Seasick Steve - Hobo Low
シーシック・スティーヴは1941年生まれだから、ボブ・ディランと同い年。
彼は7歳の時にミシシッピのブルースマンからギターを習うが、家庭の事情で13歳で家を出て、ホームレスになる。路上で演奏活動をしても、まったく受け入れられず、肉体労働で生活を支える。
その間のことはよくわからないが、80年代になってノルウェー人の女性と二度目の結婚をしてから、シアトル郊外にスタジオを持つことができるようになり、その界隈ではレコーディング・エンジニアの仕事で知られるようになった。
しかし、2001年に奥さんの希望で故郷のノルウェー、オスロに移住することになったのだが、その後に出したアルバム「Cheap」がヒットし、イギリスのラジオでも注目されるようになるのだから人生はわからない。わからないついでに言えば、そのヒットでいよいよといったところで、スティーヴさんは心臓発作で倒れてしまうのだが、好運にも奥さんが看護師で、適切な処置をしたことによって、九死に一生を得るといった経験もした。
その後もアルバムを出せば話題になり、ロックフェスへのオファーも絶えず、2008年にはフジロック出演のために来日もした。
本人は今の自分の置かれた状況に戸惑いながらも楽しんでいるようで、「この世で一番肝心なのは素敵なタイミング」と言ったとか言わないとか。
この動画で彼が弾いているのはシルバートーンの1415で、いろいろ改造を施されている。ジャックがエレアコのようにエンドピンのあたりについているのとピックアップ回りに意味があるのかないのかよくわからないがいろいろ配線がなされている。
ヘッドのロゴとピックガードがない以外はオリジナルを保った状態の頃のものが以下の動画。
Seasick Steve - Summertime Boy en Session Très Très Privée RTL2
シーシック・スティーヴは1941年生まれだから、ボブ・ディランと同い年。
彼は7歳の時にミシシッピのブルースマンからギターを習うが、家庭の事情で13歳で家を出て、ホームレスになる。路上で演奏活動をしても、まったく受け入れられず、肉体労働で生活を支える。
その間のことはよくわからないが、80年代になってノルウェー人の女性と二度目の結婚をしてから、シアトル郊外にスタジオを持つことができるようになり、その界隈ではレコーディング・エンジニアの仕事で知られるようになった。
しかし、2001年に奥さんの希望で故郷のノルウェー、オスロに移住することになったのだが、その後に出したアルバム「Cheap」がヒットし、イギリスのラジオでも注目されるようになるのだから人生はわからない。わからないついでに言えば、そのヒットでいよいよといったところで、スティーヴさんは心臓発作で倒れてしまうのだが、好運にも奥さんが看護師で、適切な処置をしたことによって、九死に一生を得るといった経験もした。
その後もアルバムを出せば話題になり、ロックフェスへのオファーも絶えず、2008年にはフジロック出演のために来日もした。
本人は今の自分の置かれた状況に戸惑いながらも楽しんでいるようで、「この世で一番肝心なのは素敵なタイミング」と言ったとか言わないとか。
この動画で彼が弾いているのはシルバートーンの1415で、いろいろ改造を施されている。ジャックがエレアコのようにエンドピンのあたりについているのとピックアップ回りに意味があるのかないのかよくわからないがいろいろ配線がなされている。
ヘッドのロゴとピックガードがない以外はオリジナルを保った状態の頃のものが以下の動画。
Seasick Steve - Summertime Boy en Session Très Très Privée RTL2
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