「ニートって言うな!」本田 由紀、内藤 朝雄、後藤 和智 共著 光文社新書2006.1
やっと読みました。著書ひとりが一部を担当し、3部編成の書。
まず第一部。本田さんが「ニート」という概念のいいかげんさ、あやうさ、政治経済的な傾きを緻密にスケッチしている。
異論があるのは49Pの図。これほどニートという言葉を厳密に用い、かつその問題性を鋭く指摘される本田さんならば、ひきこもりという概念も使うべきではなかったのではないか。
「ひきこもり」とは、そもそもアメリカの医学診断基準のなかの統合失調症のなかの一症状だった。それが、日本に輸入され、若い世代で学校に行かない子どもの成人版としてメディア等によってグロテスクに宣伝され、バッシングされるようになっている。
もう最近では学校や会社に行っていても、「心が引きこもっている」と他人を非難したり、「ボクは学校に行っているひきこもりだったんですよ」と自己にレッテルを貼ったりするのに使われたりしている。つまり、「ひきこもり」という語の意味は拡散・希釈されている。
なのに、人にマイナスのレッテルを貼る機能だけは、いまなお使われている。これは、ニートと同じ、まやかしの語ではないのか?
ニートは自己責任ではないということ、ニート(という概念とそれへの蔑視)を生み出す社会こそ変えなければという最後の提案には、賛成できる。基本的によい仕事である。
つづいて第二部。いじめ学者の内藤朝雄さんが、ニートを切り口にして、若者にマイナスのレッテルを貼って特定の集団を追い詰め、排除しようとする「憎悪のメカニズム」を分析している。
また、教育が、まるで日本のキツネつきやヨーロッパのオオカミつきのごとく、若者にとりつくプロセスについても解説。「悪霊」としての教育、善意をかくれみのにした悪意の暗躍についてキッチリと指摘している。社会改良に関心のある方は必見だ。
統計を用いての若者の現状紹介は有益。読者が身近な若者とニュースのなかの若者の違いを認識する手がかりとなるだろう。
若者自立塾構想が、実は「プチ徴兵制」ではないかとの指摘は的確だ。実際、戦前を理想とする人々は、つねづねそうした構想を実行する機会を待っていたにちがいない。
さらに第三部は、ときおり拙ブログにトラックバックをくださる後藤和智さんが担当している。
新聞・雑誌などの若者報道の言説をつぶさに検証。ニート論の根拠のなさ・非科学性・思考停止ぶりに言及。さらに世代的または階層的・ジェンダー的利害の偏りをつぶさに批判している。
結局、彼は、「ニート」は若者全体の心を問題にするためのキーワードとして使われていると指摘。もう一度はじめに戻って、就業の問題としてニート問題を問い直し始めようと提言している。妥当な結論だ。
この第三部は、「書をことごとく信ずれば、書なきに若かず(孟子)」という格言の現代版である。後藤さんは手際よく、マスメディアのなかのおかしな言説を切り取り、その妥当性のなさを解説してゆく。ユーモアのセンスもあり、優秀な一部となっている。トリを飾るにふさわしい。
本書は、それぞれの著者が、独特の持ち味を生かして、人の思考を乱す有害な言説の群れにまっこうからいどんだ意欲作と言える。よく考えてみればどれも当たり前の指摘である。にもかかわらず、最近のマスメディアの若者叩きと新保守主義賛美・当然化の情報洪水におしながされて、ついつい忘れてしまう視点を簡潔にまとめている。
近年まれに見る良書であり、当ブログ読者にもぜひ一読をおすすめしたい。
注:人の呼称は「さん」づけで統一してある。通常、書評で用いられる「氏」という言い方は、個人よりも家を優先させている。ゆえに、個人の人格無視であり、非民主的と判断した。なので、「さん」づけしている。敬意が足りないわけではない。
<2006/2/14>読みやすくするため、記事の一部に手を入れました。大意に変わりありません。<2006/2014>
当ブログ関連記事
ニート対策って必要なの?
これってニート、それって悪い?
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もじれの日々
http://d.hatena.ne.jp/suuuuhi/20060113
http://d.hatena.ne.jp/rx78g/20060206
http://d.hatena.ne.jp/yodaka/20060123
http://d.hatena.ne.jp/moleskin/20060120/p2
やっと読みました。著書ひとりが一部を担当し、3部編成の書。
まず第一部。本田さんが「ニート」という概念のいいかげんさ、あやうさ、政治経済的な傾きを緻密にスケッチしている。
異論があるのは49Pの図。これほどニートという言葉を厳密に用い、かつその問題性を鋭く指摘される本田さんならば、ひきこもりという概念も使うべきではなかったのではないか。
「ひきこもり」とは、そもそもアメリカの医学診断基準のなかの統合失調症のなかの一症状だった。それが、日本に輸入され、若い世代で学校に行かない子どもの成人版としてメディア等によってグロテスクに宣伝され、バッシングされるようになっている。
もう最近では学校や会社に行っていても、「心が引きこもっている」と他人を非難したり、「ボクは学校に行っているひきこもりだったんですよ」と自己にレッテルを貼ったりするのに使われたりしている。つまり、「ひきこもり」という語の意味は拡散・希釈されている。
なのに、人にマイナスのレッテルを貼る機能だけは、いまなお使われている。これは、ニートと同じ、まやかしの語ではないのか?
