震災発生から初めて訪れた福島県。 期待と不安の中、矢吹町と郡山市の建物を見てきました。
まずは矢吹の総合衣料実践堂(旧東邦銀行矢吹支店 昭和2年)。 道路の路面のうねりが地震のエネルギーの大きさを物語っていましたが、この建物は被害はほとんど無さそうに見えます。 但し、向かいの奥にあった洋風意匠の住宅は跡形もなく消えていました。
同じ通りに面する旧屋形医院(大正10年頃)。
他ブログで写真は見て知っていましたが、門柱と玄関ポーチが崩れてしまっています。
基礎の部分もダメージを受けていて今後が不安な状況。
国道4号線を北上して郡山へ。 金透小学校にある金透記念館(明治9年)は曳家・復元などによって昭和53年に現在の姿になったもの。
ロープが張られ近づけませんが屋根瓦が落下して散乱しています。
道路から見ると高台にあるのですが、建物の亀裂や軒周りの部材の落下が一目瞭然です。 下の歩道も危険な為、通行禁止になっていました。
本町通りの吉田薬局(昭和8年)は無事。
看板建築たる所以。
同じ通りの東邦銀行郡山中町支店(昭和13年)。 タイルの割れや欠落が見受けられます。 側面には足場も掛かって補修工事が始まっていました。
小野美工堂。 初見です。
近江屋。 これも初めて見ました。 川柳会館のプレートがあります。
一階部分が潰れ鉄筋が剥き出しになった建物。
准看護師高等専修学校の建物(昭和12年)も以前と変わり無し。
日本基督教団郡山教会の牧師館は屋根にダメージを受けブルーシートが被せられていました。
建物の被害はまちまち。 このような状況の建物が点在しています。
営業出来る状態ではありません。
これも初めて見つけた建物。
この雰囲気からするとかなり古そうです。
日本基督教団郡山細沼教会礼拝堂(昭和4年)。
壁面に大きな亀裂が何本も入っています。
塀も倒れてしまっていました。
郡山合同庁舎(昭和5年) 傾いて見えるのは写真がヘタだから。。。
郡山市公会堂(大正13年)も大丈夫そう。 むしろ隣の中央公民館が被災して立ち入り禁止になっていました。
通行止めの原因はこれ。 解体作業も進んでいないようです。
はやま通り、水道局前の路面の亀裂。 縦横それぞれ10センチくらいの幅で、子どもの足ならすっぽり嵌ってしまいそう。
はやま通りをそのまま西に歩いていたら気になる建物を発見。
正体はこれでした。 昭和5年に鎌倉に建てられた久米正雄の住宅を平成12年に移築してきたそう(久米正雄記念館)。 残念ながら被災して暫らく内部は見られないとの事。
聖ペテロ聖パウロ教会(昭和6年)。
深沢にある旧後藤家住宅(明治19年以降?)。
庭木で良く見えませんが灯籠が倒れ窓もあちこちベニヤで塞がれています。
安積疏水事務所貴賓館(昭和12年)は意外にも大きな被害を受けていました。
地震から3か月経っていますが何も手当てされていないようにも思えます…。
開成館(明治7年)も大きなダメージを受け休館中。
壁という壁、至る所に亀裂が入っていて復旧までには相当な時間がかかりそうです。
安積歴史博物館(旧福島尋常中学校 明治22年)も被災により休館中でしたが見た限りでは大きな被害は無し(諸事情により撮影せず)。 最後にその福島尋常中学校の一部だったという建物を見にいきます。
安積歴史博物館のHPに一行だけ紹介されているハリハツクスの家とはこれの事でしょうか。 それとハリハツクスとはハリファックス(明治22年当時赴任してきた外国人教師)の事なのでしょうか?
