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上毛新聞の八ッ場ダムに関する連載記事に思ったこと(その1)

2009-11-05 20:31:15 | 八ッ場ダム騒動
この数ヶ月で、八ッ場ダム建設騒動については色んな言説が流通してきた。
「中止は住民のためにならない」とか、「首都圏の水確保に必要だ」とか、「中止したほうが安くつく」とか・・・。

しかし、忘れられてる言説の1つには「過去に何が八ッ場ダム建設騒動で起きたのか」ってのがある(と思う)。
そんな中、2009年9月23日から22回に渡って上毛新聞で連載された『八ッ場の57年 苦悩の軌跡』は、それを埋める意味では何気に重要な記事だと思った俺。
ただ、この連載記事を読んでいて「何かが足りない」という違和感をぬぐえなかったのは事実だが・・・。
・計画半ば 怒り再び 先人の思い継ぎ完成を(2009年9月23日 raijin.com)

つーことで、2009年9月23日分上毛新聞『八ッ場の57年 苦悩の軌跡 1』を全文引用してみた。
ただし、一部表記を変更+強調を入れておく。

---- 以下引用 ----

長野原町で国が進める八ッ場ダム建設事業の本体工事について、前原 誠司国土交通相が中止を表明した。
激しい反対闘争の末、やむを得ずダムを受け入れてきた水没予定地の住民たち。
「地元に相談せずに決めるのはおかしい」「これからの生活はどうなる」と態度を硬化させた。
これまでの苦悩と犠牲は何だったのか―。
計画浮上から57年、ダムに翻弄されてきた住民の歴史を振り返る。


計画半ば 怒り再び
先人の思い継ぎ完成を

2009年9月23日 上毛新聞


「下流住民のために断腸の思いで判を押した先人の思いを(考えれば)、ここで止めるわけには行かない」

今月10日に発足した八ッ場ダム推進吾妻住民協議会の席上、川原湯温泉観光協会の樋田 昭三会長は涙ながらに訴えた、
地域住民の他、吾妻郡内7町村の首長や住民、地元県議ら約300人が参加。
中止された場合「あらゆる闘争をする」と宣言した。

半世紀前、同じ長野原町の地元住民は、今回の建設推進とは全く逆の、古里を水没から守るための反対運動を繰り広げた。

ダム計画が持ち上がったのは1952年。
47年に関東を襲ったカスリーン台風がきっかけだった。
当初、地域を挙げて激しい闘争が行われた。
だが、次第に反対派、条件付賛成派、中立派などに分裂。
仲の良かった近所や親戚が口を聞かなくなったこともあるほどだったという。

住民達は、立場や考えの違いによる人間関係の悪化に苦しみ、先の見えない闘いに疲弊していった。

県の生活再建案提示などを経て、反対運動は下火に。
92年に国と「用地補償調査に関する協定書」を締結し、ダム建設を前提とした生活再建に一歩を踏み出した。
2001年に補償基準が決まると、町外などへの住民の移転が始まった。

代替地や道路の整備などで、昨年度末までに総事業費約 4600億円のうち、約7割を支出、今年5月には湖面3号橋が結合するなど関連工事が進んでいる。
水没地区340世帯のうち、約260世帯が町内外に移転。
現在、2015年度の完成を目指し、予定地周辺は大型トラックが激しく往来している。

そうした中での前原国交相の中止表明。
地元住民には衝撃が走り、23日に現地入りする前原国交相との意見交換会は、「中止前提では参加できない」と反発、欠席を決めた。
川原湯地区の樋田 純一郎(82)さんは半世紀を振り返り、「やっと落ち着けると思ったのに。ダムの事で、また頭を悩ますのはたくさんだ」と深いため息をつく。

複雑な糸が絡み合う、住民の苦難の歴史をひもとく。


八ッ場ダム事業の経緯

1952年5月:旧建設省が長野原町に八ッ場ダム調査を通知
1953年2月:ダム建設反対で住民大会
1967年11月:同省が八ッ場ダム調査出張所を開設
1980年11月:県が長野原町に生活再建案を提示
1985年11月:長野原町と県が生活再建案について包括的合意
1992年7月:長野原町と県、旧建設省がダム建設事業の基本協定、同ダム工事事務所と水没5地区代表が用地補償調査に関する協定をそれぞれ締結
1999年6月:八ッ場ダム水没関係5地区連合補償交渉委員会を設置
2001年6月:国交省と水没5地区連合交渉委が用地買収価格などの補償基準に調印
2004年9月:事業費が倍増となる基本計画(第2回変更)告示
2007年6月:移転代替地分譲手続き開始
2008年9月:工期を2015年度に変更する基本計画(第3回変更)告示
2009年9月:前原 誠司国交相が本体工事の中止表明

---- 引用以上 ----

ま、1回目なだけに、これからの展開に・・・って所か。
しかし、改めて八ッ場ダム事業の経緯を踏まえると、事業の進め方にどこか問題があるような気がしてならないんだよな。
とりわけ、計画が持ち上がってからの約40年については、余りにも余計な時間を使ったと言わざるを得ない。
この辺りについては、この連載記事でも少し取り上げられてるけどさ。


・・・つーわけで突然始まってしまったこの更新。
果たして、この連載モノの転載を(goo ブログから削除されることなく)いつ終わらせることができるのか?
色んな意味で不安になってきた(汗)。


2009年12月14日追記:
raijin.com でもこいつが公開されてたので、そっちの記事から引用するという形に変更した。
将来、raijin.com からこいつが削除されたらそのときは・・・どうすんべ(汗)


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