性懲りもなく続いてしまっている、上毛新聞で 2009年9月23日から22回に渡って掲載された『八ッ場の57年』という連載記事への突っ込み、という謎更新。
今回は、1985年5月~1985年12月・・・地元住民の生活再建案が群馬県議会で合意されるまでの記事になる。
・地補償調査協定 「再建」へ調印決断(2009年10月5日 raijin.com)
つーことで、2009年10月5日分上毛新聞『八ッ場の57年 苦悩の軌跡 12』を全文引用してみた。
ただし、一部表記を変更+強調を入れておく。
---- 以下引用 ----
用地補償調査協定
「再建」へ調印決断
2009年10月5日 上毛新聞
八ッ場ダム問題は、県と長野原町の建設合意から2年経った1992年7月、大きな節目を迎える。
水没5地区住民と建設省(現国土交通省)が現地補償調査協定を結んだ。
調査は、水没住民が持つ土地や家屋などの財産がどれくらいになるかを確定するためを選定するための立ち入り調査。
協定締結後は生活再建、ダム建設が実質的に具体化へ向かうため、住民の動向が注目された。
八ッ場ダムは86年に水源地域対策特別措置法に基づく国の指定ダムとなり、翌87年には利根川・荒川水系地域対策基金の基金対象ダムに指定された。
85年の建設合意後、建設省は県が示した生活再建案をたたき台に、現地再建の骨格作りに奔走。
用地補償調査協定に向けた話し合いは、90年6月に建設省が提示した地域居住計画を基に進められた。
しかし、水没家屋の数が多く、観光を主産業とする川原湯地区は地区内の調整が難航し、他の水没4地区との足並みがなかなか揃わなかった。
「補償調査は交渉の最後の砦では」・・・。
川原湯地区の住民は不安を抱え、地域居住計画に対して代替地の地形や取得面積など、現地再建を掲げる建設省の再建案に具体的な将来像がイメージできずにいた。
寝ず良い反対論、国への不信感が交渉の進展に暗い影を落とし、地元と建設省の溝が埋まらないまま、いたずらに時が流れた。
天気は92年、川原湯地区で「反対期成同盟」を名乗ってきたグループが名前を「対策期成同盟」に変え、6月8日に地区対策委員会が用地補償調査協定受け入れを確認する。
他の4地区がすでに協定に臨む体制を整え、川原湯地区内でも「協定のこれ以上の地帯は生活再建に望ましくない」といった意見に集約されつつあった。
期成同盟の委員長だった竹田 博栄さん(79)=中之条町=は「時代の流れの中で、一つの役割が終わったと思った」と振り返る。
水没住民と県との懇談会が開かれた6月30日、現地入りした小寺 弘之知事は「地域住民の不安と混乱に心からの同情を禁じえない。一日も早い安心と安定を目指すことを知事の役目とし、努力を傾けたい」と地元支援の考えを強調した。
協定文には建設省が「調査期間中に発生した調整困難な問題は、調査を中止して解決に当たる」ことが盛り込まれることになった。
7月14日の調印式を住民や関係者ら300人が見守った。
調印後、5地区を代表して萩原 昭朗横壁八ッ場ダム対策委員長(現水没関係後地区連合対策委員長)は「ダムの2文字は住民の日常にも影響、疲労も募った。行政はこの実情を踏まえ、事業に当たってほしい」と訴えた。
生活再建を含む事業が本格化する見通しが立った協定の締結。
新たな一歩も、ダム問題はすでに40年の歳月が経過していた。
用地補償調査協定
ダム建設事業に関わる「基本協定」と「用地補償調査協定」の2つ。
基本協定は今後の事業の進め方など包括的な内容で、長野原町と県、建設省の 3者で締結、調査の基本や方法を定めた用地補償調査協定は、建設省と水没地区住民が締結した。
---- 引用以上 ----
利根川・荒川水系地域対策基金ってのは、国土交通省土地・水資源局水資源部水源地域対策課管轄の財団法人。
・財団法人 利根川・荒川水源地域対策基金について(mlit.go.jp)
目的としては、以下のことが示されているが・・・。
---- 以下引用 ----
利根川水系及び荒川水系におけるダム等の建設に伴い必要となる水没関係住民の生活再建対策と水没関係地域(水源地域及びその周辺地域をいう。以下同じ。)の振興対策に必要な資金の貸付け、交付等の援助及び調査を行うことにより、当該ダム等の建設促進、水没関係住民の生活安定及び水没関係地域の発展に資すること並びに基金が既に援助を行っているダム等の建設が中止となった地域に最小限必要な資金の貸付け、交付等の援助を行うことにより、当該地域への影響を緩和すること。
