あぜ道日記

田舎暮らしの中で、自然や季節の花々、時々お出かけを、写真で綴ります。

こんぴら・道後温泉の旅(♯9 内子ねき歩き 後編)

2017年07月11日 | 旅行記

重要文化財の本芳我(ほんはが)住宅は明治22年に建築されました。
本芳我家は製蝋で栄えた芳我一族の本家で、内子木蝋の基礎を築いた家です。
明治期には「旭鶴」の商標で海外にも製品を輸出し、隆盛をきわめました。










建物は木蝋生産が最も盛んであった時代を背景に建築され、平成15年から3年をかけ保存修理工事が行われ、現在は外観のみ公開となっています。









鏝(こて)で漆喰を塗って様々な模様を描いた鏝絵(こてえ)の母屋を飾るのは鶴と瑞雲。
海鼠壁(なまこかべ)は亀甲形です。
出格子は弁柄で塗られた重厚な作りです。









母屋の切妻部分の木口を隠すための懸魚(げぎょ)の装飾









隣接する土蔵にも海鼠壁。









鏝絵は商標の旭鶴です。(わかりにくいですが・・)









本芳我家の筆頭分家上芳我家は本家同様に江戸時代から明治時代に木蝋生産で栄えた商家です。
居住施設と木蝋生産施設10棟が国の重要文化財に指定されています。
現在は木蝋資料館として一般公開されています。

主屋は内子の木蝋産業の最盛期であった明治27年に上棟され、往時の豪商の暮らしぶりをうかがうことができます。









木蝋の原料はハゼノキの実です。
実を粉にして蒸して絞ったものが生蝋で、写真の手前の丸いかたまりです。
生蝋は和ろうそくやびんつけ油に利用されました。

そしてさらに生成し乳白色になったものが白蝋または晒蝋です。
写真の左側の木の箱に入った白いかたまりが白蝋にする過程のさらしたものを干している状態です。
これは口紅、医薬品、クレヨンなど身近なものに利用されているのには驚きました。
今では石油が原料となっているかもしれませんが、この頃のものの方が安心・安全な気がしてきます。









主屋の3階まで上がってきました。
このどっしりとした梁を間近に見ることができます。









窓から見えるのは土蔵です。









土蔵の隣には釜場や出店倉です。









邸内には木蝋生産のための建物が点在しています。
これも生産工程の一つです。









生蝋を水に落としてフレーク状にした蝋花を、箱に入れて晒す方法が考案され、朽ちた箱が重ねられ、当時の職人の息遣いが聞こえてきそうです。









庭にハゼノキがあり実が付いていました。









最後に登録有形文化財に指定されている築140年の商家下芳我邸は、そば・つみ草料理のお店になっていました。


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