毎日が観光

カメラを持って街を歩けば、自分の街だって観光旅行。毎日が観光です。

谷田川の岸辺で

2010年02月28日 23時11分27秒 | 観光

 頭の中で、需要曲線と供給曲線のグラフがめぐる。どれほどの需要があるのか、すごく興味深い。
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恵比寿

2010年02月26日 21時07分20秒 | 観光
 リニューアル工事をしていた恵比寿の麦酒記念館が、2月25日再オープン。さっそくビールを楽しみに。






 おつまみが販売されたり、ツアーが催されるようになったり、いろいろな楽しみ方ができるようになった。


 帰りは渋谷川沿いを散歩。
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弦巻川 寄り道 鬼子母神

2010年02月25日 20時14分04秒 | 観光

 鬼子母神本殿。本来の鬼子母神の「鬼」の字は上の点がない。改心した訶梨帝母の頭にはすでに角はない、ということらしい。



 本殿裏側。こちらがわに妙見菩薩が祀られている。
 池上本門寺のように妙見堂が別にあるところもあるが、秩父神社や少林山達磨寺など、このように本殿裏側に安置されている例も多い。
 妙見さんは北極星を神格化したもので、関東の平氏に信仰されていた。有名なところでは平将門公、秩父平氏、千葉氏などなど。北辰ともいい、龍馬も学んだ千葉道場の北辰一刀流はこれに由来する。葛飾北斎は号を何度も変えたことで知られるけれど、その内「北斎」「辰政」「辰斎」「戴斗」「雷震」はみな妙見信仰由来の号。
 妙見=北極星は宿神であると、金春禅竹『明宿集』に記されているけれど、このあたりの結び付きは興味深い。



 拝殿にあった紋。おや、星が六つ。これじゃ梅鉢みたい。池上本門寺などに見られるようにたいていは北斗七星を紋章化した七星紋。将門公の紋のように、七星に月・日を加えた九星紋もあるけれど、ここは六星紋。なぜだろう。



 吊るされていた絵馬は七星紋。うーん、不思議だ。
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弦巻川3

2010年02月24日 19時18分28秒 | 観光

 明治通りを横断して、雑司が谷へ入っていきます。この川沿いの道は学校が多くて不思議。自由学園に始まって、東京音楽大学、日本女子大学、筑波大学附属盲学校、東京音楽大学高校・中学、などなど、他にも地元の小学校や中学校もいくつか。



 川筋はこの左側の道。右の道の奥に鬼子母神があります。
 ちょっと鬼子母神に寄り道してみます。



 鬼子母神境内にある上川口屋さん。都内最古の駄菓子屋さんと言われています。じゃ、日本最古はどこだ? 
 今やっているおばあさんで13代目。創業は1781年。たいてい、代替わりすると若返るんだろうけれど、たぶん14代目もデフォルトでおばあさんなんだろう、と。
 次回は鬼子母神をもうちょっとお散歩してみましょう。
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弦巻川2

2010年02月23日 20時04分04秒 | 観光
 川筋は山手線に断ち切られ、メトロポリタン駐車場を迂回。


 山手線の壁面にはいろはかるたの絵があり、「そ」はこの近くで弦巻川を渡していた「卒塔婆橋」。弦巻川や鬼子母神、護国寺などもしっかり描かれている。卒塔婆橋の下にある鎌倉橋は鎌倉街道がこの川を横切っていたところ。



 見るからに暗渠三角州。どう見ても川筋は左側。この左の道が大変風情のある楽しい道。





 道の左右を見回すとこんな感じ。
 暗渠を歩くことは、もちろん空間を移動することなんだけれど、それとともに時間をさかのぼっているような気がする。
 子どもの頃近所にあった風景、空気、そういうものに出会える旅。


 明治通りに出ます。向こう側に同じような小道がある。これが川筋なんだろう。明治通りを渡り、雑司が谷へ。
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銀河系唯一の山手線踏切

