丸西産業旧社屋 2007-05-31 07:06:36 | 長野県 大正12(1923)年築。 『信州の近代遺産』によると、和紙問屋として開業した丸西産業により創建され、昭和25(1950)年から同33(1958)年まで八十二銀行八幡支店としても使用されたとあります。 現在は飲食店として活用されています。 長野県飯田市八幡町2100 07年03月下旬 ※おまけ こちらは同じ通りで見かけた下見板の洋館。 閉鎖される前は写真館だったみたい(?) 詳細は不明です。
福井市水道記念館 2007-05-30 07:04:04 | 富山・福井 大正13(1924)年に建設された旧足羽揚水ポンプ場が水道記念館として活用されています。 一本木浄水場から足羽山配水池へ水道水を送るための中継施設として設置され、平成3(1991)年まで現役を続けました。 内部は揚水ポンプを含め創設時の状態が保たれ、無料で見学できるようになっています。 福井県福井市足羽(あすわ)1-8-5 06年08月中旬
旧塚原呉服店 2007-05-29 07:07:07 | 南とうほく (宮城・山形・福島) 大正15(1926)年築の旧呉服店店舗。 木造とは思えないほどの威厳・風格を感じさせ、現在はスポーツ用品店として活用中のようです。 会津若松には古い建物がたくさん残っているようなイメージを持ちましたが、実際は如何に? 福島県会津若松市七日町2-33 06年09月中旬
旧島々駅舎 2007-05-28 07:07:07 | 長野県 大正10(1921)年築? 主に上高地への登山者輸送を目的に筑摩鉄道(松本電気鉄道の前身)により建てられた駅舎。 現在は新島々駅の向かいに移築され、観光案内所として地域情報や地元の野菜などが入手可能です。 長野県波田町 07年05月下旬 ※追記 『駅舎再発見』に新築復元とも載っていました。 移築復元、新築復元どちらが正しいのでしょうか? ご存知の方は教えて頂けると嬉しいです。
旧鹿児島県庁本館 2007-05-25 07:10:31 | 大分・熊本・宮崎・鹿児島 大正14(1925)年築。 ウェルカム的に扉が開かれていたので内部にも入ってみたところ、現在は県政記念館として活用され各種資料の展示がされていました。 昔の写真を見ると左右にもっと大きな建物で、保存にあたって両翼部が切り取られ曳家により現在地に移築保存されたようです。 屋根に日本瓦が載っているのが親しみやすく面白いです。 曾禰中條建築事務所の設計。 鹿児島県鹿児島市山下町14-1 05年05月上旬他 09年05月上旬再訪。 本文に加筆修正、写真の追加変更を行いました。
平成大野屋 2007-05-24 07:05:13 | 富山・福井 旧大野織物工業協同組合事務所(昭和12年築 1937)。 越前大野は四方を高い山々に囲まれた城下町。 かつての繊維産業の隆盛を象徴する建物が、観光拠点施設として活用されています。 郷土料理の提供や特産品の販売、休憩所として開かれた建物には、多くの人々が訪れ街に活気を与えています。 福井県大野市元町1-2 06年08月中旬 ※おまけ こちらは旧岩治医院(明治末期築)。 ブルーの窓枠が強烈ですが、さすがにオリジナルではないと思います。
追手前高校 2007-05-23 07:11:22 | 徳島・高知 旧高知県立高知城東中学校(昭和6年築 1931)。 創立明治11(1878)年の歴史ある学校の学び舎。 帝冠様式に時計台という、かなり印象的な姿をしていました。 設計・高知県営繕、武田五一指導とあります。 高知県高知市追手筋2-2-10 07年01月上旬
日本基督教団卯之町教会 2007-05-22 07:07:03 | 愛媛・香川 旧日本メソジスト教会卯之町支部(大正15年築 1926)。 旧開明学校のすぐ東に位置し、素朴な雰囲気を漂わせる教会。 宣教師のD.W.フランクが描いた簡単な図面を元に建てられたと伝えられています。 愛媛県西予市宇和町卯之町3-104 07年01月上旬他 ※現役の教会ですので見学の際はご配慮ください。
明治公園サイロ 2007-05-21 07:12:33 | 北海道 その他のエリア かつての開拓使根室牧畜場の跡地が公園となり、昭和7(1932)年に建てられたサイロが一基、同11(1936)年に建てられたサイロが二基残っています。 これらのサイロは、ここの後の所有者となった北海道練乳会社(現・明治乳業)によって建てられたものだそうです。 北海道根室市明治町 06年05月上旬
宮崎神宮旧徴古館 2007-05-18 07:05:03 | 大分・熊本・宮崎・鹿児島 鬱蒼とした木々に囲まれ、ともすれば見落としてしまいそうになる「なまこ壁」の建物。 神宮の宝物や奉納に関する諸物品を蒐集陳列し、衆人の観覧に供し地方文化の向上啓発する為に建設されたそうです(カタイ表現…)。 なまこ壁の擬洋館というと東京の慶応義塾の中にある三田演説館(明治8年築)が思い浮かびますが、こちらはそんなに古くはありません(明治40年築 1907)。 設計は伊東忠太と佐々木岩次郎によるものだという事です。 宮崎県宮崎市神宮2-4-1 05年05月上旬他 ※参考 『総覧 日本の建築9 九州・沖縄』 09年05月上旬再訪。 本文に加筆修正、写真の追加変更を行いました。
