しばらく更新できそうもないので、ストック写真を掘り起こしてみました。 07年下半期が中心の写真集公開。
大正15(1926)年築。 むくりのついたマンサード屋根と半円形のブロークンペディメントが可愛らしい建物。 昭和61(1986)年に現在地に移築され個人邸兼アトリエとして使われており、敷地内にはソーラーパネルや風車などが設置されているので、家主はエコな生活を心掛けて実践しているように見えます。 去年の近代化遺産全国一斉公開2007で特別公開されていたようなので、今年も公開されるようなら見に行きたい建物です。 富山県小矢部市芹川 08年06月上旬
※ 個人邸ですので見学の際は十分に配慮願います。
洋風としては現存する国内最古のホテル建築(明治13年築 1880)。 安達喜幸を中心とする開拓使工業局営繕課により建てられたもので、一説によると安達はJ・コンドルらから構造上の提言を受けてこの建物に取り組んだとも云われます。 竣工翌年の明治天皇の北海道行幸の際の行在所にあてられたのを開館日として、以後は民間に貸し付けられホテルと西洋料理店として引き継がれました。 後の大正天皇や昭和天皇など皇族の宿泊もありましたが、次第にホテルとしての機能は薄れ、公会堂や音楽会場として市民の文化活動の拠点へと変わっていきました。 昭和33(1958)年に中島公園へと移築され、現在は結婚式場などとしても利用されています。
アメリカ風の下見板張りにヨーロッパのコリント式の柱頭飾り、懸魚の付いた櫛型のペディメントなど、日米欧のスタイルが絶妙に融合した建物は、白の外壁にウルトラマリン・ブルーの縁取りがとっても爽やかな印象を放っています。 中に入ってみればシャンデリアや暖炉などに目を奪われますが、一番の注目点はシャンデリアの吊り下がっている中心飾り(メダリオン?)の漆喰彫刻。 朱色が入るくらいの地味目なものですが、作者は伊豆の長八の系統と推測され、「波に千鳥」や「鳳凰」、「梅」など各部屋により異なった和のテイストが楽しいです。 北海道札幌市中央区中島公園1-20 07年05月上旬
※参考 『日本の駅舎とクラシックホテル』
『札幌の建築探訪』
『ノスタルジック・ホテル物語』
『郷愁の時を訪ねて クラシックホテルの物語』 他
入母屋の玄関部分を中心にして洋館と和館を接続させた建物(大正9年築 1920)。 洋館部分は木造モルタル造りですが、1階部分のみ下見板張り風の仕上げ。 内部には1・2階とも暖炉が据え付けられ、幾何学模様のステンドグラスが小粋さを演出しています。 階段の窓には枝に掴まったインコが描かれているようでしたが、半ば消えかかっているのが少々残念。 当初は長野市県町に建てられていた建物ですが、某ヤッシーに不用の烙印を押され、平成16(2004)年に現在地に移築復元されました。 長野県小川村高府9307 小川村郷土歴史館『ふるさとらんど小川』 07年07月下旬他
現・梼原町歴史民俗資料館別館(明治24年築 1891)。 正面のバルコニー部分には力が入っていますが、全体的には洋風建築をうまく消化出来ていないようなモドカシサを感じてしまう建物です。 特に窓の数が絶対的に少ない上に開口部の面積も限られているので、中で仕事する人達にとっては採光や通風の面で苦労させられたのではないでしょうか。 それでも地理的・時期的な条件を鑑みれば、西洋化の波が日本列島を駆け巡ってこのような山間の町にも確実に押し寄せていた、という時代の生き証人のような価値は今でも高いと思います。 高知県梼原町(ゆすはらまち)梼原1653-1 07年01月上旬
なかなか公開できない05年の旅の記録。 山梨(甲府・甲州・大月)、岩手(盛岡・雫石・玉山・花巻・江刺・水沢・大船渡・一関)、東京(両国)、山梨(甲府・須玉・市川三郷)、大連・旅順、東京(湯島・駿河台)、秋田(小坂・能代・大館・男鹿・秋田)、山梨(清里・南アルプス・田富)、東京(赤坂・渋谷・駒沢・千代田)、三重(桑名・四日市)。
ここ1週間くらい「奈良少年刑務所」でのキーワード検索が多いと思ったら、昨日今日と矯正展が行われているのですね。 3連休ですが仕事やヤボ用があって遠出できません・・・
ここ1週間くらい「奈良少年刑務所」でのキーワード検索が多いと思ったら、昨日今日と矯正展が行われているのですね。 3連休ですが仕事やヤボ用があって遠出できません・・・
旧本堂分校(明治45年築 1912)。 小さな町の分校舎だっただけに、装飾と言えば軒先のバージボードぐらいの簡素なものに留められています。 昭和44(1969)年に現在地に移築された後は、郷土資料館としての活用。 訪れる人もほとんどいないであろうことは容易に想像できる展示内容でしたが、木立の中に見え隠れする赤屋根に白壁の建物は、いつまでも変わらずにいて欲しい光景に思えます。 秋田県美郷町(旧千畑町)土崎上野乙1-1 08年08月中旬
実業家・朝吹常吉氏の軽井沢での別荘(昭和6年築 1931)。 氏は東京・高輪の本宅(現・東芝山口記念館 大正14年築 1925)の住心地の良さに満足し、この別荘の設計も本宅同様にヴォーリズに依頼。 朝吹家長女であり、サガンの『悲しみよこんにちは』の翻訳などで知られるフランス文学者、朝吹登水子(1917~2005)が夏場を過ごすための山荘としてこの建物を引き継いでいたそうです。
軽井沢のサロン文化の象徴として軽井沢本通の奥、矢ケ崎川のほとりに建っていましたが、現在は軽井沢タリアセン内にある塩沢湖の東岸に移築され一般公開されています。 長野県軽井沢町塩沢湖217 軽井沢タリアセン内 08年08月下旬
※おまけ ちょっとだけ軽井沢のヴォーリズ建築めぐり。
青葉幼稚園山荘(旧アームストロング山荘 大正7年築 1918)。
使われていないのかな・・・
浮田山荘(旧ヴォーリズ山荘 大正11年築 1922)
九尺二間の家。 新婚当時のヴォーリズ夫妻が暮らした簡素な住まい。 今も住んでらっしゃる方がいるので、立ち止まらないで通り過ぎるだけの見学。
今回一番悩んでしまったのが近江兄弟社コテージ。 あると思っていた場所には新しい建物が建っていて、すぐ近くにあったこの建物は雰囲気が似ているけどちょっと違う感じ。 解体の情報は聞いていないので場所を間違えてしまったのかも。
これ違うよね。
最後は登録文化財になっている旧鈴木歯科診療所(片岡山荘 昭和11年築 1936)。
ベンガラ色というのでしょうか。 面白い色ですね。
ヴォーリズの他の有名物件は以前見学したので割愛。 実はこの日は朝から酷い頭痛に悩まされ、これでギブアップしたのでした。。。