毎日が観光

カメラを持って街を歩けば、自分の街だって観光旅行。毎日が観光です。

アピチャッポン・ウィーラセタクン「亡霊たち」 東京都写真美術館

2017年01月12日 23時21分10秒 | 出会ったものたち
 去年、瑞牆山に登った帰り、バスの中でランダムにiPhoneが選曲したのが三宅純の「veins」という曲で、点在する街の光が車窓を後方に滑りながら明滅している中、その音楽はなんだか幻想的である一方、ある種の感興を催させた。バスは繋がった夜の中をどこまでも音楽と光を携えて走っていく。静かな夜の暗さに包まれて、このままバスがずっと走り続けていたらどれだけ素敵だろう。
 東京の夜とは違う、点在する光。その時ぼくは都会の夜ではなく、光がほとんどない、ないしはまばらな光が点在しているだけの寂しい夜がまとっている生々しい匂いに強くひかれる自分を発見した。都会とは違う。それでいて完全な闇とも違う。ぼくの乗るバスはそのちょうど真ん中くらいの光と闇の中を進んでいく。それはぼくをすごく興奮させたし、多幸感さえもたらした。
 アピチャッポン・ウィーラセタクンの描く夜を見ていて、ぼくはそんな瑞牆山の帰りを思い出した。知らない街に灯るまばらな光。そこには人工と自然の境界があった。未知の街と未知の人々と未知の地理があった。そこにはだからぼくの知らない異界と境界があった。「ナブア森のティーン」はまるで東松照明の写真のようにぼくの心を打った。異界からのぞくその存在は折口信夫の言うマレビトであり、まさに境界上に存在していた。
 その境界の不気味であると同時に魅惑的な佇まいはぼくたちの根源的な感情と結びついているような気がする。
 かつて映画「ブンミおじさんの森」でぼくたちを熱狂させたアピチャッポン・ウィーラセタクンの作品とまた出会えて、言葉にする以前にその世界に浸ってる。
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2017年の鍋焼きうどん

2017年01月09日 17時16分48秒 | 観光
 大倉尾根はおおむね営業しているものの、鍋割山荘は休業。計画の大要そのものの危機です。鍋割山荘がないならよそで鍋焼きうどんを食べればいいじゃないの。心の中のスモール・マリ・アントワネットがささやきます。そうだ、鍋割山荘の有無にかかわらず、とにかくおれは明日、丹沢で鍋焼きうどんを食べる。それが2017年への挨拶だ。頭が煮えていたのか、よくわからない理屈で勝手に高揚して再び床につきました。
 翌朝早く新宿から小田急線に乗り渋沢へ。
 初日の出は渋沢駅のコンコースで眺めました。


 鍋割山荘をはなから諦めたぶんだけよけいな欲が発生してきました。鍋割山、塔ノ岳は登ったことのある山だけれど、塔ノ岳の奥の丹沢山はまだ未踏。標準コースタイムで積算すると大倉バス停8時出発で丹沢山までピストンで行って帰って戻りは午後6時。この時期の午後6時は完全夜。あまり山の中を歩きたい時間ではありません。それで今まで未踏だったのですが、こないだ谷川岳登って、雪山でも標準タイムよりだいぶ早く登れる自信がつきました。こういう時期が一番危なかったりするんだけれども。
 とりあえず塔ノ岳登ってみて、そのタイムが早いようなら未踏の丹沢山を目指してみようかな、と。
 この日はいい天気。北を見れば富士山(裾野までばっちり)から北アルプスまで見渡せ、南を見れば江ノ島や大島まで直下に眺めることができました。



 バカ尾根を延々登り、そろそろいい加減飽きたところで塔ノ岳到着。標準コースタイムより1時間半ほど縮めての到着です。


 これに気をよくし、丹沢山を目指すことにします。でも、今回の大きな目的の一つ、鍋焼きうどんを食べねばなりません。それを忘れては、なんのために山に登ったのか、そもそもの意義すら問われかねません。コンビニで買ってきた冷凍の鍋焼きうどんをバーナーにかけて加熱、あっという間に冷めていくうどんと本気の競争を繰り広げつつ食します。


 塔ノ岳からはアイゼンをつけて歩行するのですが、これがまあ超快晴で、雪は溶けるし、道はぬかるし、木道はむき出しになるし、とてつもなく歩きにくい。サクサクと雪の上をアイゼンで進んでいくあの気持ちのいい感触はほとんど味わうことができません。
 こういう木道をアイゼンつけて下るのはなかなか面倒くさい。


 そして初めての丹沢山。


 もと来た道を引き返し、大倉バス停には結局標準タイムを2時間半近く縮めてのfinish。1月1日の登りぞめには上出来の満足で下山。バス停で飲んだ缶ビールが全身を巡ったときの快感については言うまでもないことでしょう。
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ようこそ、2017年!

2017年01月02日 22時08分39秒 | 観光
 ある目的がかなえられないことがわかったときに、それをすっぱり諦められる人間がいる一方、同じ方向で次善の満足を得ようとあがく人間がいる。などというような二項対立的な物言いはなんだか偉そうだから、それほど大したこと言っていなくてもなんだか正しいっぽいから便利かもしれない。
 それはそうと、その2つの選択肢で人を分類するならば、ぼくは断然後者にあたる。
 年も押し詰まった12月31日。のんべんだらりと2016年のくたびれた後ろ髪を眺めながら、仮想こたつの中で仮想猫などを愛でつつ酒を飲んでいると、2017年の目標だの問うべき姿勢だのはずっと後ろに退き、浮かんでくるのは明日なに食べようかなどという浅はかなよしなしごとばかり。
 寒さをバックに食べ物を考えるとだいたい鍋に行き当たるのだけれど、谷川岳で後悔した記憶もまだあたりに濃厚に漂い、そんな状況下ぼくの脳が次善の満足として叩き出したのが鍋焼きうどんだった。浅はかにして中途半端、それが俺流。今年の総括とか来年の展望とかそんなものは狼に食われてしまえばいい、とにかくおれは明日、劇的な形で鍋焼きうどんが食べたいのだ。ぱっぱとi386並の優れたぼくの頭脳はその手段を叩き出し、出た答えが早朝小田急線で新松田まで行き、そこから鍋割山に登って鍋割山荘で名物の鍋焼きうどんを食べる。「ごちそうさまでした」とどんぶりを返すや、天狗のように尾根を飛び歩き、塔ノ岳で不敵に微笑み、大倉尾根を経て小田急渋沢へ帰るという鉄壁な登山ルートだった。鍋焼きうどんを食べたいという欲望と登りぞめの2つを備えたハイブリッドプラン、さすがi386、32bit演算だってちゃっちゃっとこなします。
 おやすみなさい、2016年、きみはなかなか素敵な年だった、いつかまた出会いたいくらいだ。一陽来復を恵方に貼り付け、床につきます。おとなしく眠るぼくのまわりをいつしか2017年がやさしく包んでささやきます。「起きなさい、あきらよ、起きなさい、いいですか?」なんだか声が聞こえたような気がしますが、面倒くさいのでそのまま眠っています。「だから起きなさい、起きろって言ってんだよ」眠い目をこするぼくに2017年はこう忠告します。「年末年始は店やってかどうかちゃんと確認しなきゃだめだろ?」

 次回、鍋割山荘は年末年始がお休みだったの巻、どうぞよろしく。え? そもそもの鍋焼きうどんは?
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