毎日が観光

カメラを持って街を歩けば、自分の街だって観光旅行。毎日が観光です。

恐怖音楽

2007年09月26日 13時23分55秒 | 音楽


 はははは。
 企画の勝利だな、これ。
 楳図かずおのジャケ絵買いだったのだけれど、聴いてみてもなかなか面白い。
 多くの曲はわれわれがクラシック音楽を聴く際に想像する響きや調和とかけ離れている。突発的な合唱、朗詠風の歌唱、あるいはトーンクラスターを使用したものなど。
 そんな中、4曲目のシューベルト「魔王」から9曲目のファリャ「恋は魔術師」までの6曲、これはもうスタンダードで怖いというイメージはない。メジャーどころも入れなきゃという配慮なのかもしれないが、いらなかったと思う(デュトワ指揮モンレアルso.によるファリャの演奏は素晴らしいが)。
 多くの曲が人の声入りなのは、やはり人間にとって怖いのは人間なのだ、ということを表しているように思う。
 最後2曲は映画から。
 まずリゲティの「アトモスフェール」。
 キューブリックはリゲティがお気に入りだったようで、たびたび彼の曲を用いている。「2001年宇宙の旅」では4曲も使うほど。どうもあの映画の音楽っていうと、R.シュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語りき」やJ.シュトラウスの「美しき青きドナウ」などが有名だけれど、リゲティの音楽も結構重要なポイントに使われている。この「アトモスフェール」もいいんだけれど、モノリス発見時に流れる「レクイエム」もいいな。
 最後の曲はジェリー・ゴールドスミスの「オーメン」。
 ある一時期、6月6日生まれの人間のあだ名を日本中ダミアンに統一した恐るべき映画。
 ジェリー・ゴールドスミスの音楽って、パピヨンなど結構好き。
 ファイナル・ファンタジーなどのゲーム音楽にも影響を与えていると思う。
 と、CD全編聴き通して面白かったこと。
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江戸川サイクリングロード 渡良瀬への道

2007年09月25日 14時03分53秒 | 観光
 江戸川のポニーたちは大丈夫だっただろうか。
 というわけで国道14号線を東進、隅田川、旧中川、荒川、中川を越え、新中川へ。江戸川と新中川がつながっているのはもっと南なのに、何を狂ったか北上、気づいて引き返して5,6キロのロス。
 ようやく辿りついた江戸川。旧江戸川と江戸川が分岐するところにポニーランドがある。


 おお、無事だ、無事だ。
 しばらく無事を喜んで眺めていたら、馬車にのりませんか? と係の人が声をかけてくれる。ポニーともどもフレンドリー。しかし、レーサージャージにレーパンはいて馬車もなかろう、と遠慮させてもらう。


 途中三郷で昼食休憩をはさみ、ひたすら北上。
 約60キロ走ると関宿到着。地名で言うと千葉県野田市になるらしい。
 外にもアイスの自販機があるのだけれど、売店兼休憩所で食べる。涼しさがごちそうだ。ぼーっと地図を眺めながら、アイスを食べていたら売店のおじさんに話しかけられる。ここんとこ思うのだけれど、知らない人に話しかけられることがものすごく多いような気がする。こないだはTSUTAYAで80過ぎとおっしゃるお婆ちゃんに話しかけられて、家に来ないか、と言われた。久しぶりに映画の話ができて嬉しかったらしい。ナンパ、か?
 おじさんから、幸手の桜並木や今日これから行く予定の渡良瀬遊水池について話を聞く。人の話は聞くもんである。


 関宿から利根川に入り、利根川サイクリングロードに入ったのだが、途中でとぎれている。仕方なく利根川を渡ると、茨城県に入った。ここからぼくは遊水池を探して、道に迷うことになる。なんでかね。必ず道に迷うのは。人生のメタファですか? 不惑過ぎても迷いっぱなしっす。


