旧掛塚郵便局

2012-07-24 19:23:50 |  静岡県


 信濃国から遠州灘へと抜ける天竜川の河口近く、磐田市掛塚地域(住所的には磐田市白羽)に残る旧郵便局舎。 明治6(1873)年に開設された掛塚郵便役所をルーツとし、現在の建物は昭和10(1935)年に建てられたものだそう。 近年まで地域住民と密接な関係で繋がっていた郵便局は日常生活には欠く事が出来ない公共施設であり、役目を終えた今でもなお大切にされ昔のままに保存されています。  静岡県磐田市白羽29-2  11年03月上旬



 正面玄関。 利便性を考えアルミサッシュに変更されるものも多いですが昔の建具(?)がそのまま残っています。


 木造モルタル2階建て、左官による装飾技術が冴える。






 CRCを吹けば一発。


 郵便マークも左官技。 地元の左官工の手になるもの。




 訪問時は建築データも無く、看板建築の類である事から昭和初期築だとは思っていました。


 郵便業務を請け負っていたのは地元で廻船問屋を営んでいた長谷川家。 内部にはガラス張りのカウンターなども残っているようです。
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修善寺ハリストス正教会(顕栄聖堂)

2011-10-26 20:39:54 |  静岡県


 1861年に函館に来日し、日本に「正教」を伝えたニコライ大主教(1836~1912)。 その大主教の病気からの回復を祈って明治45(1912)年に伊豆・修善寺に建設されたのがこの聖堂です。 地元有力者で正教の信者でもあった菊屋旅館主人・野田修治(清治?)が聖堂の建設を提案し、明治45年2月3日の提案から僅か1週間後には建設に着手し1か月後には上棟、さらにその1か月半後には建築工事が完了したという驚異的なスピードで建てられました。 しかしニコライはこの聖堂が完成するのを待たずに2月16日に没し、ニコライの後任であったセルギイ主教により6月2日に成聖式(竣工式)が行われました。  静岡県伊豆市修善寺861  10年12月上旬他

 ※参考 『東海の近代建築』 1981
     『近代日本の異色建築家』 1984
     『日本の教会をたずねて』 2002



 ハリストス正教会の聖堂は必ず東向きに建てられる為、正面は西側を向く事になります。






 八端十字架が天を指す。 一番上の横棒はキリストの頭上に打たれていた罪状書きを示し、一番下の横棒は磔の際の足台を示す。 横棒が右下に傾いているのは、キリストと共に磔にされた2人の罪人のうち左の者はキリストを信じ昇天し、右の者は信じずに地獄に堕ちたという伝承に基づいている。 


 内部は正面から啓蒙所・聖所・至聖所の3室で構成されているという。 後ろに見えるのは桂川温泉旅館の大きな建物。 


 啓蒙所の上には高さ18メートルの鐘塔。


 写真はありませんが聖所には水晶製のシャンデリアが吊るされ、聖所と至聖所を区切る衝立状の聖障(イコノスタス)は旅順の聖堂にあったものをニコライが譲り受けた物で、左右には山下りんの作になる聖像が描かれているそうです。






 建設費は4、426円余り(当時)。 このうちの3分の2を野田家が負担し、敷地1000㎡も提供したという。






 軒を支える持送りに葡萄の飾りが施されているのもこの聖堂の大きな特徴。 鏝絵で有名な入江長八の弟子達の作。


 建物の設計は河村伊蔵(1860~1940)といわれる。 明治16(1883)年に洗礼を受けてロシア正教の世界に入り、一度も正規の建築教育を受けないまま正教会聖堂の建設に関わった人物である。 ちょうど愛知・豊橋の聖堂(大正2年・1913)の建設に携わるかたわら、出張の合間に修善寺を訪れるなど、この聖堂の設計・建設にも関わっていたらしい。 


 司祭が定住していない為に一般への公開はしておらず、月に一度信者向けに開かれているだけのようです。 
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旧三島測候所

2010-09-07 07:10:01 |  静岡県


 中央気象台三島臨時出張所として昭和5(1930)年に開設。 定規で引いたような直線基調の建物ですが、目に付きやすい部分に半円形のアーチを用いる事によってモダンな雰囲気を高め個性を演出しています。  静岡県三島市東本町2-5-24  10年03月中旬



 半円形にデザインされた2階の窓台。


 青空にスッと伸びた煙突も美しい。


 このアルミ扉は最大の残念ポイント。


 ステンドグラスを内側から。 静岡なら富士山が描かれそうですが。


 中に入ると2階への階段がお出迎え。






 1階の中央廊下。 室内も見学できます。


 何かの警報装置でしょうか。 盤内には桜の花びらのマーク。


 竣工当時は田園の中に孤立した姿であったそうですが、現在は周りが住宅地となって民家に取り囲まれています。
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みのる座

2010-03-26 07:17:43 |  静岡県


 大正5(1916)年に建てられた、かつての芝居小屋。 およそ1世紀にも及ぶ営業を終え、この建物は取り壊される運命にあります。  静岡県島田市本通6-7834  10年03月中旬







