25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

ヒュパティー

2018年07月03日 | 映画
 4世紀や5世紀あたりのオリエントやヨーロッパの地図を見てみると、部族集団とも言うべき国家の体をなしていないような民族の集まりが割拠するとい状態である。ローマが西と東に分裂して、北アジアのフン族だの西ゴートや東ゴートなど様々な部族というか民族がゲルマン民族の大移動に繋がっているようである。凄惨な領土の取り合いは恐るべき野蛮と欲望のように見える。騎馬民族は特に定住しないものだから、ローマやアレキサンドリアのような都市を作ることはなかった。
 アレキサンドリアにヒュパティアという哲学者であり、天文学者だった女性がいた。彼女はローマ帝国が支配するこの都市の図書館で生徒たちに幾何学や天文学を教えていた。西暦415年にキリスト教徒によって虐殺されている。信仰を拒否したからである。キリスト教では女は男よりでしゃばってはいけないし、女が男に教えることもいけないとされていた。ヒュパティアは独身を通し、生涯を天文学、哲学に捧げた。太陽を回る軌道は放物線であることを証明したとされているが、その資料はどこにもない。地球は自転しながら公転しているという考えまでもう一歩である。彼女の見識がキリスト教徒やローマの長官や兵士にわかるはずもなかった。ギリシャ哲学は受け継がれていたのである。フン族やヨーロッパの諸部族にわかるはずもなかった。闘うこと、人間狩り、財産の奪取が生きていることであるようだった。キリスト教徒も彼らと変わらなかった。迫害にめげず、広まったものの、領地の奪い合いは同じであった。
 親鸞が墓も要らぬ、寺も要らない、宗派をつくることなど毛頭考えていなかったにもかかわらず、彼の血筋の蓮如が浄土真宗開く。おかしな話だ。聖書の主人公なら、ヒュパディアを殺すはずもなかったのに。
 人間の大衆というものの愚かさや希望のようなもにがほんの少しずつ歴史を歩んでいく。時にでてくるのが早すぎる人が出てくる。

 さてさて、サッカーへの熱狂。まるでコロシアウムで、人間同士が殺し合ったり、闘牛場で牛と人間が闘ったり、部族間で闘ったりしている様を思い起こしてしまう。なぜ、これほどまでに熱狂するのか。俄サッカーファンまで興奮している。日本が負けるなどとテレビの前で予想でもしようなら何されるかわからないと思えるほどだ。さすが現在はスポーツゲームにはなっているが。