 しかし、渡良瀬遊水池着。
 家を出てから104キロ。
 今回の勝利は方位磁石を持参したことによる。いやあ、磁石って便利だ。方角わかるんだから(当たり前だ)。


 渡良瀬遊水池第一調節池谷中湖。
 ややこしいのだが、この谷中湖は第一調節池と同義ではなく、第一調節池に含まれる要素である。
 臭いものに蓋をしろ、と明治政府は谷中村を廃村にし、水に沈めた。
 谷中村の村民は鉱毒による免租で公民権を失い、選挙権がなく、別の地域の鈴木豊三が村長となって村をつぶすことに協力した。
 岡田茉莉子演じる伊藤野枝が、細川俊之演じる大杉栄にこの不正を訴える。「エロス+虐殺」のそんなシーンを思い出していた。あそこの大杉栄は恰好よかった。あれなら、妻、愛人とありながら、伊藤野枝まで巻き込んで三角関係ならぬ四角関係の泥沼を演じた挙げ句、日陰茶屋で愛人に刺されたりするのも、納得がいく。
 渡良瀬川の堤防を崩して村に洪水を起こさせたり、秘密会で村全体の買収を企てたり、村に残るだけで逮捕すると脅したり、選挙権のないことをいいことに藤岡町に合併させ、鈴木豊三がそれを認めたり、明治の国や県の行ったいやがらせや恐喝は目に余るものがある。


 いろんな思いを水の下に沈め、谷中村役場跡はその水を静かに見下ろしている。
 今でもここの土壌は銅に汚染されている。
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渡良瀬遊水池

2007年09月21日 23時49分34秒 | 観光


 「エロス+虐殺」を思いつつ、ペダル踏み踏み、渡良瀬遊水池へ。
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小石川植物園の曼珠沙華

2007年09月20日 16時04分11秒 | 写真
 こないだ曼珠沙華を撮影したのは、残念ながら携帯電話。
 ううん、痛恨の一撃。
 コンパクトデジカメを自転車のバッグに入れ忘れてしまったのだ(と思っていたのだが、帰ってみたら思ってもみなかったバッグのポケットから出てきた)。
 そんなわけで今日は復讐戦。近所の小石川植物園までα-7D担いで、ぶらぶら歩いていきました。


 小石川植物園は小学生の頃、毎年遠足で来ていたところ。6年生が1年生と手を繋いで学校から歩いてくるのだ。
 色的に似た感じの服装をして、なかなかいいカメラを構えた女性の方々が一生懸命写真を撮っている。カメラを花の前に置いたまま、ずっとおしゃべり。お願いです、撮らないなら、ちょっと場所譲って下さい、と口に出せないまま、植物園を一周して彼女たちが去るのを待ったりする。





 白い曼珠沙華もありました。

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復旧 荒川上流

2007年09月19日 16時43分04秒 | 観光
 今日は久しぶりに荒川上流へ100kmサイクリング。
 100kmって言っても輪行なら群馬あたりまで繰り出さないと100kmに届かないけれど、今日は往復するつもりなので、50km走れば自然と100km走ることになる。
 明日からまた猛暑がぶりかえすなんて言われているけれど、土手にはもう秋の気配がそこかしこに。


 コスモスとならんで、走っているぼくたちの目を楽しませてくれる。
 もうそろそろ巾着田の曼珠沙華が見頃になるんじゃないかな。来週末でも晴れたら是非行きたいもんである(が、混んでるだろうなあ)。


 ラピュタ的なものを発見。
 「親方、空から女の子がっ!」などと走りながらつぶやいてみる。


 50km地点手前のホンダエアポート。
 飛行船の離着陸って、もしかしたら初めて見るかもしれない。空に浮かんでいるときは優雅なものだが、意外にモーター音がする。見なれない光景って特異な雰囲気を持っていて楽しい。


 帰りはいつもの右岸ではなく、秋が瀬から左岸。彩湖に寄る。
 こないだは被害も出ただろうが、今は穏やかな湖面が美しいのだ。
 野球やサッカーなどのグランドやゴルフ場はまだ使えないところもあるみたいだけれど、サイクリングロードに関して言えば、ほぼ復旧したと言える。ゴミを拾っていた係の人がいたので、思わずクリートを外して敬意を表する(って、馬の鐙じゃないんだけれどさ)。
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妻沼歓喜のいなり寿司

2007年09月16日 23時02分31秒 | 観光
 情報を集めてみると、どうやら荒川上流はまだ走れる状況ではないらしい。
 MTBなら、とか、捨ててもいいママチャリなら、とか、すべてのマイナスをプラスに置き換えられる究極のプラス指向の人なら、とか。ぼくはMTBを持っていないし、ママチャリで荒川まで行くのはイヤだし、確かにどちらかと言えばプラス指向だけれど、すべての事象をすべてプラスに置き換えられるほどの度量があるわけでもない。
 そんなわけでここんとこ何日かは鹿浜橋で愛する荒川と別れ、芝川、見沼代用水を北上し、2日続けて利根川まで走っていった。
 1日目は調子に乗って無補給、無休憩。
 それでも平気。おお、きっと体の中のものを燃やして走るアスリートモードになったことよの、ほほほ、と自転車の上でおじゃる笑い。利根川まで走って、休憩し、引き返したら、ものの10分もたたずにハンガーノック。目は見えているのに、見ているものに現実感が乏しい。走っている内は、きっと脳内麻薬などで脳も騙されていたのが、休憩したときに気づいたらしい。「オレは糖分が足りないのだ」と。
 いやいや、修行が足りませんことでありました。
 2日目は、1日目の反省をふまえ、途中写真を撮るために足を止めたり、1度休憩をして、コンビニでおにぎりを買いました。
 これで好調子。

