エスペラントな日々

エスペラントを学び始めて27年目である。この言葉をめぐる日常些事、学習や読書、海外旅行や国際交流等々について記す。

藁屑と切り株

2017-11-29 | 読書ノート


 久しぶりの読書ノート。このところ読書量が劇的に落ちている。
 ウィリアム・オールド(1924-2006)の作品集である。作家生活50年記念の出版で、340ページの大冊である。エッセー、物語、翻訳、書評などが詰め込まれている。タイトルからして「雑文集」である。「切り株」といっても木を切り倒したあと(stumpo)ではなく、麦などの収穫あとである。
 オールドはスコットランドの詩人で、ノーベル文学賞の候補にノミネートされたこともある。おそらくエスペラント文学でノーベル賞候補になった唯一の作家である。翻訳では「指輪物語」などがある。
 代表作の詩集「La infana raso」を少しだけ読んだことがあるが、詩は私にはよく分からない。さいわいこの本は散文集なので詩は入っていない。

 オールドの散文はわりに平易で分かりやすいが、幅広く扱われたテーマによっては(とくに書評・文学評論など)私の力では読み切れないものも多かった。

 いくつか印象に残ったところを紹介しよう。

 en lingvaj aferoj la tradicio ludas pli fortan rolon ol la logiko
 言語一般に言えることではあるが、とくにエスペラントではこのことは重要である。言語が如何に論理的に作られていようと、実際の使用の中で形成される慣例の方が優先される。

 (イギリスの動物学者、Desmond Morris の「La homa bestgxardeno」の引用) Ni emas pensi pri lingvo ekskluzive kiel komunikilo, sed gxi estas pli ol tio. ... la kontrauxkomunika funkcio de la lingvo estis tiel same grava kiel gxia komunika funkcio.
 言葉は「伝達手段」として働くが、それだけではない。言葉があるゆえに、ある集団と別の集団とのコミュニケーションや移動を困難にする。場合によっては他と区別するための手段にもなる。
 このことはエスペラントとその存在意義にも関わることだと思うが、同時にそれが多くの人に受け入れられないことの一つのヒントを秘めているようだ。
コメント
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