2010年02月22日 21時40分05秒 | 観光


 山手線、唯一残った踏切がここ。
 場所は駒込と田端の間。
 でも、ここはテツ的には面白いところ。山手線の内側を走ってる貨物線が、いつまでも山手線と一緒に走ってたら、ただ回るだけだから、意を決してここから北へ。でも、内側の線路だから山手線を越えないと北へはいけない。今まで育ててくれてありがとう、と山手線をいわば踏み台にして、貨物線は北へ伸びてゆく。山手線はそれを教会の窓から眺めてる(それ、違う。なんだっけ、あの映画)。
 貨物線はようやく山手線を越えたと思ったら、「なんだ、てめえ」みたいな感じで京浜東北線ににらまれ、それも越えなければならないハードルに直面する。
 貨物線に乗ると、もうこのあたりはドキドキ、手に汗を握ってしまうのだ。
 きついカーブで車輪と線路が音をたてる中、トンネルに突入、このトンネルで他の路線を越えていく。トンネルの上はこんなとこ
 え、貨物線になんか乗れるのか? 乗れるんです。一番簡単に貨物線に乗るなら湘南新宿ライン。池袋から赤羽を経て大宮へ行く道筋は同じなのに、埼京線と湘南新宿ラインは全然違うルート。埼京線は独自のルートで板橋から北上して行くのだけれど、湘南新宿ラインは貨物線を走って、池袋から大塚、巣鴨、駒込を通過してこの踏切先で北ルートをとる。踏切の向こうが橋になってるでしょ。
 あそこに貨物線が通ってる。赤羽から帰るとき、ちょっと待っても埼京線ではなく、湘南新宿ラインで帰る。あそこのドライブ感がすてきだから。
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臨死体験

2010年02月20日 20時44分53秒 | らくがき
 久しぶりに自転車で遠出をしようと、そうだ、秩父へ行って、帰りはのんびりレッドアローに乗って帰ろう、そんな思惑で出かけた今回のサイクリング。
 死ぬかと思いました。雨が降ってきて、お腹がすいて、寒くて、眠くなって、携帯が圏外の中ふらふらで自転車で山を登っているなどというマイルドな遭難なら経験済みですが、今回のは、結構走馬灯でした。
 道の両端に雪が積もってるなあ、などとのんきなことを考えながら登っていたら、上に行くに連れ次第にその雪が両端だけじゃなくて、道の中央部にまでせり出し、その横が凍結し始めてきたんですわ。うわ、滑りそうで怖いな、と思ったら、ぼくじゃなくて、上から降りて来た車が滑ってるの。カーブを曲がってあきらかに対向のぼくに向かって斜めに来てるの。もちろん、向こうも殺してやろうと思ってやってるわけじゃないから、走ってはいないんだけど、ずりずり滑って来るの、まっすぐにぼくに向かって。
 逃げようにも左は崖。崖と車、どっちを選ぶみたいな局面で、時間はそう大した長さじゃなかったんだろうけれど、おいおいおいおいおいおいおい、と、やだやだやだやだやだやだ、と。
 ま、結局、かなりギリギリで止まって事なきを得たんだけれど、勾配の急な凍結した山道は危ない、ということをお互い知りました。向こうの運転手さんも真っ青になって、何度も謝ってたんだけれど、怖い思いはたぶんお互い。向こうも怖かったろうなあ。崖に転落するかもしれない、しかもそこには自転車がいるって。
 今回は自分ではどうすることもできないので、本当に怖かった。


 白石峠頂上。馬鹿みたい。ロードバイクで来るとこじゃないって。



 秩父へ降りる方の道。瞬間的に諦めました。まだ、今登ってきた道の方が多少はいいもの。こっちは絶対無理だもの。こんな路面状況の急勾配を6km以上ロードバイクで下るって曲芸だもの。雪全部凍ってんだもん。
 120km走ってレッドアローでのんびりの予定が、125km走って越生から坂戸乗り換え東武線。
 それにしても寒うございました。
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弦巻川1

2010年02月19日 20時19分32秒 | 観光

 池袋メトロポリタンホテルに隣接している「池袋地名ゆかりの池」碑。
 池はすでに干上がり、見る陰もない。さまざまなふくろうのオブジェが置いてあり、それぞれの種類の説明もある。もう、いいや。初めて東口で「いけふくろう」を見たときは、自分でも予想外の脱力をしたものだけれど、この路線で突っ走っていくなら、もう何も言わない。お母さん、何も言わない。けどね、あんた、いつか自分のやってることが結構恥ずかしいって気づいてもその時には手遅れなんだからね、となぜか池袋でお母さんモード炸裂のわたくし。



 メトロポリタンホテルの前を横断して、川筋を辿る。それらしいものがいくつかあるんだけれど、結果(つまり確定してる場所からたどって)から見ると川筋が見えてくる。そのために何度も何度も往復したりして、写真がわからなくなる一因ともなった、と言い訳を添えておきたいと思います。