 素朴な豆タイルの風合いがどこか懐かしい。






 背面から見ると看板建築である事が良く分かります。


 「實」は実(みのる)の旧字。




 ようやく朝日が差し込んできました。


 終幕。
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豊門公園西洋館

2010-01-21 07:10:10 |  静岡県


 昭和初期に豊門青年学校として建てられ、その後は富士紡績の中堅社員独身寮になっていた建物。 元々この辺りは富士紡績の小山工場の建設が明治29(1896)年より始められており、箱根・富士山系から湧きだす豊富な水を利用した工場が順次完成、稼働して生産を拡大していました。 その富士紡績の従業員並びに地域住民に教育・保健・慰安等の場を提供する目的で設立されたのが㈶豊門会館であり、大正13(1924)年に死去した和田豊治社長の遺志を引き継ぎその自邸を移築する為に庭園が整備され、その流れに沿う形で建設されたのがこの建物のようです。  静岡県小山町藤曲144-8  09年12月中旬



 敷地(現在は公園)入り口。 正面に見えるのが東京・向島から移築された和田豊治社長の旧自邸(明治42年築/大正14年移築)。 左端にちょこっとだけ写っているのが西洋館。  


 正面からのアングル。 


 ポーチの柱は少々太め。 建物本体とは仕上げも微妙に異なります。






 内部をのぞき見。。


 訪問したのは15時過ぎ、冬の陽の光は弱々しく。 以前訪れた時は公園の整備工事中で敷地に入る事も出来ませんでしたが、今回ようやく対面する事が叶いました。
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清水カトリック教会

2009-12-16 07:05:43 |  静岡県






 昭和10(1935)年築の教会。 青空に起立する二つの塔と尖頭アーチ窓・丸窓のコンビネーションが印象的に映ります。 道路側から見ると一段高い位置にあるので大きな建物に思えましたが、実物は意外にこぢんまりとしていました。  静岡県静岡市清水区岡町1-34  09年02月下旬

 ※現役の教会です。 見学の際はご配慮願います。
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静岡県庁本館

2009-09-07 07:13:20 |  静岡県




 昭和12(1937)年に建てられたこの建物は当初、浜松出身の建築家・中村與資平に設計依頼しようとしたものの、あまりに高い設計料だった事から懸賞募集を行うことになり、400点ほどの応募の中から当選した泰井武の案を基に中村與資平が実施設計を行いました。 その懸賞募集要項には日本趣味的デザインという要件があったことから帝冠様式の建物が建つことになったようです。 3階の中央にある議場の天井梁型には茶・ミカン・魚などの県特産物がパターン化されているそうです。  静岡県静岡市葵区追手町9-6  07年02月上旬他
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北河製品所工場

2009-08-26 07:09:18 |  静岡県




 明治27(1894)年に山梨で木材乾溜事業を開始し、同29年に現在地に移転し木精(メチルアルコール)、木炭木醋酸鉄等の製造からスタートしたのが北河製品所の始まり。 化学工場の建物は耐火性が必要とされた事から明治期に建てられた煉瓦造の建物が今も残り、大正期の事務所棟や昭和戦前に建てられたRC造の建物も現役施設として稼働しています。 現役の工場だけに中には入れず敷地の外から眺めるだけですが、それでもいくつか特徴的な建物を確認する事は出来ました。

 上に掲げた3(4)枚の写真は4号棟旧蒸留工場の建物で、明治末頃のものだそうです。 煉瓦の壁面を縦に大きな亀裂が入っていて今後の保存は微妙ですが、ワンポイントになっている妻面の丸窓や赤煉瓦に緑の蔦が這う様などは印象的です。 


 昭和12(1937)年頃にRC造で建てられた新館。 工場入口の左側にあります。



 新館と向き合っている事務所棟は大正5(1916)年の築。 



 塗料倉庫(旧醋酸繊維素塗料工場)は明治31(1898)年から明治末頃のもの。 手前は平屋で奥が2階建て(?)。



 旧金属塗料製造工場は明治末から大正期の建築。



 4号棟旧蒸留工場の北側にある平屋建ての11号倉庫は、昭和10(1935)年。


 工場の西を流れる大井川方面から見るとこんな感じ。


 静岡県島田市稲荷 08年07月中旬他
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清水銀行由比支店本町特別出張所

2009-06-19 07:02:16 |  静岡県




 明治末の静岡には194もの地方銀行が林立していましたが、現在は静岡・清水・スルガの3行に統合されています。 正面のイオニア式角柱が特徴的なこの建物も、当初は庚子(こうし)銀行本店として大正14(1925)年に建てられたものです。 由比町初めてのRC造の建物は、地元の亀山治作による施工。 内部は吹き抜けで2階に10畳の和室が設えてあるそうです。  静岡県静岡市清水区由比41  09年02月下旬

 ※参考 『静岡県の近代化遺産』  2000
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大日本報徳社公会堂(大講堂)