ニートは自己責任ではないということ、ニート(という概念とそれへの蔑視)を生み出す社会こそ変えなければという最後の提案には、賛成できる。基本的によい仕事である。
つづいて第二部。いじめ学者の内藤朝雄さんが、ニートを切り口にして、若者にマイナスのレッテルを貼って特定の集団を追い詰め、排除しようとする「憎悪のメカニズム」を分析している。
また、教育が、まるで日本のキツネつきやヨーロッパのオオカミつきのごとく、若者にとりつくプロセスについても解説。「悪霊」としての教育、善意をかくれみのにした悪意の暗躍についてキッチリと指摘している。社会改良に関心のある方は必見だ。
統計を用いての若者の現状紹介は有益。読者が身近な若者とニュースのなかの若者の違いを認識する手がかりとなるだろう。
若者自立塾構想が、実は「プチ徴兵制」ではないかとの指摘は的確だ。実際、戦前を理想とする人々は、つねづねそうした構想を実行する機会を待っていたにちがいない。
さらに第三部は、ときおり拙ブログにトラックバックをくださる後藤和智さんが担当している。
新聞・雑誌などの若者報道の言説をつぶさに検証。ニート論の根拠のなさ・非科学性・思考停止ぶりに言及。さらに世代的または階層的・ジェンダー的利害の偏りをつぶさに批判している。
結局、彼は、「ニート」は若者全体の心を問題にするためのキーワードとして使われていると指摘。もう一度はじめに戻って、就業の問題としてニート問題を問い直し始めようと提言している。妥当な結論だ。
この第三部は、「書をことごとく信ずれば、書なきに若かず(孟子)」という格言の現代版である。後藤さんは手際よく、マスメディアのなかのおかしな言説を切り取り、その妥当性のなさを解説してゆく。ユーモアのセンスもあり、優秀な一部となっている。トリを飾るにふさわしい。
本書は、それぞれの著者が、独特の持ち味を生かして、人の思考を乱す有害な言説の群れにまっこうからいどんだ意欲作と言える。よく考えてみればどれも当たり前の指摘である。にもかかわらず、最近のマスメディアの若者叩きと新保守主義賛美・当然化の情報洪水におしながされて、ついつい忘れてしまう視点を簡潔にまとめている。
近年まれに見る良書であり、当ブログ読者にもぜひ一読をおすすめしたい。
注:人の呼称は「さん」づけで統一してある。通常、書評で用いられる「氏」という言い方は、個人よりも家を優先させている。ゆえに、個人の人格無視であり、非民主的と判断した。なので、「さん」づけしている。敬意が足りないわけではない。
<2006/2/14>読みやすくするため、記事の一部に手を入れました。大意に変わりありません。<2006/2014>
当ブログ関連記事
ニート対策って必要なの?
これってニート、それって悪い?