---- 引用以上 ----
ちなみに、理事長の 志水 茂明氏は元建設省関東地方建設局長。
理事には、茨城・栃木・埼玉・千葉・東京・群馬一都五県の副知事が名を連ねている。
この時点でどういう団体かバレバレという・・・。
2009年12月14日追記:
今更になって、raijin.com でこの記事が全文公開されてることに気付いた俺(馬鹿)。
なんで、今後このシリーズを続ける場合、raijin.com からの引用っつーことでひとつ・・・。
後、過去記事の修正もやらんと(汗)。
おまけ:
第1回目~第11回目については以下を参照(手抜き)。
・上毛新聞の八ッ場ダムに関する連載記事に思ったこと(その11)(2009年12月7日 flagburner's blog(仮))
・上毛新聞の八ッ場ダムに関する連載記事に思ったこと(その10)(2009年11月29日 flagburner's blog(仮))
・上毛新聞の八ッ場ダムに関する連載記事に思ったこと(その9)(2009年11月27日 flagburner's blog(仮))
・上毛新聞の八ッ場ダムに関する連載記事に思ったこと(その8)(2009年11月25日 flagburner's blog(仮))
・上毛新聞の八ッ場ダムに関する連載記事に思ったこと(その7)(2009年11月20日 flagburner's blog(仮))
・上毛新聞の八ッ場ダムに関する連載記事に思ったこと(その6)(2009年11月18日 flagburner's blog(仮))
・上毛新聞の八ッ場ダムに関する連載記事に思ったこと(その5)(2009年11月15日 flagburner's blog(仮))
・上毛新聞の八ッ場ダムに関する連載記事に思ったこと(その4)(2009年11月11日 flagburner's blog(仮))
・上毛新聞の八ッ場ダムに関する連載記事に思ったこと(その3)(2009年11月10日 flagburner's blog(仮))
・上毛新聞の八ッ場ダムに関する連載記事に思ったこと(その2)(2009年11月7日 flagburner's blog(仮))
・上毛新聞の八ッ場ダムに関する連載記事に思ったこと(その1)(2009年11月5日 flagburner's blog(仮))
今回は、1985年5月~1985年12月・・・地元住民の生活再建案が群馬県議会で合意されるまでの記事になる。
・地補償調査協定 「再建」へ調印決断(2009年10月5日 raijin.com)
つーことで、2009年10月5日分上毛新聞『八ッ場の57年 苦悩の軌跡 12』を全文引用してみた。
ただし、一部表記を変更+強調を入れておく。
---- 以下引用 ----
用地補償調査協定
「再建」へ調印決断
2009年10月5日 上毛新聞
八ッ場ダム問題は、県と長野原町の建設合意から2年経った1992年7月、大きな節目を迎える。
水没5地区住民と建設省(現国土交通省)が現地補償調査協定を結んだ。
調査は、水没住民が持つ土地や家屋などの財産がどれくらいになるかを確定するためを選定するための立ち入り調査。
協定締結後は生活再建、ダム建設が実質的に具体化へ向かうため、住民の動向が注目された。
八ッ場ダムは86年に水源地域対策特別措置法に基づく国の指定ダムとなり、翌87年には利根川・荒川水系地域対策基金の基金対象ダムに指定された。
85年の建設合意後、建設省は県が示した生活再建案をたたき台に、現地再建の骨格作りに奔走。
用地補償調査協定に向けた話し合いは、90年6月に建設省が提示した地域居住計画を基に進められた。
しかし、水没家屋の数が多く、観光を主産業とする川原湯地区は地区内の調整が難航し、他の水没4地区との足並みがなかなか揃わなかった。
「補償調査は交渉の最後の砦では」・・・。
川原湯地区の住民は不安を抱え、地域居住計画に対して代替地の地形や取得面積など、現地再建を掲げる建設省の再建案に具体的な将来像がイメージできずにいた。
寝ず良い反対論、国への不信感が交渉の進展に暗い影を落とし、地元と建設省の溝が埋まらないまま、いたずらに時が流れた。
天気は92年、川原湯地区で「反対期成同盟」を名乗ってきたグループが名前を「対策期成同盟」に変え、6月8日に地区対策委員会が用地補償調査協定受け入れを確認する。
他の4地区がすでに協定に臨む体制を整え、川原湯地区内でも「協定のこれ以上の地帯は生活再建に望ましくない」といった意見に集約されつつあった。