2009-06-02 07:20:28 |  静岡県











 報徳社の由来は以前に記述した通り。 この建物は明治36(1903)年に遠江国報徳社の掛川町第三館公会堂として建設されました(正門は明治42年築)。 入母屋造でお寺さんのような出で立ちですが、2階の窓はアーチになっていてコリント式もどき(?)の柱型が漆喰で表現されるなど和洋折衷になっています。 内部は81畳の大広間になっていて、2階には吊り下げ式の回廊がある面白い構造。 大人数が乗ったら構造的には不安ですが、高い場所から吹き抜けの空間を見下ろすのは何とも気分がいいものです。  静岡県掛川市掛川1176  08年07月上旬
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順天堂田中歯科医院

2009-05-10 16:41:42 |  静岡県




 蒲原町の景勝地に建っていた別荘の一部を、大正13(1924)年頃に移築してきて歯科医院にしたという建物。 元は明治初期に衆議院議員・矢島作蔵が建てた洋風別荘か、明治25(1892)年に法相・岡部子爵が建てた開天閣という高楼を持った別荘のどちらかであったそうですが、確定はできないようです。 建物の平面図を見ると、平屋部分に勉強室と呼ばれる六角形の部屋+ドーム屋根があるのですが、高く伸びた樹木に遮られてほとんど見る事は出来ません。 歯科医院はもう営業していないようでした。  静岡県富士市吉原  09年02月下旬

 ※現在は個人邸かも知れませんので見学の際はご配慮願います。
  参考 『静岡県の近代化遺産』  2000 
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杉浦家住宅

2009-03-28 00:00:00 |  静岡県





 裏通りに佇むトンガリ屋根は、明治34(1901)年に建てられた藤枝製茶貿易会社の事務所だった建物。 2階の屋根の隅につく鬼瓦に、☆に「茶」の文字が入っているのがその時の名残だそうです(後で知ったので写真がありません・・・)。 玄関ポーチは傾き、カーテンや雨戸が閉まったままなのが少し気になります。 塔屋や建物の裏側を見る限り、元は全面下見板張りの建物だったのではないかと思いました。  静岡県藤枝市藤枝  08年07月中旬

 ※個人邸ですので見学の際はご配慮願います。
  09年12月中旬再訪し、鬼瓦(☆茶)の写真を追加しました。
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眺峰館

2009-03-12 07:05:24 |  静岡県





 料理店の玄関塔屋として建てられたトンガリ屋根のハイカラ建築(明治25年築 1892)。 昭和18(1943)年に料理店が廃業すると社員寮や個人店舗などに使用され、一度は園芸センターに移築されていたものを昭和59(1984)年に再移築。 1度目の移築の際に既に塔屋部分のみの保存となっていたようです。 現在は1階部分のみ公開されており、建物の名称にもなった3階からの富士の眺望が叶わないのはちょっと残念。 資料により内部は2・3階とも畳敷きという説と、2階のみは板張りという説がありますが確認は取れていません。  静岡県富士市伝法80-1 広見公園内  09年02月下旬

 ※参考 『総覧 日本の建築 5 東海』  1986
     『静岡県の近代化遺産』  2000
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淡山翁記念 報徳図書館

2009-01-31 16:49:42 |  静岡県




 報徳社は、江戸後期に二宮尊徳(二宮金次郎 1787~1856)が唱えた経済と道徳の融和を図った報徳思想の普及活動の為に、尊徳の弟子であった岡田佐平治により明治31(1898)年に設立されたのが起源のよう。 この建物は報徳社の2代目社長・岡田良一郎(岡田淡山)の業績を記念して昭和2(1927)年に建設。 小ぶりな建物ながら、昭和27(1952)年から昭和44(1969)年までは掛川市(町)の図書館として機能していたそうです。 現在は内部公開もされていて、玄関を入ると直ぐに階段室、2階は報徳社関連の展示室となっていました(1階は非公開)。  静岡県掛川市掛川937  08年07月上旬他



 ※おまけ  図書館に隣接しているのが、仰徳記念館(明治17年築 1884)。 有栖川宮邸の一部として建てられ、霞ヶ関離宮として使用されていたものを昭和13(1938)年に移築してきたそうです。 普段は公開はされていないっぽいですが、公会堂の管理人さんに特別に(?)見学させてもらいました。 内部は意外にも洋風な造りです。








 こちらは仰徳学寮。 仰徳記念館と一緒に移築されてきたもので、やはり有栖川宮邸の一部だそうです。 玄関前ではネコさんが気持ち良さげに睡眠中。



 最後に大日本報徳社公会堂(明治36年築 1903)。 こちらは有料で公開されています。 詳細はまた次回にでも・・・。
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旧湊海軍病院病棟

2009-01-27 07:05:47 |  静岡県



 共立湊病院の敷地の片隅に残る建物(昭和10年築? 1935?)。 窓は破れ蔦は絡まり、内部はガラクタ置き場と化しています。 病院の下田への移転問題が取り沙汰される中、この建物の処遇が気に掛かります。  静岡県南伊豆町湊674  06年12月下旬
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