の団員も参加した。この頃が一番反対運動が激しかった」と振り返る。

反対運動が激化する一方で、1969年3月26日の県議会総合開発特別委員会は、初提出の 1966年2月から12回に渡って継続審議とされた八ッ場ダム建設に関する陳情、請願について、条件付賛成派と中立派寄りのものを可決。
建設省は7月26日、ついに水没基準票のくいの打ち込みを開始した。

4年後の73年、ダム建設で水没する地区住民の生活安定に福祉向上などを目的に、水源地域対策特別措置法が施行される。


反対派と賛成派

1967年9月、八ッ場ダム建設を巡って長野原町の住民は条件付賛成派と絶対反対派に分かれていた。
当時の上毛新聞社が両派が集めた署名などから分析した人数は、反対派が699人(川原湯279人、川原畑94人、林305人、横壁21人)、条件派が443人(川原湯143人、川原畑172人、横壁128人)だった。

---- 文字起こし以上 ----

「八ッ場ダム絶対反対の歌」は、以下の詩らしい・・・。

遠く父祖より受け継し 故郷の田畑吾が住居 湖底に沈めてなるものか ダム反対に決起せよ


で、水源地区対策特別措置法と施行規則については以下を参照。
・水源地域対策特別措置法(昭和四十八年十月十七日法律第百十八号)(law.e-gov.go.jp)
・水源地域対策特別措置法施行規則(昭和四十九年五月一日総理府令第二十七号)(law.e-gov.go.jp)

ちなみに、この法律には、八ッ場ダム建設推進を掲げる一都五県の知事達が喜んで引用しそうな条文が・・・。
以下、水源地域対策特別措置法から第七条・第八条を引用する。

---- 以下引用 ----
(中略)
(協力)
第七条  関係行政機関の長、関係地方公共団体及び関係事業者は、指定ダム等の建設及び水源地域整備計画の実施に関し、できる限り協力しなければならない。

(生活再建のための措置)
第八条  関係行政機関の長、関係地方公共団体、指定ダム等を建設する者及び整備事業を実施する者は、指定ダム等の建設又は整備事業の実施に伴い生活の基礎を失うこととなる者について、次に掲げる生活再建のための措置が実施されることを必要とするときは、その者の申出に基づき、協力して、当該生活再建のための措置のあっせんに努めるものとする。

一  宅地、開発して農地とすることが適当な土地その他の土地の取得に関すること。
二  住宅、店舗その他の建物の取得に関すること。
三  職業の紹介、指導又は訓練に関すること。
四  他に適当な土地がなかつたため環境が著しく不良な土地に住居を移した場合における環境の整備に関すること。

(以下略)
---- 引用以上 ----

しかし、「あっせん」つーのも面倒な表現だよな。
なんかこの表現だと、行政が生活再建策を住民に「与えてやりました」という言い方に思えなくないし。

つーか、一都五県の知事の方々は、そんなに八ッ場ダム建設推進云々というなら、現地の人達の生活再建に協力しやがれってんだ。
特に、八ッ場ダム建設に関して相当の責任を負う(利益を得る人口が多いと思われる)東京都にはな・・・。


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