「好き」とか「いい」って、誰かの高い評価や、自分の価値を認めてもらいたいこととは関係ない。
ただ好きで、ただいいと、自分が感応する。
人・物・事・空間・時間の置き方を、ただ選択する連続。
何かを極めた人から批評されることや、自分以外の人にそれをいいかよくないか仕分けされる事とか全く関係なく、ただ自分の感応の選択を楽しむ。
誰かの反応と、自分の感応は別物。
意味があるか、価値があるかに関係なく、「私がしたいからする!」
比較や批評がなくなると、調和が生まれる。
誰かや、多くの人にとって無価値なことが、本当に価値がないことでも、意味がないことでもない。
この前、子供さんが、やりやすい所を見つけてはでんぐり返しを繰り返すことに、「なんで?」と不思議がっている親御さんがいた。
大人になると、とかく大人にとって意味のないことや「無駄そう」に見えることを、「意味がない」と定義付けてしまうようになる。
「意味がないこと」=「価値がない」ことじゃない。
子供の頃は特に、大人からしたら一見無駄に見えるような体感が、その子(個)を育くんでいる。