 まずは見沼田んぼ名物、首チョンパ。

 かかしという意味がこことぼくとでは異なっているのかもしれない。
 これが鈴なりの田んぼは、なかなか見栄えがすると思う、いろんな意味で。


 そして利根川サイクリングロード到着。

 荒川のように、人が多すぎて邪魔なんてことが決してない。何もない、誰もいない土手、そして単調な風景の中を、日陰一つない苛斂誅求を極めた太陽の下を、黙々と進んでいく究極の求道的サイクリングロード。
 でも、嫌いじゃない。
 もっと頻繁に来てもいいのだけれど、なにしろ、ここに辿りつくまでに75km走って来なくてはならない。
 遠いのだ。

 今日はこの利根川を西に進み、妻沼の聖天さんにお参りに行くつもり。そこのいなり寿司が有名らしく、お昼ご飯はそれにしようとペダルを踏む。
 途中、支流の福川に紛れて道に迷ったりしながら、無事妻沼到着。

 妻沼から垂直に立ち上る雲。まるでお寺から龍が天に昇っていくかのように見えた。
 本堂なども素晴らしいとのことなのだが、来年まで修復工事中。見ることあたわず。

 で、ここの名物のいなり寿司がこれ。

 お稲荷さんが細長いんだ。
 味のよくしみた油揚げで大変おいしゅうございました。

 食後、ゴミも片付け、さあ、出発するか、と思っていた矢先に小動物が襲来。
 ああああああ、かわいいのだ、この小動物が。

 ぼくの姿を見ると、とっとっとっと近づいてくる。
 早く逃げなくてはと思いながらも、この「かわいいオーラ」に身動きを封じられてしまう。
 ぼくの足に何度もすりすりしながら、ぼくの回りを回る。

 目が合う。
 たまらん。
 負けてたまるか、と、お台場でリンス相手に磨いたテクニックを用いて、数回撫でてやる。

 ふふ、どうやら、ぼくの勝ちのようだ。
 埼玉県と群馬県の県境で繰り広げられたバトルにぼくは勝利し、熊谷駅まで幸せな気分で戻ることにしたのだった。 
 熊谷駅までの途中に見つけた顔出し観光パネル。
 人選が渋い。

 斎藤別当実盛と荻野吟子という時代を超越した二人組。かたや平家物語の人、かたや日本初の女医さん。

 あ、ちなみにタイトルは「かんぎ」って濁って読んでくださいね。
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恩田

2007年09月13日 09時33分54秒 | 食べ物
 大塚駅北口は池袋駅とともに子どもが近づくと怖いところだった。
 風俗街のネオンがまばゆかったり、目つきの悪い人たちが何するでもなくたむろしていたり、傷痍軍人が軍歌をアコーディオンで演奏していたり。
 経済白書が「もはや戦後ではない」と断言してから15年たった1971年でも、本物か偽物かわからないけれど、白い軍服の傷痍軍人たちは池袋にいた。それが本物か偽物かはどうでもいい。それ以上に傷痍軍人という存在が世間的にまだ有効だったということがその時代の空気を物語っている。
 池袋はもともと土地柄のよくないところだ。池も袋も水を表している。低地で湿ってジメジメしたところ。なぜか風俗街はそうしたところに栄える。
 一方、大塚は昔からの花街だった。南口には今でも大塚三業地がある。三業がしっかりしていた南口はいいのだが、北口は、明らかに子どもが近づいちゃいけない雰囲気の風俗店が軒を競っている。この風俗街のど真ん中を毎日、巣鴨中学・高校の生徒たちが通う様はなかなか異様である。
 そんな北口ではあるが、なかなかのグルメタウンでもあるのだ。
 ぼくが好きなのは沖縄料理屋さんの「なは」。となりがスナックの「はな」ってえとこがちょっと笑えるのだが、別に系列店でもなんでもない。この店のウマイ料理を楽しむコツは、なるべく早めに注文すること。時間がたつにつれ、店のおばちゃんがお客さんと一緒に飲んでしまうので、料理どころじゃなくなってしまう。途中、みんなで踊り出すなんてこともそれほど珍しいことではない素敵な店だ。安いし、ウマイ。欠点は、営業日が不定なこと。何度かフラレた。
 ほかにも韓国、中国などの安くて美味しいお店が立ち並ぶ地区でもある。
 その一角に店の造りはちゃちいが、いいうどん屋さんがある。


