だいずせんせいの持続性学入門

自立した持続可能な地域社会をつくるための対話の広場

予防原則のオモテウラ

2007-02-16 08:12:33 | Weblog

 環境問題に取り組む上で予防原則という考え方は切り札である、と私も考えてきたのであるが、ある時、考え込んでしまった。

 それはアメリカ・ブッシュ政権の高官が、イラク戦争を正当化するために予防原則を持ち出して説明していたのをテレビで見たからだ。イラク戦争の大義名分は名目上はフセイン政権が大量破壊兵器を所持しているというものだった。しかし、そのような事実はなかった。それでも戦争を正当化する論理が予防原則なのである。つまり、開戦前、大量破壊兵器を所持しているかどうかは本当には確認できなかった。しかし、その可能性があり、それをフセイン大統領が使用すればたいへんなことが起きる可能性があるので、それを予防するために戦争をはじめた、というのである。
 私は耳を疑ったが、冷静に考えてみれば、「将来、悪い影響がでる可能性が指摘された場合、それが本当に確かかどうか分からない段階でも、それを避けるべく行動すべきだという考え方」が予防原則だとすれば、ブッシュ政権の言い分をこれは予防原則ではないとは言い難い。しかも、ブッシュ政権は、予防原則をたてにとればどんな国家も任意につぶすことができるという実績をつんだのであり、次のターゲットとしてイランが狙われているのは明白だ。この瞬間においては、予防原則という考え方がどんなにいい内容を含んでいても、いったんは全否定すべきではないかとすら私は思う。

 もうひとつ予防原則で気になる点は、科学者のモラルハザードを招きかねない、という点だ。私たちの研究成果は常に自然や社会の現実に試されている。ある時にどんなに正しく美しいと思った考えでも、実際の実験、観測、観察によって否定されればあっさり捨てざるを得ない。公表してしまったあとで、それが公開の場で否定されることもある。私たちはその緊張感の中で研究をすすめている。
 原理的に検証できない未来の「予測」をする科学では、その緊張感が欠けてしまうおそれがないだろうか。その「予測」を予防原則のもとに社会がもてはやしてくれる。しかも膨大な研究予算がついている。例えば研究の結果として「それほど問題ではない」ということは言いにくい。そう言ったとたん研究予算がつかなくなるからだ。「問題である」と言い続ける、あるいは、悪意はなくても知らず知らずのうちにそのように結果を解釈する、という傾向がでてくる危険性を私は感じる。

 すでにニアミスはあったと思う。地球温暖化で何が問題になると思いますか?という質問を講義や学習会の場ですると、多くの人が「南極の氷が解けて海面が何十メートルも上昇すること」と答える。温暖化問題が言われ始めたころは確かにそういう可能性が声高に叫ばれた。ある本には南極の氷が解けるどころか、海の水がみんな蒸発して金星のような灼熱地獄になるかもしれない、とまで書いてある。
 ところが、世界中でスーパーコンピュータを回して計算してみると、どうがんばっても南極の氷を解かすほど温暖化させることは不可能だということになった。2001年のIPCC第3次レポートにははっきりと、2100年までの「予測」において、南極の氷床量は減らず、むしろ増えるかもしれない(増えるのは温暖化によって南極大陸での降雪量が増えるせい)、と書いてある。それでも海面上昇は起こる。その大部分は海水の温度が上昇することによる熱膨張による、というのが「予測」である。それは2100年でざっと50cm程度である。

 このレポートが2001年に出されているのに、なぜいまだに人々は南極の氷が解けることが地球温暖化問題であると考えているのか。それは「南極の氷が解けるかもしれない」という科学者の発言はマスメディアを通じて広く伝わったのに、「研究の結果、南極の氷は解けない可能性の方が高い」ということは伝わらなかったのである。
 これには情報の経路にはだかる二つのフィルターを考えなければいけない。まずマスメディアのフィルター。マスメディアはセンセーショナルな情報は伝えるが、そうでないものは伝えない。「南極の氷は解けない可能性の方が高い」というのではお話しにならない。
 そしてもう一つは科学者がどういう情報をどういう形で社会に発信するかというフィルター。もしすでに南極の氷が解けるというイメージが人々の頭にできあがっているのであれば、そのイメージを覆すべく、「南極の氷は解けない可能性の方が高い」ことをことさらに強調してもよかったと私は思う。ところがこのことはIPCCレポートの文面の中にひっそりと書かれているのみで強調されることはなかった。
 この二つのフィルターの結果、IPCC第3次レポートが発表された時の新聞の見出しの多くは「温暖化によって海面上昇:科学者のレポートによって確認」のようなものだった。たしかに海面上昇が起きると書いてあるが、それは南極の氷が解ける場合とはまったく規模もイメージも異なるのである。
 そしていつの間にか、科学者の発言からもメディアの報道からも南極の話がでてこなくなる。「それっていったいどうなったの?」という気持ちになってしまう。これを科学者のモラルハザードだというのは言い過ぎだし、悪意があったとは思わないが、やはり責任感や緊張感に欠けるとは言えないだろうか。

 おそらく予防原則だけでは足らないのだ。予防原則とセットにすべきなにか。それは何だろうか。(つづく)

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2 コメント

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興味深く読ませていただきました。 (piyo)
2007-02-24 11:12:17
豊田でいつもお世話になっております。
最近、先生のブログを読ませていただいており、
海面上昇が、一般で言われるほどでないことが、
わかりました。
一般の知識と実際の研究と、違うことがあるんですね。
私たち市民の者にもわかりやすく書かれていますね。
先生の記事を私たち内輪の者にご紹介させていただいてもよろしいでしょうか?(メール等)

また、まだ作成途中ですが、環境ネットの経過の記録と情報収集を目的にブログを作成しました。
先生と同じサーバーを選びました。*^^*
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THANKS (daizusensei)
2007-02-24 11:24:01
piyoさま>みなさんにもぜひご紹介ください。
最近の新聞や出版物をよく見ると、海面上昇は数十cmと書いてありますが、それまでにできあがったイメージを覆すような書き方はしておらず、依然として「うそではないが誤解を招く」ような書き方が多いのは残念です。受け取る側が賢くならなければなりませんね。
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