 川筋近くにある自由学園明日館。フランク・ロイド・ライト設計。
 中にも入れるので、時間に余裕のある人は見学してみるといいでしょう。前に一度入ったことがあるんだけれど、なかなか楽しいところでありました。



 通称ケヤキハウス。家が凹んでる。なかなかのヴィジュアル。



 たぶん、支流にあたるのではないか、と思われる車両通行止め。
 この弦巻川はとにかく支流筋の雰囲気のいいとこが満載。

 このあたりで山手線に行く手を阻まれる。西武線は頭上を通ってくれるのだけれど、山手線は意固地にだめだ、と。ヨネクラボクシングジムんとこからエレベーターに乗って上に上がるか、メトロポリタン駐車場を迂回して川筋に戻ろう。
 さて次回は、「山手線を超えて明治通りまで」「銀河系唯一の山手線踏切」「Hiroshima1958」の3本立てです。んがちょちょ。
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センチメンタル・ジャーニー

2010年02月18日 21時08分52秒 | 観光
 早速前回の予告を踏みにじってるわけですが、いや、すみません、これには深い訳が。ブログ用に写真を64枚アップしたんですが、どれがどれだか全然わかんなくなってしまいました。
 そんなわけで、もうすっかりしょんぼりです。そんな心を癒すために、旅に出ました。そうです、センチメンタル・ジャーニーです。そう聴いて「伊代はまだ16だから」と歌いだす人と「Gonna take a sentimental journey」と歌いだす人、人類はこの2つに分類できます。いいえ、できます、できますとも。できないでか。
 130円きっぷを手にして、関東半周旅行です。
 JRには近郊区という制度があります。AからBまで行くのに、この区内の駅ならどんな経路をとっても(路線が重複しなければ)最小距離で計算する制度(その代わり、この区内は下車前途無効、途中で駅から出られません。次の電車を30分待つ間、駅の外のラーメン屋さんに行くとかできません)。
 本気でやると900kmを超える旅ができます。でも、ま、そこまでの根性はない(それに一番長い大回りは正月の終夜運行時にしかできない)わたしは、軽い大回り、中回りって感じか。東京、埼玉、群馬、栃木、茨城、千葉の一都五県。
 大塚から山手線に乗車。
 新宿で降りて、中央線快速、立川で降ります。
 立川で青梅線、拝島着。
 ここまではいいんだけれど、これからは結構厳しい。ダイヤがスカスカになってくるので、待ち時間が多くなるんです。しかも、待ってる間も駅から外には出られない。
 拝島で20分待って、八高線で高麗川へ。
 高麗川からも同じ八高線なのに、乗り換え。なぜなら、同じ八高線でも、高麗川までは電車、高麗川以北には架線が引いてないので気動車になるから。


 キハ112。
 高麗川から約1時間半。高崎着。すでに1冊目の読書終了。
 どんどん行きます。高崎から両毛線に乗って、群馬から栃木へぐるっと、小山着。小山から水戸線で茨城県の友部へ。友部のNEWDAYSでビール、つまみなどを買い、がらがらのグリーン車で一人酒盛り。常磐線の終点上野で降りて巣鴨に行くと、上野~日暮里間が重複してしまうので、日暮里で降りて巣鴨へ。
 自動改札は閉まるので、駅員さんのいる改札で、「大回りです」と130円きっぷを差し出す。「どうもありがとうございました」という駅員の声に一抹の罪悪感を感じてしまいながら、北関東のしんみりした冬の風情を楽しみつつ、2冊読み終わった充実感で幸せな気持ちで帰宅。
 大塚・巣鴨間は普通に行けば1.1km。今回ぼくが乗ったのは、371.5km。
 次回はもうちょっと本気の大回りにチャレンジ。とりあえず、写真をなんとかしないと。
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街角写真 中野

2010年02月18日 01時45分35秒 | 観光
 高校の一時期、中野の予備校に通っていた時期があった。
 フシギな中野ブロードウェイ。
 今訪れると、もっとフシギな感じになっていたけれど、その反面、なぜか納得するような部分もあり、現代日本文化って奥浅いけど、触手の枝分かれがすごい気がする。





















