エスペラントな日々

エスペラントを学び始めて27年目である。この言葉をめぐる日常些事、学習や読書、海外旅行や国際交流等々について記す。

エスペラントの実用

2012-07-18 | 読書ノート


 Esperanto en Perspektivo 第三部の続き。
 第十二章は「Uzo por Praktikaj Celoj:実用的な使用」
 Deregita Reto(UEA の代表者網)は 1906年の第2回世界大会で提唱された(このときは konsulo:領事)が実現しなかった。1908年 UEA が創立され、Delegito 制度が発足、4か月後には400人ほどになった。1972年現在で、Delegito 1318、Vicdelegito 195、青年 Delegito 62、専門 Delegito 1981、合計65カ国3556である。

 普通の Delegito(都市代表)が専門代表を兼ねるから絶対数は1318人に近いと思う。私自身、普通の Delegito と専門 Delegito(折り紙)を兼ねている。
 Delegito は居住する町で UEA を代表する。その町でエスペラントに関することがあれば、UEA の代表として行動する。また世界中からその町に関する問い合わせなどがあれば出来る限り対応する。
 毎年25,000~30,000件の業務が行われているということだが、私自身は登録してから約10年、何らかの依頼が来たことはほとんどない。

 その他の実用例:ラジオ放送・商工業・万国博・旅行・郵便や電信・専門分野の国際交流などなど、様々な分野でエスペラントは様々な活躍をしてきた。
 第一次大戦が勃発したとき、急に敵対する国に別けられてしまった人たちの文通による連絡の手助けを UEA が行った。同様の業務をする組織として国際赤十字があるが、対象が兵士(後に流刑者も)のみに限られていた。UEA は1年間で10万を超える手紙を仲介した。
 第二次世界大戦のときにも同様の業務を行ったが、ドイツやその影響下にある国がエスペラントを弾圧したことや、戦争に対する姿勢などをめぐるエスペラント界内部での不統一もあって、大きな成果は上げられなかった。

 第十三章「Instrumento de Internacia Komprenigxo:国際理解の道具として」
 世界大会の歴史や性格、宣言・決議などについて。
 その他の国際行事・・・IJK(国際青年大会)、SATの大会、様々な専門別大会や、近隣数カ国の集会、外国からの参加者で国際的な性格を持つ国内大会、グレジヨンなどの国際的な講習会やセミナーなどなど。1972年の一年間で、93の大会・集会に12,000人が参加した。
 人権のための国際的共同・・・国連やユネスコとの共同など。
 1954年、ノルウェーの国会議員がノーベル平和賞に UEA を推薦した。1961年以来ほとんど毎年(少なくともこの本の発行された1973年まで)候補に挙げられている。

 以上で第三部終了。

   
写真は宮崎県・青島神社
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