偶然行き当たった千葉神社。早速参拝します。
話は千葉神社からちょっと離れます。
江戸という町はかなり陰陽道的に設計されていて、神社仏閣の配置などを鳥瞰するとそこにあからさまな意図を感じることができます。
たとえば、江戸城から北上すると日光東照宮に突き当たり、その東照宮陽明門とその前の鳥居を結んだ上空に北極星が来るように設計されています。
「事実、日光東照宮の社殿の配置を見ると、陽明門、唐門、本殿が江戸城を向いて建ち、その真後ろに北極星を望むことができる。すなわち日光東照宮を拝礼することは、北極星を拝礼することに通じているのである」(宮元健次「江戸の陰陽師」)
北方を守護する妙見はやがて北極星、北斗七星と同一視され、毘沙門天と習合することで武門の神として信仰されるようになりました。とくに関東の平家に広く祀られ、群馬から秩父、相馬、上総などへ信仰が広がっていきました。わたしたちに馴染みの深い妙見信仰の持ち主としては平将門公や江戸時代坂本龍馬が通った千葉道場の千葉氏(北辰一刀流)、あるいは葛飾北斎(北斎という名そのもの)などが挙げられます。
最近、いろんな妙見社を見ていて、その社殿の後戸に気づくようになりました。後戸の神と言えば、そう摩多羅神です。
「翁・秦河勝・大避大明神・摩多羅神の根底にある観念は「宿神」である」(水城正人「宿神思想と被差別」)
「多くの専門家たちを驚かせたのは、そこ(金春禅竹「明宿集」)に「翁」が宿神であり、宿神とは天体の中心である北極星であり、宇宙の根源である「隠された王」であるという主張が、はっきりと書きつけられていたことである」(中沢新一「精霊の王」)
事実、摩多羅神の図像には北斗七星が描かれている。
翁=宿神=摩多羅神=北極星=妙見へと連なる古層の信仰の流れをそこに見ることができるわけです。宿神は縄文時代の信仰を色濃く残していた諏訪において、美称をつけてミシャグチ、ミシャクジさまと呼ばれていました。その別称は、石神井、象頭、石神などなど、さまざまです。
千葉神社摂社。左が石神、右が星神。
星の神、石の神として古層の豊かな信仰を摩多羅神や妙見さんは今に伝えているのではないか、と思います。