だいずせんせいの持続性学入門

自立した持続可能な地域社会をつくるための対話の広場

林勝和尚との対話(3)

2015-03-24 22:57:57 | Weblog

私:そのあとお坊さんになろうと思ったのですね。

和尚:3ヶ月くらい起き上がれなかったのですが、その時はもう死にたい死にたいという気持ちでいっぱいでした。それで起き上がれるようになった時に、ふらふらと家を出て電車に乗ったんです。どこで降りたかも覚えていないのですが、そこから山に登っていったんです。特にこうやって死のうとか思ったわけではないのですが、何も食べずに山の中をさまよってたらそのうち死ぬだろうというような感じでした。どこをどう歩いたか覚えていないのですが、道なき道をふらふらと歩いて行きました。疲れたら木の根をまくらに寝て、明るくなったらまたあてもなく歩いて行きました。2日くらいさまよって暗くなってきて足元が見えなくなった時に、くぼ地に落っこちたんです。身動きがとれなくて、あぁ、これでもうおしまいだ、と思ったらとても楽な気持ちになりました。

私:・・・

和尚:そうしていたら、声が聞こえてきたんです。「みんなつながっているんだよ」「だいじょうぶだよ」っていうんです。見上げると薄明かりの中に大きなナラの木が生えてました。そいつが話しかけてきたんですね。ついに死にかけて頭がおかしくなったんだと思いました。

私:そうだったんですね。実は私は「木の声を聴く」というワークをやっています。森の中で気に入った場所に立って、15分間、木がなにかしゃべっているかもしれないから耳を澄ましてみようというものです。

和尚:それはいいことをやられていますね。

私:それで、終わったら集まってふりかえりをするのですが、10人いれば4,5人は木の声を聴きます。特に若いお母さんたちは感度がよくて、たいてい聴けます。そういうお母さんたちが何を聴いたかというと、まさに「だいじょうぶだよ」「みんなつながっているよ」ということなんです。

和尚:そうでしたか。そのナラの木が、「生きなさい」っていうんです。「だいじょうぶだから、ここで見てるから」って。それで手を伸ばしたら、木の根っこがつかめて、ぐいっとやったら体が起き上がれたんです。それでくぼ地から出て、またふらふらと歩きました。もうろうとした意識でよく歩けたと思うのですが、暗闇の中を歩き続けて、朝しらじらとしたところで里に出たんです。それが古いお寺の裏側でした。お寺の縁側にあがってもうへたって寝込んでしまいました。

私:それからどうなったんですか。

和尚:気がついたら、おばあさんがいて「あんたどっから来たかね、そんなドロドロのかっこうして」って言うんです。でもそれ以上何も聞かず、暖かいお茶を出してくれて、おかゆも食べさせてくれて、それで生き返ったような気になりました。

私:よかったですね。

和尚:おばあさんはその寺の隣に住んでいて、住職のいなくなった寺のお世話をしていたんですね。それでおばあさんは、しばらくそこにいろ、っていうんです。言われるままにいたら、そのうちおばあさんが村の人に私を紹介してくれて、適当なことを言って、しばらく寺に居候するんだっていうことになりました。私も寺の掃除を手伝ったり、そのうち村の人の畑仕事を手伝ったりするようになりました。みなさんとても親切にしてくれました。

私:なんだかおとぎ話みたいですね。

和尚:そうこうしていたら、村の人が「あんた坊さんにならんか」って言うんです。その寺は前の住職が亡くなってから、継ぐ人がいなくて無住になったのです。檀家の数も減り、高齢化して、住職が来てもやっていけないというわけです。それで村の人は法事をするにも困っていたんです。村は年寄りばかりで、これから葬式をたくさん出さなくてはいけないが、寺が無住では困るというんです。死ぬときはこの村で死にたい、その時に葬式を町の葬儀場なんかでやりたくないって。

私:なるほど、それで仏門をたたいたのですね。

和尚:そうです。村の人に恩返しができるならと思って、それから3年間、本山に行って修行をしました。それで住職の資格をもらって寺に帰ってきたというわけです。残念ながら私が修行に行っているあいだに、私を助けてくれたおばあさんは亡くなってしまいました。私に坊さんにならんかと言ってくれたおじいさんも、脳梗塞で倒れて町の施設に入ってしまいました。

私:そうでしたか。

和尚:最近は毎月のように葬式があります。ずっと村を守っていた昭和ひとけたの世代が亡くなっていきます。町の施設に入っていた人が、寺に住職がきたならそちらで葬式をあげてほしいと遺言して、わざわざ葬式をやりにきてくれることもあります。

私:いいご恩返しができますね。

和尚:最近、うれしいことがありました。ここらでも若い人が帰ってきたり移住してきたりするようになってきたんです。それで、檀家のおばあさんのお孫さんが帰ってきて、結婚するというので、お寺で結婚式をあげてくれたんです。葬式のやり方はよくわかっていますが、結婚式はどうやればよいか分からなかったので、本山に戻ってやり方を習って来ました。

私:それはうれしいですね。

和尚:あとここに来て気づいたことがあって。こんないなかですが、実はけっこう若い人がいるんです。

私:どういうことですか?

和尚:高校大学で都会に出て都会で就職した若い人たちが、仕事の中で体をこわしたり、うつになったりして、いなかに帰ってきている人がけっこういるんです。

私;そうなんですか。そういう人は何をしているんですか?

和尚:家で引きこもっているんです。ひっそりと、近所にも知られないようにしています。親も体裁が悪いということで、村のお役や集まりにも出さないんですね。そういう親が私のところに相談にくるんです。どうしたらいいでしょうかって。

私:そうなんですね。そういうことは知りませんでした。

和尚:私も同じくうつで引き込もりだったんです、って話をします(笑)。それで、いっしょに畑仕事や山仕事をやろうと声をかけています。ぼちぼちですが、そういう人たちといっしょに野良仕事や山仕事ができるようになりました。

私:それはいいですね。

和尚:自然の中で体をつかって働いていると、そういう若い人たちは見違えるように元気になりますね。その変化を見ているととてもうれしくなります。

私:それはここに呼ばれてきたんですね。英語で天職のことをcalling、つまり呼ばれたこと、と言いますが、住職にとってはお坊さんが天職だったのですね。

和尚:はい。すべてはご縁ですから。求められる役割をいっしょうけんめいやっていれば、それがいつのまにか自分がやりたいことだったということになります。いいご縁にめぐりあえたなと思います。ここで日々修行にはげんで行きたいと思っています。

私:今日はいいお話をありがとうございました。

 

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2 コメント

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良いお話ですね (コジロー)
2015-03-25 10:41:48
こんにちは、
いつも参考になるお話をありがとうございます。
初めて書き込みますが、私は先生と一部は重なる領域で仕事をしている者で、このブログを長らく拝読しています。
分けても、このたびの若いご住職との対話には、考えさせられるところがたくさんありました。
私自身は神も仏も信じませんが、宗教は信心だけにとどまるものではないのですね。
また樹木との対話、私は菌根との共生関係から説き起こして、森の生命のネットワークと情報伝達のシステムを解説したりしていますが、次の機会にはぜひ、「木の声を聴く」ということもやってみたいと思います。
今後とも、よろしくお願いします。
質問 (mo@nagoya )
2015-04-04 18:17:14
突然ごめんなさい。

ブログの内容と関係ないのですが、だいず先生は、中津川のウラン鉱床についての知識が豊富でしょうか。

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