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もじれの日々
http://d.hatena.ne.jp/suuuuhi/20060113
http://d.hatena.ne.jp/rx78g/20060206
http://d.hatena.ne.jp/yodaka/20060123
http://d.hatena.ne.jp/moleskin/20060120/p2
「もうひとつ、自治労などが問題にしているのは、海洋センターに配属させられる職員がB&G財団『育成士』の資格をうるための教育である。
研修期間は三ヶ月。国旗の掲揚からはじまる軍隊式の集団訓練で、研修を終えて帰ってくると、労働組合活動には無関心になるものが多い、と言われている。」(鎌田 慧 「ルポ 権力者 その素顔」講談社文庫1993,1994:177)
海洋センターとは、右翼出身、競輪・競馬などのギャンブル事業を全国的に手がけている笹川良一がかつて会長を勤めたB&G財団が、全国に作ったセンター。海のない内陸部にあると鎌田慧は言及している。
笹川良一 http://www.bgf.or.jp/about_us/index.html
からリンクをたどっていくと、
健康ネット http://www.kenkounippon21.gr.jp/
といった、健康至上主義、異常排除の全体主義と調和的な体育会系の団体、特に子ども・若者の自立と協調性を重視する団体とのつながりがうかがえます。
こういった、戦前色・右翼色の濃い勢力は、その思想的・社会的な立場的な背景から見て当然、「若者自立塾」構想やニート叩きとも親和性が大きいでしょう。
こうした人・グループのネットワークを調べてみると面白いと思います。
B&G財団ですが、うちから車で1時間ほど行ったところにもヨットハウスみたいなのがありますよ。すごく景色の良いところで、一緒に行った友人が「良いところなんだけど、悪者がつくった建物だしな~」と言っていたのが印象的でした。そうか、アレがそんなことに使われているのか。
私もこの本は買いました(まだ読んでいません)。
おなじ新書で例の『下流社会』がでているのが可笑しいですね。
念のためにお断りしておきますが、私は『下流社会』を「くだらない本」だと思っています。
「下流社会」については、宮台真司さんに習って、浅ましい本「下流社会」と形容詞付きで呼ぶことにしています。
>g2005さん
お久しぶりです。
本ばかりではなく実際の経験も書きたいのですが、最近はこれといって妙な対応の会社も減ったようです。
やはりNHKの「フリーター漂流」が放映され話題になったころから会社の対応も徐々に変わってきた、フリーターだからといってひどい扱いを面接レベルでやる会社が減ったのでしょうか? まだまだ偏見もあるものの、少しでも差別が薄らいだのかな? 派遣で働いているg2005さんはどうでしょうか?
B&G財団は、「世界人類平和を願って」などのお札を家や町に貼っています。わたしの故郷の愛媛県松山市でも近所でよく見かけました。
>喜八さん
そうですか、もう買ったのですか。オススメですんで、ぜひ読んでください!
「下流社会」はまだ読んでいないので、コメントを控えます。
>秘密組合員さん
これは近年まれに見るいい新書です。中公新書の「言語の消滅」と同じか、それ以上の出来です。
「下流社会」まだわたしは目を通していません。それほどダメな本なのでしょうか? 後藤さんの果敢な批判は存じていますが・・・・。
返礼としてこちらからもトラックバックしたのですが、反映されてないようで…どうも各社ブログ間の相性と言うものがあるみたいですね(私はautopage使用)。
ワタリさんの記事及びコメントへのレスなど。
まず、本田氏が「不活発層」のコアとして「ひきこもり」・「犯罪親和層」を挙げている事に関し前者の言葉を使っている事に異議がおありのようですが、私としては言及する時にカギカッコをつけておけばまあいいかな…と言う範囲だと考えます(カギカッコは、「自分では使わないが、相手の言い回しをそのまま用いる場合」にも使う)。
>B&G財団は、「世界人類平和を願って」などのお札を家や町に貼っています。
それって、別の宗教団体のはず(正式な名前を今思い出せず、その教団に対してどうだこうだ言いたいわけでもないのでとりあえず名は伏せます)。あるいはその教団とB&G財団が繋がっているのかも。
ていうかトラバって、送るときは自分でできるのに、削除は送った側からできないんですね(笑)。
亀レスおよびまとめレスで失礼します。
>克森 淳さん
>「ひきこもり」について。わたしは“言葉狩り”をしているのではありません。
>私としては言及する時にカギカッコをつけておけばま>あいいかな…と言う範囲だと考えます
なるほど。まあ、わたしも相手が「ひきこもり」なり「ニート」だというときには、合わせてますけれど。本人なりに「ひきこもり」とか「ニート」という言い方にこめた思いも尊重したいし。
>それって、別の宗教団体のはず
貴重なご批判、ありがとうございます<(_ _)>。それはどこの宗教団体ですか?
実は、鎌田慧さんの「ルポ 権力者その素顔」の128pに、笹川良一さんのスローガンが紹介されています。
「『世界一家 人類兄弟』(中略)これは次のようにも敷衍されている。「世界は一家 人類みな兄弟 月はお隣 火星は遠い親類」」
この部分の記憶によって間違えたのでしょう。
>g2005さん
大変ですが、めげないで。本記事にもリンクを貼ってとりいれました。できればその会社・経営者の実名はムリでも、イニシアルだけでも明記できないでしょうか。あるいは、何県の会社、くらいのことだけでも記せないでしょうか。
もちろん、今すぐでなくとも、あなたの決心がつけば、でかまいません。一度考えてみてください。
大阪にあるフリースクール・淡路プラッツのサイトで、次の情報が掲載されています。
ひきこもりという言葉の実務的効果
http://homepage2.nifty.com/donutstalk/ura.htm
現場のひきこもり対策をしている人から見ても、ひきこもりは扱いにくい、混乱をもたらす概念のようです。
これは、偽概念といってしまってよいのではないでしょうか。