かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

馬場あき子の外国詠247(中国)

2016年10月10日 | 短歌一首鑑賞

     馬場あき子の旅の歌32(2010年10月実施)
           【砂の大地】『飛天の道』(2000年刊)192頁
           参加者: N・I、Y・I、T・S、曽我亮子、鹿取未放
            レポーター: N・I
           司会とまとめ:鹿取 未放


247 棉を摘み棉を摘み一日あたたかし〝殿がほしい〟といふ唄うたへ

     (まとめ)
 敦煌周辺では棉の栽培が盛んで良質の棉が採れるという。この歌の棉を摘む様子はバスからの属目ででもあろうか。若い女性が大勢で摘んでいるのであろう。「棉を摘み」を繰り返すことで単調な作業を視覚的に見せる効果や労働の長さを暗示する効果がある。さらに集団での作業の充足感のようなものも出ているようだ。秋の暖かな一日、労働によっておのずと体がほてってくる。そんな時には〝殿がほしい〟という唄をみんなで歌いなさいよ、とでもいうのだろうか。労働とおおらかなエロスが結びつけられている。
 〝殿がほしい〟の出典は、狂言小謡「七つになる子」にあるそうだ。七つになる女の子の無邪気な物言いに大人が驚嘆する内容だというが、その子の歌った「殿がほし」の内容は大人の色恋や遊芸の世界のもののようだ。もちろん中国敦煌の女性が日本の狂言小謡を唄うわけはないが、エロスを希求する気分をいうのだろう。そしてそういう開放的な歌はどこの国にもあるにちがいない。
 なお〝殿がほしい〟の出典は、職場の上司であるH校長よりお教えいただいた。(H氏は自分では歌を詠まれないが、自称、中井英夫の一番弟子だったそうである。)(鹿取)

       七つになる子が、いたいけな事云うた、殿がほしと諷(うと)うた……吉野初瀬の花よりも紅
       葉よりも、恋しき人は見たいものぢゃ…… (「七つになる子」)

 
         (レポート)
 何事も最後が大切であるということでしょうか。軍隊が退却する時は最後尾にあって追ってくる敵を防いでくれるひとが大切だという。棉を摘みつつ唄う労働歌なのではないかと想いました。  (N・I)


        (意見)
★レポーターのいう「何事も最後が大切」と、この歌がどう結びつくのかさっぱり分かりません。
   (11月・藤本)
★労働をしている少女達に対する暖かい目を感じる。(11月・実之)