だいずせんせいの持続性学入門

自立した持続可能な地域社会をつくるための対話の広場

「予測」とはなにか

2007-02-15 00:32:10 | Weblog

 IPCC第4次レポートが発表された。その内容の柱は、過去100年間の温暖化をさまざまな観測結果によって確認することと、この先100年の温暖化とその影響を「予測」することにある。これを解説する前に、「予測」というものの意味を吟味しておかなければならない。少しまどろっこしく感じられるかもしれないが、多くの人がIPCC報告書の内容を頭から信じこんでしまうことは、逆に事態を悪くすると私は考えているので、しばらくおつきあい願いたい。
 IPCCとは、世界の関連する分野の科学者が100人の規模で参加して定期的に報告書を公表するものである。地球温暖化は気候変動の科学の成果の上に提唱された問題であり、それを理解するにも対策をたてるにも高度な科学的な内容を含むことになる。一方、この問題の当事者は人類すべてといってもよい。そこで、各国の政策立案者としては、科学者が個別に勝手なことを言っている状況では何を信じてよいかわからないので、科学者集団としての統一見解を出してほしい、ということで組織されたのがIPCC(気候変動に関する政府間パネル)である。
 そこでIPCCは関連する分野の学術論文や研究成果をレビューする。つまり、その内容の確からしさをひとつひとつ評価しながら、相互に矛盾のない統一見解を導きだすという作業を行う。

 ということなので、IPCC報告書の内容は唯一の信用できる見解として社会に受け入れられることになる。ところが私のような近い領域の科学者としては、その内容といえども、一定の留保をおきながら読むのが普通である。
 過去のデータの評価はまだしも、未来の「予測」については、それほど確かなものではないからだ。2100年までの温暖化の「予測」をするには、まずこの先人間がどれほど化石燃料を使ったりして温室効果ガスを排出するかということがわからなければならない。ところがそんなことは「予測」できないので、いろいろなシナリオを作る。経済成長を第一に考えて化石燃料を多用するシナリオや、できるだけ自然エネルギーにおきかえるシナリオなどである。ひとつの温室効果ガス排出シナリオがあれば、次にはそのうちどれほどが大気に残るのか計算機のモデルで計算する。さらに、どれだけ大気の温室効果ガス濃度が上昇するかがわかれば、これも計算機をまわして、世界各地の温度や雨の降り方などを計算する。これは天気予報(数値予報)で使っているような計算機モデルを、100年間分回すということだ。

 私たちがその結果を割り引いてみるのはなぜかというと、その計算結果が正しいかどうか、決して「科学的」には検証できないからである。
 これだけ計算機が発達した現在、どんな研究をやるにも理論計算は不可欠となっている。実験や観測をやるときでも、こういう実験をしたらどういう結果が得られるはずか、あらかじめ理論的に予測することが多い。そしてその値と実験結果を較べる。もちろん一致して欲しいわけであるが、私の経験から言うと、最初から満足できるほど一致することはまずない。そしてそれこそが発見の糸口であり、研究をやる意味がある点なのだ。何度も理論を考え直し、また少しずつやり方を変えて実験をくりかえし、だんだんと両者が一致するようになって、はじめてその現象が理解できたことになるのである。
 そういう観点からすれば、温暖化の「予測」は原理的な問題を抱えているといえる。今回のIPCC報告書では2100年に地球の平均気温はざっと4度ほど上昇すると「予測」しているが、それが本当に正しいかどうかは、ふつうの科学的な意味では、実際に2100年になって温度を測ってみないと検証できないのである。そしてその時に計算があっていたことが確かめられたとしても、間違いであることがわかったとしても、いずれも意味がないのである。
 天気予報で使っているような計算で100年分を計算するには、ものすごい演算速度やメモリ容量をもったスーパーコンピュータを何日も動かす必要がある。もちろんその計算モデルには現状で考えうる最良の考え方が取り入れられている。しかしながら、計算をする前にたくさんの数値を入力してやる必要があるのだが、その中には観測できない数値もある。そういうものはチューニングパラメータといって、現在の状況を仮定して計算を走らせて現状の気候をよく再現するように、適当に調整して値を入力してある。しかし、その値の組み合わせはひとつではなく、普通は無限にたくさんある。たまたま採用した値の組み合わせが正解であるという保証はない。さらに二酸化炭素濃度が上昇した、今とは違う状況でもその値が通用するという保証もない。