 さあ、次回からは、たぶん長編、弦巻川。写真総数64枚。時々、ほかの記事もはさみながら(だって、1回6枚写真使っても11回かかるし)、蜿蜒(こういう字もあるんだよ、「えんえん」って。吉野裕子さんの本で知りました。ぼくもついこないだまで知りませんでした)続けようか、と。
 そんな感じで第一回、「ツィッターは、もう間違いなく面白い」を次回お送りいたします(って、おい、のっけから主題違ってないか?)。ある時は、ブコウスキーの小説の話で盛り上がり、ある時はアイルランド対フランスのラグビーで盛り上がり、矢野顕子の「ソングライターズ」で盛り上がり、初対面以下(だって会ったこと一度もないんだもん)の人たちと、こんなにも楽しい時間を過ごせるのか、フシギな感じ。
 作家の奥泉光さんが対談の日時を間違えて悲しく護国寺を眺めてるとつぶやいていたり、日垣隆さんと豊崎由美とが喧嘩をしていたり、そしてその喧嘩をはらはらしながら見つめていたり、もうとにかくツイッターは面白い。
 って、あら、おおむね第一回の内容はここに書いてしまったので、次回は弦巻川暗渠本編です。池袋から攻めるか、神田川から攻めるか、頭の中で企画会議が不毛な感じで繰り広げられています(実際は、もう両方から攻め終わっているのだけれど)。ウィンウィンですよ、とか企画会議で言いそうな、その反面心黒そうな人とかと会議してみたいなあ、と思ったりも。

 あ、ツィッターでのぼくのアカウントはaquira64です。もしよろしかったらフォローして下さい。もれなくフォロー仕返しちゃいます。
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街角写真 高円寺

2010年02月17日 20時41分30秒 | 写真
 妙正寺川近辺の暗渠が豊富な高円寺。今日、明日と高円寺、中野の写真を。



















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サンシャイン60通り

2010年02月16日 17時48分20秒 | 観光


 サンシャイン60通り。
 言ってみれば、ここは現代の暗渠。
 この下には川ではなく、地下鉄丸ノ内線が走っている。丸ノ内線はごく一部を除いて開削工法で作られたもので、その工法だと多くの場合、もともと道路があったところを掘ることが多いのだけれど、ここは違う。何もなかったこの部分を川のように掘り進め、線路などを施設後、蓋をして道路にした場所なのだ。
 川の代わりに鉄道が敷かれ、水の代わりに電車が通る。
 その上の道路は、池袋でもっとも繁華な通りとなった。
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荒川

2010年02月15日 14時50分33秒 | 写真
 12月から2月中旬までの2ヶ月半、たぶん200kmにも満たない走行距離。ええ、そうです、太りました、運動しないのに食生活は変らないわけで、これで太らないようなら逆に消化器系の病気など心配です。
 日曜日は、久しぶりに荒川サイクリングロードへ。


 赤紙仁王通り、と通りの名前にもなっている仁王さん。谷田川暗渠より一本田端駅寄りに鎮座まします。あたりはかなり大規模な再開発の真っ最中。仁王さんのお堂も新築され、一時どこかに保存されていたのが、最近また復活。
 こんにちは、と心の中で挨拶して自転車こぎます。

 荒川に着くと、なんと南風。寒さは続くけれど、春は少しずつ近づいているのだなあ、などとのんきに考えるところがわたしの甘さ。いつもの北行だと帰りが向かい風になるので、葛西臨海公園への南行を選択。
 走り出してしばらくして、自分の甘さを悟ります。寒い。耳ちぎれる。冷たい風はただでさえ体温を奪うのに、その風に向かって走るんだもの、寒いよ、そりゃ。鼻がもげそう。そのうち、涙は出るわ、鼻水は出るわ、頭痛がするほど頭が冷える。



 下流に来たのは、すごく久しぶりなんだけれど、いつの間にか橋という橋の下に名前がペイントされていた。なんかいらないよねえ。濡れると滑りそうだし。とくに尾久橋近くの「日暮里舎人ライナー」は長いよ、ペイント。このペイントやる予算で、頼むから笹目橋のタコツボんとこ舗装して欲しい。
 もうどうにもこうにも寒くて、葛西臨海公園に着いたら何もせずにトンボ帰り。今日の走行距離約60km。
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経済の誕生