 恩田である。
 夕飯を食べたあとなのに、なぜか誘蛾灯に釣られる虫のようにふらふらと立ち寄ってしまった。
 客席はU字型のカウンターのみ9席。料理をする手許が見える造りだ。あまりジロジロ見ているのもぶしつけな感じがしたので、チロチロのぞき見。
 となりで体育会系な体つきをした人たちが大盛りの天ぷらやうどんと格闘しているのをみて、それだけでお腹一杯になりつつ、ざるうどんを注文。周囲を見回すと、注文を間違えてしまったことに気づいた。天ぷらやおでんなど豊富なサイドメニューで一杯やって、それからうどんという楽しみ方ができる店だった。おでんはセルフで取って自己申告。天ぷらは格安。どちらも旨そうだ。ああ、これでうどんが旨ければ言うことなしの店だと、うどんが来るのを待ちわびることしばし。


 ああ、見るからにうまそうなうどん。
 ワクワクしながら、箸で口に運ぶ。
 歯に楽しいコシを楽しみながら噛むと、口の中にあふれる良質の小麦粉の香りとともに、喉をつるつると通っていく。
 ああ、うどんという快楽。食には味覚とは別の感覚的な快楽があるって、こういうのを食べると思う。
 今度は、つまみと酒から始めないと。
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我モーゼとなりて前に進まん

2007年09月08日 09時31分26秒 | 観光
 電車で荒川を渡るとき川を眺めながら、しみじみ思う、ああ、ぼくの荒川、だと。
 渡り際、また明日来るからね、などと心の中でつぶやいたりもする。
 その荒川が大変なことになっている、となればである、これは駆けつけねばならない。
 午前中、ワクワクしながらも(やっぱりワクワクかよ!)一日の仕事をまとめて全部片づけ、晴れた午後に出発。


 いつも使っている水場が文字通り水場になっていた。暑い間はこの水道にずいぶんお世話になったのに。洪水も怖いが、水がひいたあとも、上流から流れ着いたマムシが下流河川敷にまき散らされる恐怖が残る。



 笹目橋で河川敷端にあるサイクリングロードも水没。仕方がないので迂回し、北上する。



 朝霞水門手前で、流れに取り残された人をレスキューが救助していた。
 非常に強い南風が吹き荒れ、なかなか作業が進まない。下の方にに四、五人のレスキュー隊員の姿が見えます?



 それでもホバリングさせ、隊員がヘリボーン、無事救出。
 こういう場面を実際目の当たりにしたのは初めて。


 朝霞水門から秋ヶ瀬橋までは完全に水没。川というより湖のような状態になっていた。ここも荒川から降りて一般道を通って秋ヶ瀬橋へ。


 秋ヶ瀬橋からの風景。
 このあともサイクリングロードには多くの人たちがやって来て、川の変化を前にし、黙ったまま見つめていた。見た瞬間驚きの声を上げても、その後が続かないのだ。声は音のままで、言葉とはならなかった。
 不思議な感覚。
 これが、うなりをあげて濁流でも流れているのなら、なんとなくすんなり納得できるのだけれど、現れた風景の、妙に大陸的おおらかさと事態のすごさとの間のギャップに感覚が麻痺してくる。水は流れるどころか、強い南風で下流から上流に向かってさざ波が起きるほどで、テレヴィで見る大河がこんな感じだ。それはゆうゆうと水をたたえ、そこにあった。今までなじんでいた、グラウンドやゴルフ場、河川敷といった景色がいきなり、黄河や揚子江の世界に一変したのだ。それも晴れた空の下、何一つ激烈な調子を奏でることなく、ゆうゆう横たわっているかのように。
 その景色に見とれた。その景色を前に黙って立っている人たちに混じって、ぼくも黙って立ちつくしていた。
 秋ヶ瀬公園は水没しているので、下流に向かって右側の車道は通れない。左側の土手を進んでいく。


