江戸時代の寛永寺は格式と規模において我が国屈指の大寺院となりましたが、幕末の上野戦争で被災し、明治初期には敷地の大部分が上野公園となりました。
それでも所々に寛永寺の建造物が残っています。
上野戦争で焼失してしまった当初の根本中堂に代わって、川越喜多院の本地堂を移築して本堂として再建されました。
秘仏のご本尊は薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)です。
「瑠璃殿(るりでん)」の勅額は、戦争の中運び出され現在の根本中堂に安置されています。
寛永寺を後にして、テレビで上野の花見としてよく放送されている場所にきました。
満開の桜です。
お花見に来た大勢の人でごった返しています。
上野東照宮への参道もお店やさんが立ち並んでいます。
この辺りは食べ物を買ったら、テーブルと椅子が置いてあるので、その場で食べられるようになっています。
この参道を進んで、上野東照宮を見学しましたが、そのことは次回に載せます。
上野東照宮を見終わって、駅に向かって歩いていたら、清水観音堂がありました。
ここも寛永寺関連の建造物です。
清水の舞台のミニ版といったところです。