関連する資料が無くて2棟の建物とも詳細は不明です。 手持ちの資料にはハリファックスの住宅(住居)も移築されたとありますが、その建物の写真とこの2棟も違うもので謎がまたひとつ残ってしまいました。
※本文に加筆修正を加えました。
まずは矢吹の総合衣料実践堂(旧東邦銀行矢吹支店 昭和2年)。 道路の路面のうねりが地震のエネルギーの大きさを物語っていましたが、この建物は被害はほとんど無さそうに見えます。 但し、向かいの奥にあった洋風意匠の住宅は跡形もなく消えていました。
同じ通りに面する旧屋形医院(大正10年頃)。
他ブログで写真は見て知っていましたが、門柱と玄関ポーチが崩れてしまっています。
基礎の部分もダメージを受けていて今後が不安な状況。
国道4号線を北上して郡山へ。 金透小学校にある金透記念館(明治9年)は曳家・復元などによって昭和53年に現在の姿になったもの。
ロープが張られ近づけませんが屋根瓦が落下して散乱しています。
道路から見ると高台にあるのですが、建物の亀裂や軒周りの部材の落下が一目瞭然です。 下の歩道も危険な為、通行禁止になっていました。
本町通りの吉田薬局(昭和8年)は無事。
看板建築たる所以。
同じ通りの東邦銀行郡山中町支店(昭和13年)。 タイルの割れや欠落が見受けられます。 側面には足場も掛かって補修工事が始まっていました。
小野美工堂。 初見です。
近江屋。 これも初めて見ました。 川柳会館のプレートがあります。
一階部分が潰れ鉄筋が剥き出しになった建物。
准看護師高等専修学校の建物(昭和12年)も以前と変わり無し。
日本基督教団郡山教会の牧師館は屋根にダメージを受けブルーシートが被せられていました。
建物の被害はまちまち。 このような状況の建物が点在しています。
営業出来る状態ではありません。
これも初めて見つけた建物。
この雰囲気からするとかなり古そうです。
日本基督教団郡山細沼教会礼拝堂(昭和4年)。
壁面に大きな亀裂が何本も入っています。
塀も倒れてしまっていました。
郡山合同庁舎(昭和5年) 傾いて見えるのは写真がヘタだから。。。
郡山市公会堂(大正13年)も大丈夫そう。 むしろ隣の中央公民館が被災して立ち入り禁止になっていました。
通行止めの原因はこれ。 解体作業も進んでいないようです。
はやま通り、水道局前の路面の亀裂。 縦横それぞれ10センチくらいの幅で、子どもの足ならすっぽり嵌ってしまいそう。
はやま通りをそのまま西に歩いていたら気になる建物を発見。
正体はこれでした。 昭和5年に鎌倉に建てられた久米正雄の住宅を平成12年に移築してきたそう(久米正雄記念館)。 残念ながら被災して暫らく内部は見られないとの事。
聖ペテロ聖パウロ教会(昭和6年)。
深沢にある旧後藤家住宅(明治19年以降?)。
庭木で良く見えませんが灯籠が倒れ窓もあちこちベニヤで塞がれています。
安積疏水事務所貴賓館(昭和12年)は意外にも大きな被害を受けていました。
地震から3か月経っていますが何も手当てされていないようにも思えます…。
開成館(明治7年)も大きなダメージを受け休館中。
壁という壁、至る所に亀裂が入っていて復旧までには相当な時間がかかりそうです。
安積歴史博物館(旧福島尋常中学校 明治22年)も被災により休館中でしたが見た限りでは大きな被害は無し(諸事情により撮影せず)。 最後にその福島尋常中学校の一部だったという建物を見にいきます。
安積歴史博物館のHPに一行だけ紹介されているハリハツクスの家とはこれの事でしょうか。 それとハリハツクスとはハリファックス(明治22年当時赴任してきた外国人教師)の事なのでしょうか?
関連する資料が無くて2棟の建物とも詳細は不明です。 手持ちの資料にはハリファックスの住宅(住居)も移築されたとありますが、その建物の写真とこの2棟も違うもので謎がまたひとつ残ってしまいました。
※本文に加筆修正を加えました。