 国道16号線と交差する上江橋の途中から北上する。

 自転車道だけ無事で左右とも水没している。
 今んなって考えれば、横風で転倒したら、右でも左でもどっちに転んでも水没しかねない状況だったのだが、前に誰もいない自転車道、そして左右の水を見て、まるで民衆を率いてエジプトを脱出するモーゼのような気分で意気揚々と進んでいったのであった。馬鹿ですね。
 このあと、入間大橋で自転車道は完全に水没。迂回するのもさすがに面倒になったのと自転車がかぼちゃになっちゃう制限時間が来たので、川越まで戻り、そこから輪行。
 早く帰って夕飯作らないと。
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荒川

2007年09月07日 22時06分45秒 | 写真
 下の写真とさすらいに載せた写真を比べてみて下さい。
 同じ場所です。
 今日は江北橋付近から荒川に入り、60kmほど走ってきました。
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吉見百穴

2007年09月07日 08時53分41秒 | 観光
 いつだったか、行田の「さきたま風土記の丘」に行ったとき、その雰囲気のよさに驚いたことがあった。古墳って、そんな爽やかな雰囲気じゃないだろう、と。上野の摺鉢山だって、芝公園の丸山古墳だって、なんだか得も言われぬ雰囲気を十分に醸し出していた。それに比べ、ここの気持ちのよさはなんだろう、と。
 でも、同じ埼玉でも、やはりそうした雰囲気を存分に撒き散らしている古墳がある。それがここ、吉見百穴であった。県道を荒川方面から来て、一歩右折した瞬間、明らかに雰囲気が変わる。
 手前に岩窟ホテル、隣がやはり岩を掘って作った岩室観音堂。

 写真で雰囲気が伝わりにくいのが少し残念だが、この観音堂も背筋が寒くなるような場所だ。何かべつのもんとつながちゃってるような、そんな奥深い恐ろしさを感じる。
 別のものとつながっている。そう、胎内巡りがここにある。

「生まれかわるためには、もう一回、母の胎内にもぐらねばならない。そして、めいめいの魂が、胎内にやどされ、成熟し、生長し、ついには再び胎内から俗界へすべり出てこなければならない。入峰する、出峰するというのは結局のところ、「女体」の入口から入り、出口から出てくることである。もう一回生み出されるために、敢えてもぐりこみ、そして自発的にもがき出てくるのであるから、生まれたての赤ん坊のあの苦しげな表情でわかるように、はなはだしい苦行なしにすむはずがない」(武田泰淳「出羽三山」)

 山伏の修行も、テーセウスの冒険もキーは同じく「生まれかわる」ことだ。その行をはなはだ簡略化したのが、この胎内巡りだろう。しかし、簡略化したとはいえ、入ってしまえば、そこはこの世でもあの世でもない、マージナルな場所である。やはり緊張する。第一、人がまるでいない。非常におっかないのであった。それにしても、ここで宗教学者ではなく、武田泰淳を思い出すのには訳がある。我ながら単純だと思うのだが。


 そして、岩室観音堂のすぐそばにあるのが吉見百穴である。なぜかむかしから「ひゃっけつ」と読んでいたが、正式には「ひゃくあな」が正しいそうだ。以前はコロボックルの住居跡だという説もあったが、現在では古代の墓として定着している。

 山一つにいくつもの穴があいている。
 岩窟ホテルにしても、ここにしても、穴があけやすい土質なのだろう。ここに目を付けたものがあった。太平洋戦争末期の日本軍である。ここに穴を掘って中島飛行機の工場を疎開させようと企てたのだ。そのため、いくつもの墓が壊され、松代大本営のような地下施設「第二軍需工廠855号」が建設された。

 現在は岩窟ホテル同様、崩落の危険があり、公開されている地下洞窟は軍の建設したものの1割程度にすぎない。

 その石室も心ない者が落書きを彫っている。ここ、墓なのに、よく入って削ったな、と妙な感心をするが、やってはいけないことである。怖がりなくせに、なぜか自転車に乗ってこんなとこばかりやって来る、自分自身がとても不思議だ。
 この吉見百穴には、もう一つ名物がある。それが国指定天然記念物の「ヒカリゴケ」である。そう、これで武田泰淳を思い出したのだ。

 手前のぺんぺん草みたいなものじゃなく、後方で光っているのがヒカリゴケ。ここには適した環境があるらしく、横穴内で自生しているが、関東地方ではかなりまれな存在らしい。
 有名か無名か、名所かどうかは意見が分かれるところだろうが、それほど遠くなければ一度訪れてもいい観光スポットだと思う。同じ町内には黒岩横穴群という、ここの倍くらいの横穴をもつと言われる遺跡があるが、まだ未発掘の状態。ここらへんは、なんだかとても楽しそうな場所であった。
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