龍驤館 2007-05-17 07:05:53 | 大分・熊本・宮崎・鹿児島 大正7(1918)年築。 明治天皇の即位50周年を記念して計画されるも天皇の崩御により予定を変更し、頌徳記念館として建てられました。 命名の由来は明治5(1872)年に西国巡礼中の明治天皇が三角湾に停泊した際のお召艦の名「りゅうじょう」から取られたものです。 夢と消えた明治の三大築港のうち、今でも当時の石積埠頭の姿が残るのはここ三角西港のみ。 明治20(1887)年に完成した港には300人の囚人が工事に動員され、そのうち69人が犠牲となったといわれます。 熊本県宇城市三角町三角浦1320-22 05年05月上旬他
サッポロビール博物館、サッポロビール園 2007-05-16 07:10:02 | 北海道主要部 (札幌・小樽・函館) 旧札幌製糖会社工場(明治23年築 1890)。 明治36(1903)年に札幌麦酒会社(サッポロビールの前身)に買収され、製麦工場として大きく改造された後、昭和40(1965)年まで麦芽の生産を行っていました。 現在は出来たて直送の生ビールと北の味覚が楽しめるサッポロビール園、ビールに関する歴史を学べるサッポロビール博物館として活用され、赤レンガや50メートル近い高さの煙突などは、製麦工場時代の様子をそのままに現代に伝えています。 博物館は無料な上に、ビールの試飲(こちらは有料です)も出来るので好きな方にはお勧め。 家族連れで大変賑わっておりました。 サッポロファクトリー(レンガ館)と混同注意。 北海道札幌市東区北7条東9丁目 07年05月上旬
北海道大学総合博物館 2007-05-15 07:08:48 | 北海道主要部 (札幌・小樽・函館) 旧理学部本館(昭和4年築 1929)。 スクラッチタイルにテラコッタという、いかにも昭和初期の学校建築という感じ。 現在は学術標本や資料の展示が行われ、博物館として誰もが自由に見て回る事が出来ます。 ここの展示は無料なうえに相当なボリュームがあって、じっくり見るには少なくても2時間位は必要ではないでしょうか。 質・量ともかなりのものになります。 そして順路に従って3階に上がると、中央階段の吹き抜けに行き着きます。 ここはアインシュタイン・ドームと名づけられた白天井の空間で、四方の壁には大きなレリーフ。 果物、向日葵、コウモリ、フクロウの4種類が見て取れます。 説明板によると、各レリーフには仏語で、朝、昼、夕、夜と書いてあるそうです。 これは昼夜を問わず研究や教育に取り組む理学部構成員の理想を示すものとして、創立当時の各研究者達の気概を形にして表しているもののようです。 北海道札幌市北区北10条西8丁目(北海道大学構内) 07年05月上旬
旧小熊邸 2007-05-14 07:21:06 | 北海道主要部 (札幌・小樽・函館) 田上義也(たのうえよしや 1899~1991)の設計により昭和2(1927)年完成。 北海道帝国大学の助教授・小熊博士の自邸として建てられ、以来彼は20数年間をここで過ごし、各種文化人・芸術家らと親交を深めたといいます。 戦後は北海道銀行が購入し社宅やクラブとして使用。 平成7(1995)年以降は保存運動がわき起こり、結果として平成10(1998)年に現在地に解体・移築される事になりました。 しかし移築にあたっては旧部材の一割程度しか利用されず、原寸大模型という批判もあるようです。 現在は藻岩山ロープウェーの山麓駅近くで珈琲店として営業中。 その独特な空間をわずか数百円で味わう事が可能となっています。 私は煙草を吸わないので禁煙席を選びましたが、正面入って右側の大きな窓(亀甲型大窓というらしい)のある小さな部屋に通され、ほんのひと時の間、やすらかな空間に浸りました。 次は広い部屋(喫煙席?)でもこの特異な雰囲気を堪能してみたい、と思わずにはいられません。 北海道札幌市伏見5丁目 07年05月上旬
旧共成株式会社 2007-05-12 09:48:24 | 北海道主要部 (札幌・小樽・函館) 現・小樽オルゴール堂。 明治24(1891)年創業のかつての米穀商の本社屋と倉庫です。 明治・大正期の北海道は米の自給が出来ず、東北方面などからの移入に頼るしかなかった為、それを受け主要な移入港であった小樽での共成㈱の躍進振りはめざましいものがあったといいます。 道内各地に支店を出すなどし経営は安定、そんな中でこの建物は明治45(1912)年に建設されました。 レンガ造で内部は総ケヤキ造り(ヒノキという資料もあり)、吹き抜けのホールに回廊を持つ広々とした空間が昔と違わず出迎えてくれます。 奥の倉庫と連なった長大なスペースには所狭しとオルゴールが置かれ、きらびやかな雰囲気。 ここは婦女子を連れての見学が望ましいかもしれません(笑)。 浮ついて中の様子を良く覚えていません・・・。 北海道小樽市住吉町4-1 07年05月上旬 ※参考 『小樽歴史探訪』 1999