 また、気象や気候の場合、もうひとつ原理的にやっかいな問題がある。それがカオスと呼ばれる性質をもっていることだ。カオスというのは、単に複雑という意味ではない。むしろ反対に、その現象を司っている原理が非常にシンプルな場合のことを言う。ただ、原理はシンプルでもそこから導き出される現象が複雑で一見脈絡がないように見える、というのをカオスという。
 カオスの場合、ある時点のちょっとしたずれがその後しだいに拡大していく、という性質がある。この性質はバタフライ効果とも呼ばれる。あるところであるときたまたま一匹の蝶がはばたいて空気をほんのちょっとかき乱したとしたら、その結果がめぐりめぐって巨大な台風の発生につながるかもしれない、ということである。計算を始める時にはその時点での世界中の気温や気圧を入力してやる必要があるが、世界くまなく観測できるわけはないし、それには測定誤差が含まれている。完全な把握は不可能だ。そこから計算をはじめても、少しの誤差が思わぬ結果の違いとして現れるはずだということだ。最近の天気予報は2日後くらいまではたいへんよく当たるようになってきたが、週間予報はまだまだ当たらない。これは計算機の不備というよりは、このカオスという性質がもつ原理的なものによるのだと思う。

 ふつうの科学研究のセンスで言えば、実際に対象を観測してみて理論的な「予測」には合わない確かなずれが検出できたら、研究は「成功」、つまり私たちが今まで知らなかった現象を発見したということになる。ところがIPCCでは、その「予測」がハナから「正解」であることを社会から要請されているのである。これはやはり科学としては異常な状態といわざるを得ない。
 科学的な知識は新たな発見によって否定されることによって進歩する。現に、今から30年前なら気候変動の問題は「地球寒冷化問題」として騒がれていた。自然の気候変動からすれば現在は間氷期という温暖な時期であり、今後氷期に向かって寒冷化する時期にある。確かに戦後の一時期、世界の気候はわずかに寒冷化に向かっていた。しかしながら、現在の時点から振り返れば、それは100年にわたる温暖化の中のほんの少しの揺り戻しにすぎなかった、というふうに見えるのである。その現在の見方も、もう50年後にやはり間違いであったということにならないとは誰にも言えないのである。そうやって科学は進歩するものなのだ。

 ではどういう態度でIPCCの「予測」を受け止めればよいかというと、それは必ずそうなる、という意味ではなくて、現状の最良の科学的知識を動員したところ、そうなる可能性があることが指摘された、という意味としてとらえるべきと思う。

 といわれても・・・と思われるだろう。そこで予防原則という考え方がでてきた。つまり、将来、悪い影響がでる可能性が指摘された場合、それが本当に確かかどうか分からない段階でも、それを避けるべく行動すべきだという考え方だ。それが本当かどうかは未来の時点になってみなければ本当にはわからない。しかしそのときに本当にそうなっていては「アウト」なのである。その可能性の指摘がまちがいである場合もあることも織り込みながら、その場合には取り越し苦労で終わることも厭わずに、行動を起こそう、という考え方だ。
 予防原則が登場した背景には、かつて激甚公害の時代に、科学的な因果関係が証明されなければ対策をとらないという態度が被害を拡大したという苦い歴史がある。水俣病がその典型であったが、工場排水と水俣病の間の因果関係が科学的に証明できない、として患者も排水も長く放置された。熊本大学の研究グループは早い段階からそれを証明していたのであるが、科学というのは科学者どおしの論争を通じて進歩するというのもまた事実なので、ある見解に対して必ず反対意見を述べる科学者はいる。企業側、行政側はそういう科学者を利用して、工場が時代遅れになり経済的に意味がなくなる時点まで、「科学的には証明されていない」という口実で事態を放置していたのである。

 ということで予防原則はいかにもよい考え方のように思えるけれども、ここも、少し冷静にその裏表を吟味してから先にすすむ必要があるように私には思える。(つづく)
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3 コメント

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「予測」とはなにか、への疑問 (アクエリアン)
2007-03-09 22:12:38
はじめてうかがいます。Miekli さんに教えられて、先生のブログを知りました。このエントリを読んでの疑問をコメントしようと思ったのですが、書いているうちに長くなり、自分のブログに書きました。トラックバックしましたので、そちらからリンクされていると思います。別の分野の研究者ではありますが(いや、ありましたが、というべき)、この分野の素人が、「科学的」とか、「検証」とかにこだわって、意見を書いてみました。先生のご意見をうかがいたいです。
THANKS! (daizusensei)
2007-03-11 09:32:11
アクエリアンさま>コメントありがとうございます。記事を拝読しまして、私の記事で舌たらずだった部分をうまく書いていただいおり、ありがとうございます。
反復実験できない地球の歴史(過去も未来も)の研究が科学であるというためには、科学とは何かということそのものを考えなおさなければならない、という問題意識が私たちにはありまして、「仮説転がし」説というのをとっています。(『全地球史解読』東大出版会に熊澤峰夫先生の論考があります)。またの機会に書いてみたいと思います。
今後ともよろしくお願いします。
またの論考を期待 (アク)
2007-03-11 10:02:42
だいずせんせい

ご返事ありがとうございました。私の方のエントリでも、議論が進んでいますし、そちらしか読まない方もいることを配慮し、先生のコメントをそのまま、私の方のコメント欄に転載いたしました。

私もその後、コメントのやりとりの中で、予測の科学について、通常の科学とは違う方法論(検証法、実証性、科学的などについて)があることを考える必要があると、漠然と感じていると書きました。先生のご意見をいずれ伺えることを期待しています。

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