期成同盟の委員長だった竹田 博栄さん(79)=中之条町=は「時代の流れの中で、一つの役割が終わったと思った」と振り返る。
水没住民と県との懇談会が開かれた6月30日、現地入りした小寺 弘之知事は「地域住民の不安と混乱に心からの同情を禁じえない。一日も早い安心と安定を目指すことを知事の役目とし、努力を傾けたい」と地元支援の考えを強調した。
協定文には建設省が「調査期間中に発生した調整困難な問題は、調査を中止して解決に当たる」ことが盛り込まれることになった。
7月14日の調印式を住民や関係者ら300人が見守った。
調印後、5地区を代表して萩原 昭朗横壁八ッ場ダム対策委員長(現水没関係後地区連合対策委員長)は「ダムの2文字は住民の日常にも影響、疲労も募った。行政はこの実情を踏まえ、事業に当たってほしい」と訴えた。
生活再建を含む事業が本格化する見通しが立った協定の締結。
新たな一歩も、ダム問題はすでに40年の歳月が経過していた。
用地補償調査協定
ダム建設事業に関わる「基本協定」と「用地補償調査協定」の2つ。
基本協定は今後の事業の進め方など包括的な内容で、長野原町と県、建設省の 3者で締結、調査の基本や方法を定めた用地補償調査協定は、建設省と水没地区住民が締結した。
---- 引用以上 ----
利根川・荒川水系地域対策基金ってのは、国土交通省土地・水資源局水資源部水源地域対策課管轄の財団法人。
・財団法人 利根川・荒川水源地域対策基金について(mlit.go.jp)
目的としては、以下のことが示されているが・・・。
---- 以下引用 ----
利根川水系及び荒川水系におけるダム等の建設に伴い必要となる水没関係住民の生活再建対策と水没関係地域(水源地域及びその周辺地域をいう。以下同じ。)の振興対策に必要な資金の貸付け、交付等の援助及び調査を行うことにより、当該ダム等の建設促進、水没関係住民の生活安定及び水没関係地域の発展に資すること並びに基金が既に援助を行っているダム等の建設が中止となった地域に最小限必要な資金の貸付け、交付等の援助を行うことにより、当該地域への影響を緩和すること。
---- 引用以上 ----
ちなみに、理事長の 志水 茂明氏は元建設省関東地方建設局長。
理事には、茨城・栃木・埼玉・千葉・東京・群馬一都五県の副知事が名を連ねている。
この時点でどういう団体かバレバレという・・・。
2009年12月14日追記:
今更になって、raijin.com でこの記事が全文公開されてることに気付いた俺(馬鹿)。
なんで、今後このシリーズを続ける場合、raijin.com からの引用っつーことでひとつ・・・。
後、過去記事の修正もやらんと(汗)。
おまけ:
第1回目~第11回目については以下を参照(手抜き)。
・上毛新聞の八ッ場ダムに関する連載記事に思ったこと(その11)(2009年12月7日 flagburner's blog(仮))
・上毛新聞の八ッ場ダムに関する連載記事に思ったこと(その10)(2009年11月29日 flagburner's blog(仮))
・上毛新聞の八ッ場ダムに関する連載記事に思ったこと(その9)(2009年11月27日 flagburner's blog(仮))
・上毛新聞の八ッ場ダムに関する連載記事に思ったこと(その8)(2009年11月25日 flagburner's blog(仮))
・上毛新聞の八ッ場ダムに関する連載記事に思ったこと(その7)(2009年11月20日 flagburner's blog(仮))
・上毛新聞の八ッ場ダムに関する連載記事に思ったこと(その6)(2009年11月18日 flagburner's blog(仮))
・上毛新聞の八ッ場ダムに関する連載記事に思ったこと(その5)(2009年11月15日 flagburner's blog(仮))
・上毛新聞の八ッ場ダムに関する連載記事に思ったこと(その4)(2009年11月11日 flagburner's blog(仮))
・上毛新聞の八ッ場ダムに関する連載記事に思ったこと(その3)(2009年11月10日 flagburner's blog(仮))
・上毛新聞の八ッ場ダムに関する連載記事に思ったこと(その2)(2009年11月7日 flagburner's blog(仮))
・上毛新聞の八ッ場ダムに関する連載記事に思ったこと(その1)(2009年11月5日 flagburner's blog(仮))