2010年02月10日 18時41分07秒 | 読書
栗本慎一郎/小松和彦「経済の誕生」     工作舎

 なぜ人はパンツをはくのか。
 それは脱がすため、あるいは脱ぐためだ。かつて「パンツをはいたサル」で一世を風靡したクリシン(そんな風には呼ばれてなかったけど)こと栗本慎一郎と当時気鋭の若手民俗学者小松和彦との対談。クリシン、はしゃぎ気味、30年近く前の出版。
 禁忌と侵犯。
 パンツに限らず、日本に限らず、およそ人類はこのテーマを繰り返し繰り返し語ってきた。多くの場合、それは「見ること」のタブーだ。火の神を生んで局所を火傷して亡くなった伊邪那美命を追って黄泉の国を訪れた伊邪那岐命。エウリディーチェを失って冥界を訪ねたオルフェウス。メドゥーサ、ゴモラ、さまざまなタブーがあり、人類はそのたびにそのタブーを犯してきた。
 鶴の恩返しだって、浦島太郎だって、倭迹迹日百襲姫尊命だって、見ちゃ後悔している。
 もはや、すでに「見るな」は前フリでしかない。「開けちゃだめ」って言いながらモノを渡す乙姫さんの心の中に黒いものが見える。わざと禁止を犯させるために言ってるだろ、それ。
 パンツは、つまり「開けちゃだめ」という前フリであり、そしてその後の「見ちゃう・開けちゃう」ことはすでに織り込み済みの行為なのだ。
 集団を規定できるのは、その集団に対してメタレベルから禁忌を与える異界である(とか、ちょっと言ってみたかっただけ)。そしてわれわれの集団は、その禁忌と侵犯を繰り返すことによって、集団を活性化し、かつ安定化させている。
 経済学は資産運用とか、企業情報とかとは本来質が異なるものだ。ここで言われる「経済」はクリシンのこのような発言によって垣間見られる。

 「死のしるしに接触することによって共同体が燃え上がる。死のしるしとは他界であり、燃え上がるというわけだから、燃え上がらせるもの、生存させるものこそ、広義の経済学、本当の経済学の富なんですよ」

 今でも古い議論ではない。
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三原橋地下街

2010年02月09日 17時51分13秒 | 観光
 昔、歌舞伎の好きな女の子と付き合ったことがあった。当時のぼくはそれほど歌舞伎に興味はなかったのだけれど、彼女に連れられて歌舞伎座に通い次第にその楽しさに目覚めてきた。
 ぼくたちは最寄の東銀座で待ち合わせするよりも、銀座で待ち合わせをして、歌舞伎座までぶらぶら歩くことを好んだ。
 銀座から歌舞伎座まで一直線の道で別に不思議なところはなかったんだけれど、一箇所だけ少し雰囲気の違う場所があった。道路が不思議に盛り上がっている気がする。
 あの当時、今の知識があったら、ぼくは彼女に「ここはね」とご披露申し上げたのに、そこにある女性の下着屋に「一緒に入ろうよ」「入れるわけがないだろう」と押し問答して通り過ぎるばかりだった。今回行ってみたらまだ同じ店があって、日々流転する東京の中でも変らないものがあるものだなあ、と少し遠い目をしてしまった。
 あだしごとはさておきつ。

 さて、そのちょっとなんだか雰囲気の違う場所がここ。

 そこだけ長屋に4、5軒妙な感じに店が並んでる。よく見ると真ん中がふくらんでいる。
 実はここ、橋だったのである。この建物が橋の欄干部分にあたっている。かつてここには三十三間堀が流れていたが、今はない。暗渠の好きなぼくだけれど、ここは暗渠でもない。戦災で大量に出た瓦礫を処理するために埋め立てられてしまったのだ。



 普通、川を埋め立てる場合、橋を撤去してから作業した方がどう考えてもたやすい。事実、三十三間堀にかかる橋はここ以外すべて撤去されている。実は当時この橋には都電が走っており、撤去したくても撤去できなかったのだ。
 そこで埋め立てた場所と橋の下の部分に地下街が誕生した。



 現在の地下街。
 この通路が川筋にあたるわけだ。
 ここにはまだ昭和の時間が流れている。



 真ん中の「シネパトス」看板の上にゆるやかな勾配を描く鉄骨が見えるだろうか。そう、これ、残された橋桁なのだ。どれぐらい古いものか、想像がつきます? この橋が完成した当時、この橋桁の上を歩いた60歳以上の人間が生まれたのは、江戸時代。
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